閑話 星の残滓、理の外の祈り
10話の後、夜中設定の話です
深い夜の静寂が、これほど恐ろしいと思ったことはなかった。
ふかふかの枕に頭を沈めても、まぶたの裏に焼き付いた「ひび割れた水晶」の残像が消えてくれない。それ以上に、脳の奥底に空いた『空白』が、冷たい風を吹き込ませているような気がして、私はたまらずベッドを抜け出した。
ベランダへ続く窓を開けると、ひんやりとした夜気が肌を刺した。
見上げた夜空には、残酷なほど美しい星々が瞬いている。
「……思い出せない」
震える声が、夜の闇に溶けていく。
再測定のあの瞬間、私は確かに「暗号化」という盾を構えた。その代償として、私の『灰』が何を喰らったのか――それを自覚したとき、心臓を直接掴まれたような寒気に襲われた。
おばあちゃんとパンを焼いた。その事実は頭の中に残っている。けれど、焼き立てのパンがどれほど香ばしかったか、私の手を包み込んだおばあちゃんの手がどれほど温かかったか。
そんな、一番大切だったはずの『実感』だけが、すりガラスの向こう側へ消えてしまった。
思い出そうとすればするほど、記憶の色彩は薄れ、無機質な灰色の砂となって指の間をこぼれ落ちていく。
(私は……こうやって、自分の意志で自分を切り刻んでいくのかな)
前世で学んだ知識が、ふと頭をよぎる。
星の光は、何万年も前に放たれた恒星の燃えかす、過去の残像に過ぎない。
今、私の目に届いているこの輝きも、その光源はすでに死に絶えているかもしれないのだ。
今の私と同じだ。
外側から見れば「レイナ・アッシュベルク」という形を保っていても、内側は少しずつ死に、灰に変わっている。新調したばかりの制服も、この綺麗な寄宿舎の部屋も、今の私には不釣り合いな死装束のように思えてならなかった。
それでも。
私は、夜空に散らばるその光を「綺麗だ」と思ってしまう。
それは今の私の心の世界と、どこか似ていた。
灰色の虚無が広がる暗闇の奥で、ほんの数点だけ、手の届かないほど遠くで瞬いている何か。
今日、学生会室の外で私を待っていたリリィの眩しい『淡金』。カイルの静かな『薄青』。
それは私の世界を強烈に埋め尽くすほどの光ではない。触れようとすれば消えてしまいそうなほど頼りなく、遠い場所にある。
けれど、すべてを諦めて目を閉じてしまおうとする私の意識を、その微かな輝きが、繋ぎ止めている。
(……あんな光、私には必要なかったはずなのに)
ふと、おばあちゃんが昔話してくれた、古い言い伝えを思い出す。
――人は死んだら、空の星になって、大切な人を見守るんだよ。
非論理的で、何の根拠もない、ありふれたスピリチュアルな慰め。
私の持つ知識は、冷酷にそれを否定する。死体は分解され、元素へと還元されるだけだ。魂が光り輝くプラズマの塊になるはずがない。
けれど。
もし。もしも、この星空のどこかに、本当におばあちゃんの星があるのだとしたら。
今の私は、彼女の目にどう映っているのだろう。
彼女が命を懸けて守ってくれたはずの私という存在が、自らの手で思い出を削り取り、灰色の空っぽな器になろうとしている。その姿を見たら、おばあちゃんは悲しむだろうか。それとも、それでも生きていてほしいと笑ってくれるのだろうか。
夜空の星がどれほど遠くても、その光を「美しい」と感じる心だけは、術理では分解できなかった。
ベランダの手すりを握る指先が、わずかに灰色に透けて見える。
明日になれば、また「いつも通り」を演じなければならない。
中身が少し欠けてしまった殻のまま、眩しい太陽の下へ。
私はもう一度、遠い光を仰いだ。
死に絶えた過去の残像だとしても、今この瞬間の私を照らしてくれている。
たとえ物理現象としての正解が「無」だとしても、この夜空のどこかに、私の知らない温もりが残っていると信じたかった。
いつかすべてを忘れて真っ白な灰になるその日まで、この小さな「綺麗だ」と思う気持ちだけは、私の中に残っていてほしかった。
祈るような想いで窓を閉めると、部屋の暗闇が、少しだけ優しく私を包んだ気がした。
投稿した今日は私の住む所では星空が綺麗で、
それを見ているとレイナの心の中や、星に想いを寄せる年に等身大なレイナが浮かんで来てこの話を書いてみました




