表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
66/80

6-12 フェイクファー

 その瞬間、俺は意識を夢の中からもぎ離した。


 違う。

 これは、違う。

 俺の大切な記憶のなかの、その人は――……!


 絡みついてくる糸を断ち切るように、俺は目を開け、大きく喘いだ。

 月光の落ちるベッドの上。俺の上に影のように覆い被さる、その人を見上げる。

 

「……あなたじゃない」


 俺はもがいた。

 でも、腕をいましめるその人の力のほうが強かった。その人――占戸先生の顔には悠揚とした笑みが浮かんでいる。白皙の美貌は壮絶なまでの迫力があった。


「……やっとわかった。君を護っていたものが」


 勝ち誇ったように告げる占戸先生。

 俺はその顔を呆然と見上げた。


 ちがう。

 この人じゃない。

 占戸先生じゃない。

 あのとき、俺とみずみずしい野イチゴを摘んだ人。

 厳格そうに見えるけど、本当はとても優しい。


 あれは。 


 冬志さんだ。 


 記憶が奔流のように頭に流れ込んでくる。


 俺の幼なじみは、占戸先生なんかじゃない。

 冬志さんだ。

 

 初めて会った日、傘を取り返してくれたのも。

 初めて図書館に行った日、俺を支えてくれたのも。

 

 何もかも冬志さんだった。

 

 野いちごを一緒に摘んだのも冬志さんだ。

 それだけじゃない。

 あの日、俺は帰るなり熱が出て寝込んでしまった。

 きっと、野いちごをさがしている途中から熱が出ていたんだろう。あの日の記憶は途中から曖昧で、おぼえてなかった。

 でも今、占戸先生の夢で、埋もれていた記憶が蘇った。


 あのとき、冬志さんは俺のひたいに優しくキスをした。

 そして、俺の手をそっと握りしめた。俺はきょとんと見上げていた。

 冬志さんのくちびるが、小鳥の羽根のようにそっと、俺のくちびるをかすめた。冬志さんは頬を赤らめて、でも真っ直ぐ俺を見た。


「好きだよ、薫」


 静かな、真面目な声だった。

 俺はきょとんとしていた。その行為の意味は、そのときの俺にはわからなかった。ううん、知識はあったんだけど、結びつかなかったんだ。

 ただ、好きだって言われたことだけが嬉しかった。

 今考えると、俺はもうそのときには熱が出てたんだと思う。子どもの頃は、しばらく日光を浴びてるだけで熱が上がっていたから。

 俺は、冬志さんに「俺も大好きです」って言いたかった。

 だけど俺は高ぶる感情を抑えられなくてぽろぽろと泣き出し、そのまま意識は遠のいた。――次に気がついたらベッドの中。かかりつけの先生に診てもらっているところだった。そして、冬志さんがおんぶして連れ帰ってくれたと教えてもらったんだ。


 胸が震えるみたいだった。

 冬志さんは、あの野原で、俺を好きだって言ったんだ……。

 なのに泣き出して意識をなくした俺を、冬志さんはどう思ったんだろう。

 俺を嫌うようになったことに関係あるんじゃないだろうか。


 ――いや。

 

 そのことも大事なんだけど。

 じっくり考えたいんだけど。


 でも、今はそれどころじゃない。


 もう一つのことを俺は思い出していた。まるで魔法が解けるみたいに頭がすっきりして、記憶が戻ってくる。

 

 状況を整理しなきゃ。

 俺は占戸先生に押し倒されている。

 先生はすっきりとした黒いシャツを着ている。

 髪もととのえられ、メガネは消えて、男らしい大ぶりな目鼻立ちが見て取れる。こうやって見ると華やかな美貌。外国人の血が入っているのかもしれない。身につけている黒ずくめの衣装のせいで、先生は影のように見えた。

 目だけが金色に輝いている。

 そう、ダンディ。

 今の先生に対してならそう言える。そして俺は思い出した。


 先生の、〈スチル絵〉を。


 バラに囲まれたベッドで、頭上から注ぐ月光を浴びて、たくましい腕に押し倒されるヒロインの絵。その頬にかかる髪を優しくかきのけるのは、占戸先生だ。


 占戸先生は、〈花婿候補〉だ。


 そのうえ人間じゃない。


 修陵院学園に勤める、平凡な保健教諭。少しおさまりの悪い髪と、眼鏡越し、垂れ気味の右目の目尻には泣きぼくろがあって、それが崩れた色気をかもしだしている、と、女子生徒や、それ以上にお母様方に絶大な人気を誇っている……云々かんぬん。

