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7-3 歩き出せ、クローバー

 俺は呆然と冬志さんを見上げていた。

 冬志さんも視線を下ろし、身体を見回しながら、


「……なんだ……?」

「と、冬志さん……!」


 ど、どうしよう。

 いったい何が起きて……!?

 とっさに俺は冬志さんをつかまえようと腕を差し伸べた。冬志さんも腕を伸ばし、


「薫!」


 俺たちが差し伸べた指が、あとちょっとで届きそうになったとき――


 ぷつんと冬志さんが消えた。

 まるで、誰かがさっと腕を動かしてかき消すように、目の前から消えたんだ。


 き……消え……た……?


 俺は、ベッドに座ったまま呆然と凍り付いていた。

 声も出ない。

 俺の前には、カーテン越しに青ざめた夜の光がうっすらと満ちた、いつもの自分の部屋だけがあった。

 

 今のも……夢だった……?

 俺は……まだ寝てる……?


 ほっぺたをつねってみる。

 い、痛い。

 ということは……もしかして、現実……?


 だんだん状況がつかめてくるにつれて、俺はがたがたと震えが止まらなくなった。


「とっ……冬志さん……!?」


 声も裏返ってしまった。


 冬志さん、いったいどこに……!? 何が起きて……!?

 

 ――と、 

 

「……ごほん」


 空中から咳払いがした。


「!!」


 とっさに振り仰ぐ。

 天井近くで狩野さんが正座していた。気恥ずかしそうな表情でそっぽを向いて、ほっぺたをぽりぽりしている。


「……お取り込み中……スマンかった……」

「狩野さん!」


 空中で苦笑いしている小さな少年を見上げて、急激にへたへたと力が抜ける。

 よくわからないけど……よかった、狩野さんがいるなら、多分大丈夫だ……。


「今……冬志さんが……消えちゃったんです……!」

「ワシじゃ、スマン。冬志は部屋に戻した。目を覚ましたら、勉強しながらうたた寝したのかと思うじゃろ。いいところで邪魔をしてすまんかったが……許してくれ、あれ以上コトが進んでしまうと、ワシの存在に疑念を持たれてしまう……」

「コト……?」


 きょとんとして聞き返してから、ハッと記憶がよみがえった。

 そ、そうだった。

 急に冬志さんが消えたことで頭から消えてたけど、俺と冬志さんが話してたのは……。


(き、聞かれてた……!?)


 思わず顔が熱くなる。

 

