7-4 こんにちは
「春花くん!」
青空の下、手袋をはめた白い腕が、しなやかにひるがえる。
芝生を踏んで近づいてくる設楽さんは、今日は上品なグリーンのサマードレスに、女優さんみたいな帽子をかぶっていた。はばの広いつばの下で、華やかな笑顔が輝いている。
大柄な紀尾井さんも、その横でゆったりと微笑んでいた。
近づいてきたふたりに、俺は笑顔で会釈した。
今日は俺も、おろしたてのスーツ姿だ。
「設楽さん、紀尾井さん! 来て下さったんですね、ありがとうございます」
「お招き嬉しいわ。お誕生日おめでとう!」
「おめでとう。いいパーティだな」
「お天気もいいし、婚約日和ね」
うふふ、と口元を押さえて笑う、白いしなやかな指には、ルビーの指輪が光っている。
左手の薬指だな――なんてぼんやり思ってから、俺はその意味にやっと気がついた。
「あの……さしでがましいようですが……」
「あら、気がついてくれたの? そうなの、とうとう両親に結婚を認めさせたわ!」
二人が顔を見合わせて笑い声を立てると、それだけで幸せの空気が足下までこぼれ落ちるみたいだ。
つい俺も笑顔になってしまう。
「おめでとうございます!」
「ありがとう。お式は来年になるんだけど、ぜひ厳原くんといらしてね。……そう言えば、春花くんは婚約指輪はまだなのね?」
無邪気に手元に目を向けられて、どきんとしてしまった。
「ええと、はい、一応、まだ正式には発表してないので……」
「そうなのね。だから厳原くんと一緒じゃないの? 今日発表するんでしょう?」
設楽さんはカクテルのグラスを片手に、人を探すみたいに会場を見回した。
「見当たらないわね……本日のもう一人の主役のはずなのに」
またどきんとしてしまいながら、俺は曖昧に笑った。
紀尾井さんの言うとおり、今日は本当にガーデンパーティ日和だ。晴れて少し暑いけど、湿気がないから、空気は爽やかだ。
街中とはとても思えない、ゆったりとしたイングリッシュガーデンが広がっている。
コテージガーデン風の、木立に囲まれた緑の芝生に、睡蓮の浮かんだ小さな池。真っ白な天幕があちこちに張られ、芝生も木立も、青々とした湖の湖面も、日差しでキラキラと輝いている。
そのあいだで、招待客の皆さんが賑やかに談笑していた。
その会場のどこにも、冬志さんのスッと真っ直ぐに伸びた長身は見当たらない。――はずだった。
来ないでほしいってお願いしたんだ。
俺の独断だ。
もちろん今日のパーティの本題は、俺の跡継ぎとしてのお披露目と、冬志さんとの婚約の発表だ。
修陵院ではもう公然の話題だから、今日の出席者も大半はもう知ってるのかもしれないんだけど、世間的にはまだ公表されてない建前になっている。
だから冬志さんの出席は必須だ。
母さんたちは、俺が倒れたことにして発表を延期する予定でいるけど、だとしても婚約発表に備えているかのごとくふるまわないと怪しまれてしまう。
でも……。
最後の最後で、俺にはまだ不安があった。
今までを振り返ってみると、シナリオの細かいところは変更できても、大きなイベントはほとんどそのままだったからだ。
ということはもしかすると――冬志さんの追放イベントは避けられないかもしれない。
俺は狩野さんと話したあとで、手紙を書くことにした。
「なんとか理由をつけて、パーティには来ないで下さい。冬志さんの身に良くないことが起きるかもしれません」
これを、狩野さんに頼んで、こっそり届けてもらったんだ。
冬志さんがこの場にいなくて、婚約発表もしないなら、追放イベントはさすがに起きないんじゃないだろうか。
あとは狩野さんと相談した段取りどおりに……。
和やかなパーティを眺めているふりをしながら頭の中で復習してる横で、設楽さんたちが楽しげに話合っている。
「なんだか、修陵院での春のガーデンパーティを思い出すわ。紀尾井くんはどう?」
「そうだな。あのころはまだつきあってなかったけどな」
「そうね! 想像もしてなかったわ。そうそう、アルコールもなかったわね」
「君がこんなに酒豪だなんて、想像もしなかったよ……」
笑い合うふたりの幸せいっぱいな姿を見るにつけ、俺の決心も強くなった。
(……俺も、今日こそ全てに蹴りをつけて、肩の荷を下ろすんだ……!)
頑張れ、俺!
この戦いもあと少し……!!
そのとき、紀尾井さんがひさしを作るように額に手を掲げ、明るい声を上げた。
「おっ、来た来た。春花くん、君の婚約者のお出ましだ」
「……えっ?」
紀尾井さんが目配せして示してくれた先に視線を送って、俺は凍り付いてしまった。
誰かを探すようにしてマナーハウス風の建物から出てきたのは、そう、冬志さんだった。
――ちょっと待って……!!
