7-10 さわって・変わって
そのとき、バルコニーの下からとどろくような声がした。
「……待ちなさい冬志!」
ぎょっと見ると、厳原のおじさんだ。
厳しい顔つきで外階段をのしのし上ってくる。おばさんも一緒で、今日はお兄さんもついてきていた。
お兄さんの鷹志さんは、俺も子どものころ何回か会っただけだ。
相変らずがっちりしたスポーツマンタイプで、ただ、おじさんと違って、飲まれるような異様な気迫はない。気は優しくて力持ち、って感じの人だ。
おじさんは母さんと父さんに会釈した。
「春花さん、申し訳ない。うちの息子が不躾なことを申しまして」
「ああ、いいえ、とんでもございませんわ」
母さんが微笑む。
でも、
「俺は譲るつもりはありません」
冬志さんはつかつかとバルコニーの手すりまで歩み出ると、パーティの参加者を見回した。
「今、この場にいる皆さんの前で、春花薫さんに結婚を申し込みます」
「と、と、と、と、と……!!」
冬志さん、と言いたかったんだけど、動揺しすぎて口が回らない。
ちょっと……ちょっと待って……!
「薫」
振り返った冬志さんが俺の前に跪いた。うやうやしく手を取られる。
艶のある漆黒の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
俺はのまれたように動けなかった。
狩野さんの花が静かにふりそそぐなか、冬志さんの声が凜と響く。
「たとえ相手が神でも、薫を渡したくない。俺に愛することを教えてくれたのは薫だ。薫のそばにいると俺は心が自由になる。薫のそばで、薫の自由な笑顔を護っていたい。俺と結婚してくれ」
おきゃくさんたちが静まりかえる。
こんな展開、ゲームにはなかったはずなのに……!
胸が甘く痛む。
こんなところで求愛されるなんて、まるで俺が望んでいる状態じゃない。もし受けたら、とんでもないトラブルが待ち構えているのも解ってる。
わかってるのに、でも、――うなずいてしまいそうだ。
冬志さんに哀しい顔をさせたくない。
そして、俺も、――俺も……。
でもそのとき、目の端に、バルコニーの下の人垣で動きが起きたのが入った。
瑞樹兄さんたちだ。
人をかき分けて前に出てこようとしている。
だめだ。
狩野さんがどういう計算をしてたかははっきりわからないけど、でも少なくとも糾弾イベントはうやむやになりそうだったのに……俺がOKしたら冬志さんは……!!
(……お断りしないと……!)
そう思った瞬間だった。
狩野さんが乗っていた雲がカッと輝いた。
空気をどよもす、雷のような怒号がとどろき渡った。
「神の想い人に手を出すか。慮外の痴れ者め、神威を受けよ」
続けて、
(もう面倒じゃ! そもそもワシは死神……おぬしが冬志を好きなわけでもないのなら、殺してしまえば手っ取り早いではないか!)
(か……狩野さん、殺すって……!?)
(これで仕舞いじゃ!)
振り仰ぐ間もなく、激しいフラッシュが焚かれたように、視界が真っ白な光に包まれ、音が消えた。
ビリビリと空気が震え、突き上げられるような衝動に重心が保てなくなる。
よろけて伸ばした腕になにかが触れた。それはすぐにずっしりとした重みになって、俺は、絡まり合うように後ろざまに倒れこんだ。
「いっ……たっ……」
したたか背中を打ったところで、床となにかに挟み込まれて、息が詰まる。
うぐ、と声もなく息が漏れたところで、耳元でうめき声が聞こえた。
「……薫っ……」
「!?」
冬志さんの声!?
苦しげなかすれた声に、慌てて俺は身体の上の重みに腕を伸ばした。
次第に視力が戻ってくる。俺はバルコニーの床に横ざまに倒れている。身体の上の重みは冬志さんだ。俺の胸の上あたりに冬志さんの青ざめた顔が載っている。青ざめてピクリとも動かない。
動かない……?
「……冬志さん?」
俺は伸ばした腕で冬志さんの肩にさわってみた。
「冬志さん…………」
息してない……?
血の気が引くのがわかった。
「薫さん!」
「冬志!?」
母さんたちが駆け寄ってくる。同時に、身体がふわりと宙に浮くのがわかった。
「えっ……!?」
慌ててじたじたするけど、まるで水の中で浮き上がっていくように、俺の身体はバルコニーから離れていく。
「だ、誰か! 冬志さんを!」
叫ぶと、飛びついた厳原のおじさんが冬志さんを抱えて大声を上げた。
「と、冬志!? 母さん、大変だ、医者を!」
俺の身体はガーデンハウスの二階建ての屋根まで持ち上げられていく。
首をひねって見下ろすと、場内は騒然としていた。
俺を指さしてなにか叫んでいる人たち、医者を呼ぼうとしているのか駆けだしていく冬志さんのお兄さん、寄り添って俺を見上げている母さんと父さん……。
「医者だ! 医者を呼んでくれ!」
「何が起きましたの、今!?」
「わからない、急にバルコニーに落雷が……!?」
冬志さんはタイルの上に横たえられて、襟元をくつろげられ、厳原のおじさんやおばさんが頬を打ったり心音を確認したりしている。慌ただしい空気のなか、冬志さんだけが土気色で身じろぎひとつしていなかった。
本当に死んでいるみたいだった。
(冬志さん……!)