 そんなのは仮の姿だ。


 先生の正体は、吸血鬼の血を引くハーフ・バンパイア。


 ハーフと言うからには半分で、人間との混血の種族らしい。

 だから、バンパイアと違って生きている。日光に当たっても平気だし、人間の普通の食べ物で生きていける。寿命には限りがあるけど、人間と違って千年弱くらいは生きられるらしい。人間から見るとほとんど不死だ。

 今は外見的には三十代だけど、実際は四百年くらい昔の生まれだったはずだ。外国から渡ってきたのは数年前。

 先生は、精気を吸おうとしてヒロインの夢に入り、ヒロインと逢引きを重ねていく。

 人より長く生きる先生は、人との関わりを暇つぶしとしか思ってなかった。夢のなかでちょっと遊んで、精気をもらうだけ。そのつもりだった。

 でも、ヒロインの心に触れて変わっていく。そして、「人の心を操っちゃいけない」と叱られて、ヒロインの凜とした信念に心を打たれ、本当に愛し合うようになるんだ。

 すごい勢いで記憶が蘇ってくる。


 ここは夢の中。先生の術の中だ。

 俺は今、大ピンチなんだ――……!


(なんっで! どうして! 今までスチル絵が見えなかったんだろ!?)


 頭の中で叫んじゃったけど、実はその理由も思い出していた。


 占戸先生の力は、幻惑。

 ゲームのシナリオでは、ヒロインの夢を通して幼少期の記憶に入り込み、自分が古い昔からの知り合いだったように思い込ませた。そして警戒を解いた。

 ヒロインには幼なじみがいない。

 でも俺には冬志さんがいたから、冬志さんのポジションに入り込むことになってしまったんだろう。

 もしかすると、ずっと忘れていた冬志さんの言葉を思い出せたのは、占戸先生の魔術で記憶が刺激されたせいかもしれない。だったらそれは感謝しなきゃいけない……感謝する気にはちょっとなれないけど……。

 

 本当はいろんな場面で少しずつ記憶は戻っていた。

 でも先生の術にかけられて、頭がぼんやりしていて考えられなかったんだ。


 例えば、夢のなかで「蓮哉さん」は俺よりほんの少ししか年上じゃなかった。

 当然だ、冬志さんと入れ替わってたんだから。

 だけど考えてみれば、占戸先生は見た目年齢だけでも十五歳は年上だ。そんなに年が近いはずがないんだ。初等部で出会うなんてこと、そもそも起きるわけがなかった。


(あ……あ……危なかった……!)


 身体がガタガタ震え始めた。


 いや、「あぶなかった」じゃない。

 現時点で危ない。


 俺はバラのベッドで、占戸先生に押し倒されている真っ最中だった。


「せ、せ、せ、先生……?」

「……ああ。術が解けたか」


 先生のくちびるが、妖しくほほえむ。その手のひらが俺の頬を撫でた。


「ややややめてください!」

「俺を弾き飛ばせるなんて、滅多にないことなんだが。……しかしおかげで、護りの正体がわかった」

「ま、ま、護り?」

「そう。今まで何度も、きみを俺のものにしようとするそのたびに、君の夢から弾き飛ばされてきた。さっきの君の記憶でわかったよ。君を護り続けてきた騎士殿の正体は、厳原冬志だ」

「冬志さん……?」

「そうだ。……相手を純粋に想い、心から捧げられた口づけは、いつまでもその人を護る。……あの夢の中で、厳原冬志がきみに与えたくちづけだ。それが、魔族である俺をしりぞけ、君を護っんだた」


 冬志さんが、ずっと俺を守っていた?

 こうやって離れていても……夢のなかでも……?


(……冬志さん……!)