何度も見直してみたけど、間違いない。黒いスーツ姿の冬志さんだ。
どうして最後の最後まで思うようにいかないんだろう……!?
「申し訳ありません……失礼します……!」
俺は咄嗟に飲み物をそばのテーブルに置いて駆けだした。
「……どうしていらっしゃったんですか……!」
母さんたちの目につかない場所を探して駆け込んだのは、ホテルの一室だった。
ホテルと言っても別館で、庭とセットになっている建物だから、今日の日中は庭と一緒に貸し切りだ。
イギリスのマナーハウスをそのまま移築したという建物は、時代がかっていて雰囲気がある。
俺が冬志さんの手首をつかんで駆け込んだ部屋は、大きな窓から会場を見渡すことができる明るい部屋だった。シックな花柄の壁紙と、色合いを揃えたブルーのソファーセットがあり、ひとけはない。
ドアを閉めて、俺はへたへたとドアを背にしゃがみこんだ。
「……手紙、ご覧にならなかったんですか」
「今朝見た。いつ学生鞄に入れた? 昨夜は気付かなかった。気がついたからよかったが……まるで沸いて出たようで驚いた」
「そ、そうでしたか」
そこは笑ってごまかしておいて、
「せっかく来ていただいたのに失礼なのは承知しています。でも……今からでも間に合いますから、どうか席を外していただきたいんです、お願いします!」
「これが婚約者としての最後の義務だろう。……終わったあとで話もある」
「お願いします、帰って下さい」
「……なぜだ。……俺に良くないことが起きるというのはどういう意味だ」
冬志さんは眉をひそめた。
……このときほど、全部話したい気持ちに駆られたことはなかった。
それで冬志さんの追放イベントを避けられるなら……。
でも、狩野さんとの約束もある。
狩野さん、物騒なこと言ってたし……。
「……お願いします。冬志さんを守りたいんです」
「……何を隠してるんだ。話せ」
冬志さんは眉をひそめて一歩踏み出した。
顔をのぞき込むように、俺の前に膝を突く。
そんな場合じゃないのに、不意にドキッとした。
昨夜の冬志さんの姿勢を思い出させられて。
(……冬志さん、あれを夢だと思ってるんだよね……?)
……落ち着け。
今はそれどころじゃない。
俺は今、普通じゃない状況にいる。自分の気持もよくわからない。
こんな気持で冬志さんに返事はできない。
決めたのは俺だ。
しっかりしろ。
俺は冬志さんに見えないように、ぎゅっとこぶしを握りしめた。爪をてのひらに食い込ませて、痛みで動悸を静まらせる。
冬志さんを見上げる表情は、平然としていられた、と思う。
(……全部話さなければいいはず……)
「……俺は」
俺はできるだけ声を励ました。
「……今からこのパーティで起こることを、知ってるんです」
冬志さんは眉間にしわを寄せて、
「……それはもちろん、予定されている進行は俺も聞いているが」
「ええと……いえ、そういうことじゃなくて……想定外のハプニングが起こるんです」
「……おまえが何かするということか……?」
「いえ、起きないかもしれません。まだはっきりしないんです。でも、もしそれが起きたら、そのせいで冬志さんに迷惑をかけてしまいます。だから俺は、冬志さんに席を外しててほしいんです」
「待て」
手をあげて、
「……話が見えない」
困惑している冬志さん、というのは珍しい。
でも無理もない。
俺は一生懸命言葉を探した。
「信じられないのも当然だと思います。だから今までなかなかお話しすることができませんでした。あの……冬志さん、どうして俺が花婿候補のことを知っていたのかって、先日質問されましたよね。わかって行動してるみたいだって。そうなんです。俺には前もってわかってたんです」
「……待て」
冬志さんは考えをまとめるように額をおさえて、
「……ますます混乱した」
「……す……すみません……」
「……つまり、おまえには未来を見通す能力が備わっている……いわゆる予知能力、というような。そんなことを言おうとしてるわけじゃないだろう」
「えっと、そうですね……ええと……」
頭の中で、昨夜の狩野さんとの話を点検してみる。
要は、狩野さんが間違えて前世の俺を死なせたことからトラブルが始まったってことが、バレなければいいわけだから……。
「……は、春花家の跡継ぎには、お稲荷さんのお告げが、お守りとしてついてるんです……!」
俺はできる限り、真っ直ぐに冬志さんの目を見る努力をしながら言った。
完全なバランスで整った冬志さんの顔は、動かなかった。
一瞬経って、
「稲荷……?」
初めて聞いた単語のように聞き返された。
「はい……!!!」
もうこれで行くしかない。押し切るんだ、俺。
俺は全力でこっくりした。