狩野さん、さっき、殺すって……言った……?
そりゃあ狩野さんは死神だけど、でもそんな……簡単に人を殺すような人じゃ……。
(でもそう言えば……狩野さん、俺が転生の秘密を人に話したら殺すつもりでいた……ような……)
嫌な予感が強まっていく。
その間に俺はするすると、波に乗ったように引き寄せられて、狩野さん(大)の腕の中にぽすんと落ちた。
「……狩野さん……!」
近くで見ると、びっくりするくらい美形だ。
冬志さんは雄々しさと涼しさのあるキリッとした顔立ちだけど、狩野さん(大)は、エキゾチックというか、蠱惑的というのか……でも、小さい狩野さんと通じるものは感じる。
狩野さんを信じる気持はあった。
でも、確かに、死神の狩野さんと俺たちの常識は違う部分がある。そう感じたことは今までもあった。
俺は、キッと狩野さんをにらんだ。
「狩野さん……どうしてあんなことをしたんですか……!」
「だって、面倒じゃったんじゃもん」
「そんな問題じゃ……! お願いですからすぐに冬志さんを助けて下さい……! 冬志さんが……冬志さんが死んでしまったら、俺は……俺は……!」
言いながら声が震えた。情けないけどぽろぽろ涙が出てしまった。
でも必死で声を励ます。
最悪だ。
俺はただ、追放イベントから冬志さんを助けたかっただけなのに。
なのに、これじゃ……これじゃ、もっと悪い。
胸が切り裂かれるように痛い。ううん、俺の痛みなんてどうでもいい。
「冬志さんを助けてください……!」
狩野さんが一瞬、駄々っ子みたいにすねた顔をした。
俺はストンと雲のうえに下ろされた。狩野さんが座っていた足下は畳台になっていて、しっかりしていたけど、足下は高い。三階建てくらいの高さだろうか。それで手すりも何もない雲に乗ってるのだから、とにかく怖い。
いつもなら目がくらんでいただろうけど、もう俺にはそんな余裕はなかった。
狩野さんは不愉快そうに顔を歪めて、大きな声を出した。
「なんじゃ? おぬし、そこまであの者を助けたいのか?」
急に大声だ。
突然芝居がかった狩野さんに面食らったけど、俺は考える前にうなずいていた。
「はい」
「では、ワシの花嫁になることを承諾すれば、生き返らせてやっても良いぞ」
「!」
狩野さん、まだそれを言う?
(だけど、本当に……冬志さんを助けてくれる……?)
だったら……だったら…………。
そのときだ。
「かおちゃん、駄目だ!!」
「薫さん、冷静になって!」
「春花、簡単に信じちゃいけない!」
「ばっかやろ、おい、こっちを見ろ!」
「春花く~ん、ちょっと落ち着こうか」
ハッと見ると、瑞樹兄さんたちがバルコニーに駆け上がっていた。
「僕も異議がある!」
瑞樹兄さんがきっぱりと声を出した。
「かおちゃんの結婚相手として最もふさわしいのは、この僕です」
「今、そんな話をしてる場合じゃ……!」
うろたえて遮ろうとした俺にかまわず、瑞樹兄さんは続ける。
「しかし、二番目を選ぶなら、厳原冬志です」
俺は言葉を切った。
「僕はこの数ヶ月、婚約者としての厳原冬志を身近に見てきましたが、彼ほどかおちゃんに寄り添い続けた男はいません。家と家のあいだでの縁談だからといって、簡単に相手を変えてもいいとは思えません」
「僕も異議があります!」
次は宮くんだった。
「薫さんにふさわしいのは僕です! だけど二番目は、悔しいけど、厳原冬志さんです」
「そうだな」
桐谷さんまでのそりと出てくる。
「俺こそそいつを守れる男だと思うぜ。でも厳原冬志もわりと頑張っていた」
「僭越ですが、僕にも言わせて下さい……!」
次は四方田くん。緊張した顔で、
「僕は春花のために全力を尽くせます! もしそれと張り合えるなら、厳原先輩だけだと、思います」
どよどよしているなかで、最後にのんびりと歩み出てきたのは、占戸先生だった。
「なんなら、私が春花くんを引き受けてもかまいませんが……もしそれができないなら、次善の策は厳原くんでしょうね」
こ、これは……?
瑞樹兄さんが俺に仕方なさそうに微笑んだ。
「……婚約発表に異議申し立てをしようと思ってね。彼らも言いたいことがあるって言うんでついでに連れてきたんだ。……でも、……かおちゃんに悲しい顔をさせたくないから」




