7-7 はにはに
室内はしんとした。
窓越しに、ガーデンパーティの優雅な音楽と、笑いさざめく声が聞こえてくる。
「……え……?」
条件反射のように聞き返した母さんは、笑顔のままだった。
意味がわからなかったんだと思う。
冬志さんも察して、もう一回言った。
「薫さんと結婚することを、認めて下さい」
「……えっ?」
笑顔のまま小首をかしげる母さん。
俺は慌てて冬志さんの腕に手をかけて、注意を引いた。
「まってください、そんな急な……!」
「急じゃない。俺は薫の婚約者を引き受けてから、ずっとそのつもりで来た」
冬志さんは、まるで当然のことのような顔をしている。
「それがナシになったというほうが、急だ」
「ふ、振り回して申し訳ありませんでした」
うっ。やっぱり気にしてたんだ。
俺は反射的に謝ってしまった。
いや、でも待って待って待って。それはそうなんだけど、でも!
「で、でも、俺はまだ……そこまで考えられてないです……! なのにそんな、結婚の許可だなんて……!」
「薫は断ってもいい」
「え?」
「俺が求めているのは、結婚をしてもいいというご両親の許可だ。破談を発表するのを中止してもらいたい。実際にするかどうかは時間をかけて俺が薫を説得する」
冬志さんは眉間に焦燥をにじませていた。
……もしかして。
気がついた。冬志さんは、このあとのパーティの席上で、俺たちの破談が発表されると思ってるんだ。もしかすると、厳原のおじさんが詳しい段取りを伝えてなかったのかも。確かにおじさんは細かいことを気にしないタイプだし。
それで冬志さんは慌ててるんじゃないだろうか。
「説得する」という言葉も気になったけど、唖然としている母さんのほうが気になって、俺はあわあわと首を振った。
「冬志さん……今日は破談は発表しません、もしそのことを気にしておられるなら」
冬志さんの表情に、ふっと短い「間」があった。
「今日は何も発表しません。俺が倒れたことにして、パーティを中断するんです」
「……それは……」
「だから、あの、その話は今しなくても……」
だんだん声が小さくなる。
言いながら母さんが気になった。冬志さんも黙り込んで、――咳払いした。
耳が赤くなっている。つられて俺も赤くなってしまった。
「……そうか」
「は……はい……」
「……待っていただけます?」
母さんのおっとりした声が割って入った。ほっぺたに手を当てて、小首をかしげながら、
「どういうことですの……?」
ああ……。
そうだよね……聞くよね……。
見れば、当惑してるかと思った母さんは、意外にも真剣な表情だった。
「……つまりこういうことですかしら? 薫さんと冬志さんは……」
「はい」
冬志さんがうなずく。母さんは続けて、
「春花家の当主の座を狙っており、妹を蹴落としてでも後を継ぎたい……ということですかしら……それはいけませんわ、薫さん。春花家は代々女性当主によって護られてきたんですわ」
「ち、違います!」
母さんって発想が春花家基準だから……!