「……い、い、いつから……いたんですか……!?」

「……最初から……」

「ええええええ!」

「聞くつもりではなかったんじゃ!!!! 冬志を戻したかったんじゃがタイミングがつかめなかったんじゃ!」

「か、か、狩野さん……!」

「すまん、続きは邪魔せんから、今度会ったときにしてくれい」

「かかかかか狩野さん!」


 は、は、恥ずかしいけど……。


 ……でも、もしかしたらこれでよかったのかもしれない。

 俺は、冬志さんへの返事をどうすればいいか、思いつけてない……。


「なぜそうなるんじゃ?」


 狩野さんはいぶかしそうに、


「お主、好きなんじゃろ、冬志のことが。それくらいは見ていればわかるわい」

「……う……」

「で、ええと……明日か? いや、もう今日じゃな、今日のイベントでシナリオ終了なのじゃろ?」

「はい」

「だったら婿にすればええじゃろ? ワシとしては、ワシのミスさえごまかせれば、お主が誰を婿にしてもかまわんのじゃ。だったら好きな相手を婿にすればええではないか」


 けろっとして言う狩野さんに、俺は曖昧に笑った。

 自分の気持ちをどう説明すれば良いかわからない。


「……でも……もう、婿は取らないんです」

「なぜじゃ。それとこれとは別じゃろ? 好きなら婿にとればよいではないか」

「……今まで、母さんたちが同性の男の人とつきあうのを歓迎してたのは、跡を継ぐためでしたから……」

「……ハッ」


 急に狩野さんは思い当たったように青くなった。

 ストンと俺の隣に腰をかけて、


「そうか! そうじゃったな! この世界はそうじゃった、同性の扱いはそうじゃった……ええっ、待てよ、じゃあワシのせいではないか」

「え?」

「ワシが新しい跡継ぎを連れてこなければ、お主はそのまま冬志と婚約者でいればよかったんじゃろ? そして結婚できたんじゃ」

「……あ……そう……ですね……」


 狩野さんは額をたたいて、ベッドにひっくり返り、足をバタバタさせた。


「スマン、まことに相スマン……!! お主に関しては、何から何までワシのすることは裏目じゃ……!!」

「……いえ、いいんです、狩野さんのせいというわけじゃ……」


 あんまり狩野さんが落ち込んでいるので、なだめようとして詰まってしまった。

 「狩野さんのせいじゃない」と断言するには、けっこう狩野さんのせいでもあるな……。もともとこのゲームの世界に転生したのからして狩野さんのチョイスミスだったし……。


「……あ、でもやっぱり、悪いことばっかりじゃありません」


 ふっと俺は気がついた。


「冬志さんが言ってくれたんです。俺を初めて見た日のこと。俺が蝶を逃がしたって話を」

「ああ、うむ、言うておったな」


 あらためて言われると恥ずかしいな……。

 俺はまた赤くなってしまいながら咳払いして続けた。


「それで俺、なんとなく思い出したんです。狩野さんがいつか話してくれたこと。バタフライ効果の話」

「うむ」


 狩野さんも覚えていたみたいだった。

 興味深い話だったから、とてもよく憶えてる。

 小さなことの結果が、連鎖しながら影響を与えて、いつか大きな変化を引き起こす。

 蝶の羽ばたきが、やがて竜巻を起こすように。そんな話を、狩野さんはしてくれた。


「俺と冬志さんの関係は、〈はなこい〉と全然違います。どうしてだろうってずっと不思議だったけど……、冬志さんの話を聞いてて、わかった気がしたんです。それは、俺が蝶を助けた日に始まったんだって。だから冬志さんは俺と友達になってくれた。そしてここまで俺を支えてくれた。おかげで俺は、シナリオのクライマックスまで無事に乗り越えてこられました……」


 冬志さんが助けてくれなければ、俺はどこかでフラグを折り損なっていたと思う。

 俺は、俺に好意を持ってくれる人に弱い。

 自分が相手を好きかどうかわからないまま、飲み込まれて流されてただろう。


 いま思えば、俺が「好きじゃない人と結ばれたくない」ことにこだわれたのだって、冬志さんへの淡い気持ちがあったからなんだ。そう思う。


「……そしてきっと、俺がそのとき蝶に気付いたのは、俺の身体が弱かったからなんです。冬志さんは、ほとんどの子が蝶に気付かなかったって言ってました。他の皆さんが特に冷たいってわけじゃないと思うんです。

 ただ、俺は身体が弱くて、いつもいちばん後ろにいる子だったから……、他の子たちの背中を見て、ついていけなくて淋しく感じてるような子だったから……蝶に気がつけたんじゃないかって思います。だったら……俺は身体が弱くて良かった。いいことなんてひとつもないって思ってたけど、冬志さんと出会えたんだから、よかったんです」

「薫……」

「……狩野さんの話によると、俺の身体が弱かったのって、狩野さんのせいなんでしょう?」

「そ……そうか、そうじゃな……!」


 俺が笑いかけると、狩野さんはホッとしたように笑顔になった。


「……ありがとうな、薫。ワシのほうが慰めてもらって、申し訳ない……」

「そんなことないです」

「……わかった。今日はワシが冬志のぶんもお主を助けてやろう」


 狩野さんは急に張り切りだしたけど、そ……それはそれで不安かもしれない……。

 

「ふむ。今日はどういうことになってるんじゃ?」

「ええと……俺の誕生日パーティで、シナリオのクライマックスになります。

 本来は、俺を跡継ぎとして紹介し、婚約者の冬志さんをみなさんにご紹介して、異議を問うイベントです。そしたら、好感度が一定以上になっている〈花婿候補〉が名乗り出て、冬志さんの傲慢な行ないを糾弾し、ヒロインにプロポーズするんです」


 結果として、両親はそんな冬志さんは婿には迎えられないと判断し、結婚は破談に至る。

 冬志さんはいたたまれなくなってその場を去り、修陵院もやめてしまう。実質的な追放イベントだ。これはどの種類のエンディングを迎えようと、絶対に通ることになっているイベントだった。