 胸が一杯になった。


 ずっと考えてた。

 冬志さんを好きかもしれない。そう気付いてからも、俺は少し迷ってた。

 俺は友達がいないから、冬志さんが特別な人だと感じるだけかもしれない、って。

 だけどそうじゃない。


 だって、占戸先生に触れられるのはいやだ。

 幼なじみだって思い込んでたときでも、それでも。


 冬志さんに触れられるのはあんなに幸せだったのに……。


 占戸先生の指が俺の頬とあごに触れた。顔が近づいてくる。


「薫……」


 とっさに俺はキッと先生をにらみ返した。

 今まで感じたことがないような――本当に生まれて初めてかもしれない――怒りがこみ上げてきて、俺は手を上げ、ぱん、と音を立てて先生の頬を打った。


 占戸先生がハッと身を引く。


「……薫」

「こんなのひどすぎる。俺は、先生のおもちゃじゃありません……!」


 先生の身体を突き飛ばして、できるだけ素早くベッドから飛び降りた。見回したけど戸口はない。窓も、高い天窓だけだ。夢の中の部屋だから、どうにでもなるんだろう。

 サッと目を走らせると、壁にサーベルが飾られているのが見えた。


 体育の授業で習ってて、よかった。

 あれなら、下手だけど使い方は知ってる。


 俺はサーベルに駆け寄って、手に取り、先生に向かって構えた。

 武器を突きつけるなんて、夢の中とは言えやりたくない。でも、いつのまにかシナリオがここまで進んでいた以上、最大限に拒絶しないと。

 でないと、過去の経験上、シナリオに負けてしまうのは目に見えてる。

 占戸先生のシナリオがアダルトな要素を含んでいる以上、それだけは避けなくちゃ……!


 俺は声を励ました。


「夢を終わらせてください! 俺を現実に帰してください! そして、こんなこと、もうやめてください!」

「落ち着いて。サーベルなんて使えるのかい?」

「授業でフェンシングがあります……! 何を考えてるんですか! 人の気持ちを魔術で操ったりして……!」

「……なぜわかった?」

「え?」

「人の気持ちを操る魔術のことも、ここが夢の中だということも、俺はまだ何も説明していないが」


 ……しまった。


 先生は唇の端に苦笑を浮かべて、俺に近づいてくる。


 早まったかもしれない、魔術ってすぐ言っちゃうのは怪しかった。

 にじり下がりつつ、どう返事しようかと一瞬迷ったけど、先生は返事については特に気にしてないようだった。ゆっくりと近づいてくると、少し手前で立ち止まり、微笑む。


「……俺は人間じゃない。ハーフバンパイアだ。ハーフバンパイアを知ってるか?」

「あの……ええと……本で読みました……」

「そう、だったら話が早い。俺たちはバンパイアとは違う。人の精気を吸って生きる。

 ……きみの言うとおりだ。俺はきみを獲物やおもちゃとしか思っていなかった……最初はね」

「さ、最初……」

「そう。きみの精気は希に見る清純さだ。人から汚されることが少なかったんだろう。たまにはそれも面白いと思ったんだ。

 ……だが、俺のような夜の生物には、きみはまぶしすぎたのかもしれない。

 情けないことに、この俺ともあろうものが、怖じ気づいてしまったんだ。

 ……俺が魔族で、きみを操ろうとしてることがわかれば、きっときみは俺を恐れ、嫌うだろうと……。だが確かに、君の言うとおりだ。俺は卑怯だった」


 占戸先生は、愁いに満ちた瞳で俺を見た。


「……許してくれ。君を思うあまりだった。……俺を受入れてくれないか」

「……いいえ……!」


 俺はせいいっぱい声を励ました。


「やって良いことと悪いことがあります……!」

「……ひざまづいても……?」

「わああ、だめです、そんなことしないでください! されても許しませんから!」


 慌てて俺は首を振った。

 いくらひどい目に遭わされたからって、ひざまづかれるなんて困る。何て言うか……かわいそうだし……。


「俺にちゃんと謝って、近づかないでくれたら良いだけなんです! それにそんなことしても無駄なんですよ、俺は婿取りしなくて良いことになったんです! 夫捜しはもうしません! だから、こんなことは無駄なんです……!」


 俺は先生の気を変えようと、必死で言いつのった。

 でもそんな俺の前で、先生は考え込むようにくちびるを撫で、不意にフッと微笑した。


「……なんの話だ? 俺には関係ない」

「え」

「きみは、自分へ向けられる愛情を、春花家で行なわれる婿取りと同一視しているようだが……俺はそんなことで動いたわけじゃない」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