「違います、俺はそんなこと……!」
「でも、結婚はもともと跡継ぎのためでしょう?」
「そうではありません。俺は薫さんとの結婚を認めていただけるなら、春花家の後継者の座に執着するつもりはありません」
冬志さんが声を改めた。俺は慌てて、
「ま……待って下さい、その話も今は……混乱しますから……!」
「いや、詳細はあとで話すにしても、これだけは誤解されたくない。俺は薫さんを愛しています。これからの人生を共にしたいと願っています」
「ととととと冬志さ……!」
「ま……まあ……」
「ですが薫さんにはまだ承諾はいただいてません。結婚を申し込む為に、ご両親のご許可をいただきたいのです」
「礼儀正しくていらっしゃるわ」
母さんは感心したみたいに胸の前で手を組み合わせた。
冬志さんの発言の内容には驚いてないみたいだ。
さすが母さん……。
「……薫さん、あなたもそう考えているの?」
母さんが俺を振り返る。ドキッとした。
「お、俺は……ええと……」
冬志さんの視線を、穴が空きそうなくらい横顔に感じる。
ご……ごまかしてもしょうがないよね。
どうなるかわからないけど、とにかくもう冬志さんを傷つけたくない。
俺は精一杯真剣に母さんを見つめ返した。てのひらが汗でいっぱいになったけど、できるだけ声が震えないように、
「と……冬志さんを好きです。け、結婚とかは……考えてなかったので……驚いてますけど……でも……す、す、好き、です」
「まあ……」
母さんは頬を押さえた。途方に暮れた表情だ。
「できれば喜んであげたいのですけれど……そうもいきませんの。わかるでしょう?」
「はい……」
「愛する人と結ばれてほしい気持はありますのよ。でもあなたが男の人と結婚するなんて……」
「はい……」
そうだよね……。息子が男性を好きだなんて、突然言われたら混乱するよね……。
「あなたは次期当主になる意思があることになり、春花家は分裂してしまいますわ!」
「……」
え?
俺は思わず母さんを見つめた。
母さんは考え込みながら、
「きょうだいの間で後継者が割れたら一族の分裂も招きかねませんわ。古今東西、実例はいくらでもありますのよ。妹が生れる以上、冬志さんとの結婚を認めることはできませんわ。あきらめて忘れてちょうだいね」
「……問題はそこなんですか……?」
「え? ほかに問題ありますかしら?」
母さんは真剣だった。
俺の肩に手を置いて、
「わかってちょうだい、薫」
母さんが「さん」をつけないのは本気の時だ。
子どもの頃から、母さんは決して声を荒らげないけど、代わりにこうやって、静かに「薫」という。「決して譲りません」という意思表示なんだ。母さんは頑固なので、そうなると絶対に引かないのはわかっている。
母さんの反対は、それは予想できることだったけど……理由が全然思ってたのと違った。
た、確かに……それは避けなきゃいけないけど……。
でも毅然とした冬志さんの声が遮った。
「決して春花家にご迷惑はおかけしません。薫さんの名字が変わればさえかまわないはずですよね。でしたら薫さんを我が家に迎え入れます。問題なく薫さんの妹さんが後継者になれます」
「と、冬志さん……!」
「まあ……でしたらそうですわね……」
「母さん?」
俺を無視して話が進んでいく。
「ですが、そんなこと、軽々しくおっしゃってはいけませんわ。厳原家としての意向もございますでしょ」
「父は説得してみせます」
「でもね……」
「母さん! 冬志さん!」
俺はたまらなくなって思わず叫んだ。二人がハッとしたように俺を見返る。
「勝手に話を進めないで下さい!」
「……そうでしたわね」
「……そうだった」
母さんがポンと手を叩く。
「……驚いてしまって、用件を忘れてましたわ。ともかくもう時間がないの、さ、庭に戻りますわよ! 倒れたふりの練習は覚えてますわね?」
「は、はい!」
「俺も行きます」
「いいかもしれませんわね、異常を感じ取られなくてすみますわ」
「はい」
「……えっ!?」
と、冬志さんをパーテーの場に出したら駄目だ……!
部屋を出て行く母さんと冬志さんを追おうとして、俺は、ハッと足を止めた。
母さんの頭上に――
(狩野さん……!?)
ドアの上に狩野さんが座っている。
狩野さんは「しっ」というようにくちびるに人差し指を当ててみせ、軽くウィンクした。
「まあ見ておれ。悪いようにはせんから」
えっ……?
見回すけど、前の二人には何も見えてないし聞こえてないみたいだ。
悪いようにはしないって……。
決して……狩野さんのこと信用してないわけじゃないんだけど……。
俺の中には不安のほうがむくむくふくれあがっていく。
ああ……。
どうしてあとちょっとなのに、最終日までごたごたするんだろう?




