6-11 醒めない
すごく不思議だ。
どうしてだろう、幼馴染みの蓮哉先生より、いつも怖い顔をしている冬志さんといる方が、気持ちが安らぐ。
なんというか、感じるんだ。
冬志さんは真面目に俺のことを考えてくれてる。
このことが始まるずっと前から、冬志さんをよく知ってるような、そんな気がするんだ。
どうしてだろう、何度か会ったことがあるだけのはずなのに……。
まじまじと見直した。
俺より頭ひとつ分くらいは高い、スッと伸びた長身。
怖いくらいととのった端正な目鼻立ち。精悍な目元。表情が少ないせいでますます怖く見える。
鋭い眼光が真っ直ぐに俺を見つめている。
前の俺なら、にらまれてると思って逃げ出していただろう。
でも、今の俺にはわかる。
冬志さんは、心から俺を気遣ってくれてるんだって。
――いつからだっけ。
いつから、俺は冬志さんに怯えなくなったんだっけ……?
思い出そうとしても色んな記憶が絡まり合って、頭の中がごちゃごちゃしてしまう。
俺は頭を押さえた。
(やっぱり俺、なんだか色んなことを思い出せなくなってる……)
関係あるんだろうか。
狩野さんが言ってた「魔術」に。
「……具合が悪いなら、座るか」
気がついたように冬志さんが窓際の長椅子に身体を向けた。
慌てて首を振る。
「大丈夫です、ごめんなさい……ちょっと考え事をしてしまっただけで」
「……そうか?」
冬志さんは立ち止まったけど、疑わしげだ。
俺を見下ろして、自分の首筋を指先でとんとんとした。
「……あざが、濃くなったな」
「……あ……」
なんだかいたたまれなくて、俺はアザのあるあたりを手のひらで覆った。
やっぱり端から見てもそうなんだな。
冬志さんに相談してみようか、と一瞬思ったけど、すぐに撤回した。
今までさんざん助けてもらっておいて、この上まだ助けてもらおうなんて、図々しい。
ちゃんと自分で解決しよう。
俺はできるだけ笑顔を取り繕った。
「……冬志さんのお話って、何でしょうか?」
「……ああ……そうだったな」
冬志さんは考え込むようにした。何か言いかけて、ちらりと俺の顔を見る。
それから、単刀直入に言った。スパッと。
「……占戸のところへは行くな」
急な剛速球だった。
俺はぽかんとしてしまった。
「え……? 蓮哉先生?」
「占戸とふたりになるな」
「……ど、どうしてですか?」
わけがわからないけど、冬志さんが言うなら、何か意味があるんだろう。
まず質問すると、冬志さんは変な顔をした。
口元を手のひらで覆うようにして目をそらし、
「……俺にもわからない」
「え」
「だが……嫌な気がする。……どうも俺の記憶と照らし合わせると、つじつまがあわない」
「どういうことですか?」
「……それを確認するために、ちゃんと話をすべきなのかもしれない。……本当ならそのために呼んだわけではないが……」
ううん……。
聞いてみたら、意味があるわけじゃないのかな。
冬志さんらしくない、はっきりしない言い方だ。俺は途方に暮れてしまった。
蓮哉先生は幼馴染みだし、それにクラスの担任なんだから、関わりを持たないわけには行かない。
冬志さんは無茶を言っている。
そう思うんだけど……。
冬志さんの言うことなら信じられる。
――それより何より、冬志さんがそうしてほしいなら、聞いてあげたい気がした。
不思議なくらい強烈に。
気がついたら俺はこくんとうなずいていた。
うなずいたあとで、自分でもそれに戸惑って、なだめるように付け加えてしまった。
「……でも、もともと長く続けるつもりじゃなかったんです。どうせ二学期になれば一緒に食事する必要もなくなりますから、夏休みになるまでの予定で……」
多分、シナリオの期間が終わればみんなも目が覚めるはず。
昼食を俺と食べたがるのは、シナリオの影響のはず。だったら二学期になれば、もう俺には興味を持たなくなるはず。そしたら毎日先生の時間を邪魔する必要はなくなるはず。――と、俺は思っている。
「……明後日が終業式だな」
「はい。明日は一緒にいただこうかと思ってましたが……」
「断れ」
言下に返事される。
「……だったら、明日はお弁当を持たないでいきます。食堂で食べるからってことで」
「……そうだな」
冬志さんは納得してくれたようだった。
「……しておきたかった話は、別にあるんだが……」
「そうなんですか?」
「ああ。……だがそれは、お前の体調不良が片付いてからにしよう。……それで薫の話はなんだ。何か話があると言ってただろう」