 次に、ヒロインは〈花婿候補〉を選び、ヒロインの両親もそれを承認する。


 どの〈花婿候補〉を選ぶかによって、「○○エンド」という名前が付く。

 瑞樹兄さんなら「瑞樹エンド」。四方田くんなら「四方田エンド」だ。


 他にも、全ての〈花婿候補〉の好感度を最高度にできていたら、逆ハーレム――つまりヒロインが誰を選ばずとも、〈花婿候補〉たち全員に愛される「逆ハーエンド」になるという。恐ろしい。


 このへんがいわゆる「グッドエンド」と呼ばれていた。

 俺としては「バッドエンド」と呼びたいところだけど……。


 ほかに〈ノーマルエンド〉というものがある。

 これは、〈花婿候補〉たちとの関係を絶妙なバランスで保ち、みなが同じ好感度のときにだけ起こるらしい。

 冬志さんが追放されることで、冬志さんとの婚約からは解放される。

 だけど、〈花婿候補〉とも両想いにならない。

 ヒロインは「家のための結婚はしない」と宣言し、晴れ晴れと将来の夢に思いをはせる……というエンドだ。


 乙女ゲームのテーマを「恋人をゲットすること」と考えるとバッドエンドなのかもしれないけど、俺としては、これはこれで爽やかな良い終わり方だと思う。

 俺にとっては、このノーマルエンドがグッドエンドだ。

 かつ、冬志さんと破談になりつつ、学園からの追放は阻止する。そういう、針の穴に糸を通すような、ところをめざしてきたんだけど。


「……あとはもう、心配ないと思うんです。跡継ぎにならないのなら、婿は取らなくていいので、自然とノーマルエンドを選べるはずです。俺の誕生日パーティも、途中で中断する予定だから、冬志さんの追放イベントも起こらないはずですし……」


 そう。

 諸事情を勘案して、俺の誕生日パーティは予定通り開催されることになっていた。そこで、俺の体調が悪いので仮婿の発表を遅らせる、と発表する――という段取りだ。

 シナリオは誕生日パーティまでで終わり。

 と、なると、俺の苦闘も今日ここまでのはずだ。


 はずなんだけど……。


「……いままでのことを思うと、そんなにうまくいくわけないって気がするんですよね……」


 俺は思わずため息をついてしまった。


「まあそうじゃな。お主のここまでの様子を見ていると、油断はできん」

「そ、そうですよね」


 狩野さんは腕組みして、


「ワシとしては助けてやりたい気持ちもあるんじゃ。ここまで来れば情も湧く。おぬしに礼もしたいしな」

「お礼? ですか?」


 お礼を言われるようなことがあったかな……?


「ワシのことを、最後まで隠し通してくれたじゃろ。ありがたいと思っとるんじゃ」

「狩野さん……」

「まあ、どうせバラせはせんのじゃが。なんせ、もしお主が誰かに話したら、その瞬間すぐに永遠の眠りにつくようにセットしといたからのう。目が覚めているということは、隠してくれたということじゃ。ありがとうな」


 ちょっとうるっとしたのに、悪気のない笑顔で怖いことを言われた。


「そんなことになってたんですか!? 黙っててよかったです……!」

「とにかくそういうわけじゃから、ワシとしてはお主のよいようにしてやりたいんじゃ。お主はどうしたいんじゃ、言うてみよ。冬志と結ばれたいなら手伝うし、結ばれたくないのならそれもよい」

「俺がどうしたいか……?」


 俺は面食らって狩野さんを見つめ返した。

 俺がどうしたいか……?

 

 俺は最初からずっと同じことを言ってるのに、どうしたんだろう。

 もちろん、平穏に暮らしたい。

 それでいい。それだけでいい。 


「俺は……とにかく、今日の誕生日をやり過ごして、平和を手に入れたいです。それがいちばんです」

「本当か?」


 狩野さんは不思議な表情をしていた。怒っているような、あるいは淋しそうな……。


「狩野さん……?」

「薫」


 狩野さんは静かに言った。


「もしも、周囲とぶつかってでもかなえたい夢が見つかったなら……それは、絶対になくしてはいかんものじゃ。……よいな。これだけは、覚えておれ。そのときは、ワシはお主に協力してやる。この約束を、忘れるな」

 



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