そうだった。
冬志さんが好きな人のことを確認しないといけなかったんだ。
相手が誰かはわからないし、俺には聞く権利もないけど……でも、迷惑をかけたくないから。
俺は風が吹き抜ける玄関ホールに、他に誰もいないことを確認して、それでも一応声を低くして、それを説明した。
「……俺との婚約は好きな人のためだとおっしゃったでしょう? だったら婚約を解消してしまったら、冬志さんとその方に不都合があるんじゃないかと思って……。それはいやなんです、こんなに協力していただいたのに、冬志さんの方は問題が解決しないなんて……。だから、俺でできることなら協力させていただきたいと思って……。何か俺にできることがあったらおっしゃってください」
「……それか」
冬志さんは不思議な表情をした。
何かが痛んでるように、小さく顔を歪める。けれどそこに自嘲気味の笑みも浮かんで、冬志さんは急に知らない男の人みたいに見えた。
胸が痛む。自分が取り返しの付かない失敗をしてしまったみたいな気がする。
なんだろう、これ。
俺のなかでなにかがあがいて、胸の内側の壁をひっかいてる。
冬志さんにこんな顔、させたくない。
俺……――俺は何か、とても大事なことを忘れてる。
忘れちゃいけないことだ……。
(……なんだろう、これ……)
冬志さんは少し、息をついた。
「……安心しろ。その話は……俺が今日、本当ならしたかった話と関係ある」
「そうでしたか」
「……必ず話す。……今日言えるのはそれだけだ」
なんて返事すれば良いかわからない。
俺が返事できなかったせいで、冬志さんの言葉の後、奇妙な沈黙が落ちた。
いたたまれなくて、俺は早々に頭を下げて、厳原家を辞去した。
帰り道、ずっとぐるぐると考え続けていた。
冬志さんは、どうして占戸先生を警戒してるんだろう。
俺のこのざわざわする気持ちは、何だろう。
このアザはなんだろう。
それに昼から倒れて眠り続けていたことだって、おかしい。
……変な夢も見たけど、それはまあよくわからないから置いておくとして。
狩野さんが言ってた「魔術」に関係あるんだろうか。
(……狩野さん、どうにかしてみるって言ったっきり……本当に助けてくれるのかなあ……)
頭がごちゃごちゃだ。
せめて俺にできることを考えよう。
(……そうだなあ……部屋に盛り塩とか……?)
本当に役に立つかはわからなかったけど、俺はそっと決めたのだった。
盛り塩のおかげだろうか。
翌朝は、すっきり目が覚めた。多分、夢も見てない、と思う。
(よかった……)
狩野さんも来てくれないし、しばらく盛り塩で乗り切れたらいいなあ。
なんて軽い足取りで登校する。
俺だけじゃなくて、夏休みを控えて、学校全体がうきうきしている。
テンションが上がり気味だったので、おひるごはんを学食で食べることも、占戸先生にさらりと伝えることができた。先生も「もうすぐ夏休みだからな。おうちのひとも弁当作りくらい休みたいよな」と笑顔で言ってくれた。
翌朝も夢は見なかった。
終業式で、学校は半日で終わる。荷物をため込んで苦労して帰っている人もいたけど、俺はちょっとずつ持ち帰っていたので、気分と同じように軽やかに下校した。
明日の午後には誕生日パーティが待っている。
それさえすめば全部が解決!
最後の花婿候補――ダンディな先生――も出てくる気配がないし、このぶんは俺の何かの行動や、妹の登場によってフラグが折れたのかもしれない。
なんなら、ヒロインが妹に交代したのかもしれない。
もうすぐ、いつもの平穏で穏やかな生活に戻れるんだ……!
俺は完全に浮かれていた。
何もかもうまく行くような気がしてた。
――眠りにつくまでは……。
目を開ける。俺は、占戸先生のたくましい腕のなかにいた。
学校の占戸先生じゃない。
ダンディないでたちだ。
抱き上げられ、運ばれている。
あの城館だ……。
(夢だ)
運ばれていくうちに、俺の頭はまたぼんやりと曇り始める。
蓮哉さんの腕によって、優しくベッドに横たえられた。
見上げると、蓮哉さんが俺の横にゆっくりと腰を沈めた。大人の男の人らしい、長い指先が、意外なほどの器用さで俺の制服の前をくつろげていく。蓮哉さんは俺の首にキスをした。何度かくちづけて、それからゆっくりと、くちびるはやわらかく俺の首筋をなぞり始める。
ぞわぞわっと、悪寒がこみあげてきた。
いやだ。
どうして蓮哉さんはこんなことをするんだろう?
俺は思わず顔を背けて、蓮哉さんの肩を押さえた。
「――ほう。まだ逆らえるか」
優しい声でそんなことを呟いて、髪を撫でる手があった。
「……誓いのキスに守られているな」
「せ、せ、先生……?」
見つめ合ったまま、わたわたと手を周囲に滑らせた。先生は手を持ち上げ、指先が俺の胸元に触れた。そのまま、てのひらが、ひた、と当てられる。
「……ここに――」
先生はささやくように声を落した。
「ここに、誰かがいるな」
「……え」
「……邪魔だ」
つぶやいた蓮哉さんの顔が、逆光で見えない。
「誰かがきみに護りのキスを与えている」
「キス……」
唖然と見かえして猛烈に顔が熱くなった。
「ないです! そんなこと、キ、キ、キ、キス、なんて……!」
「……ふうん」
先生は考え込んだ。そして、俺を見下ろして吹きだした。
「そんな顔をするな。かわいくなるだろう」
先生は笑って、俺のひたいにくちびるを当てた。
「……君の中に入ろう。ふかく、ふかく――かきまわして、探ろう……」
「え? え、ま、待って待って待って、え、待ってください……何のことですか……!?」
俺は思いきり先生を押しのけた。
だめだ。よくない。
意味はわからないけど、このままここにいたら何されるかわからない。
(逃げなきゃ――……!)
強く思うと同時に、周囲が大きく揺らいだ――。
ハコベ。
オオバコ。
オオイヌノフグリ、クローバー。ホトケノザ。キュウリグサ。
若緑の上に、白、青、黄色、紫、小さな星の花が散る。
俺は野草に足首まで埋めている。
肌に触れる若い葉は、ひんやりと気持ちいい。
しゃがんで、野いちごを探している。
トゲに気をつけながら浅い黄緑の葉をめくると、ルビーのように輝く赤い実がころんとあった。
「野いちご……」
そっと指先でつまんでねじり、フリルのような緑の額からもぎ取る。
ぷつんと手応えがして、指のあいだに、かわいらしいつぶつぶが身を寄せ合った、きれいな野いちご。うれしくて、そっと持ち上げる。
「こっちにもあったよ、薫」
振り返ると、しゃんと背が伸びた賢そうな男の子が、俺を見て笑っていた。
蓮哉さんだ。
粒のそろった野いちごをつまんでさしあげてみせ、
「あーんして」
「あーん?」
おとなしく口を開くと、蓮哉さんは俺のくちびるの間に野いちごを差し入れた。舌の上に、日向のぽっくりとしたぬくもりがころんと乗った。歯の先でつぶしてみると、甘酸っぱい味が広がった。
「……おいしい」
「薫のもちょうだい」
「うん」
はい、と野いちごを蓮哉さんの口に入れてあげる。蓮哉さんもにっこりした。
俺たちの頭上は緑のうすい天蓋におおわれている。透かして緑の光が降ってくる。白い花が咲いていて、甘い香りにみたされている。
「あまい」
「そうだね」
蓮哉さんは優しく笑った。あたらしいのをあげたくて、繁みに手を突っ込んだら、チクチクと痛みが走った。
「薫?」
「トゲ……」
「……痛い?」
蓮哉さんも俺の手をのぞき込む。声は耳元だった。指の腹に茶色いトゲがが突き立っていた。
俺は髪を揺らして、ひとつうなずいた。
蓮哉さんは俺の腕を取り、注意深く指先でつまんでトゲを抜いた。
それから傷に口づけた。濡れて熱い舌が傷口を這う。その感触が全身にじんわりと拡がって、身体の奥がキュンとして締め付けられるような、不思議な感じがした。胸がざわざわしてじっとしてられなくて、俺はふるえる息を吐いた。手首に回った蓮哉さんの指が、痛いくらいで、それもかすかにわなないていたように思った。
蓮哉さんの背中と手のぬくもりが、甘く心地よかった。
「薫」
蓮哉さんの呼ぶ声。
「かおる――……」
なんだかふわふわする。ドキドキするけど、幸せだ。
俺はにっこりする。
そのひとは、やさしく、うやうやしく、俺のおでこにくちびるをくれた。
そのひとは――……




