6-7 僕はきっと旅に出る
(そっかぁ……)
カーテンの隙間から差し込む光はまだ青ざめて、夢の名残がここちよく漂っていた。
また目を閉じて、夢の続きみたいな空気にひたる。
いい夢だったなあ……。
(俺、どうして昨日は思い出せなかったんだろ……?)
蓮哉さんに変な質問して、きっとびっくりさせちゃったな。
あのころ俺と蓮哉さんは毎日のように二人で遊んで……。
「……?」
あれ……?
何かが引っかかる……?
確かに、俺は蓮哉さんと雨の日に知り合って、友達になった。
そのはず、なんだけど。
でも……俺が小学生のころ、蓮哉さんって――小学生じゃないよね……?
連夜さん、今いくつだろう?
十歳以上は年上のはずだよね。
いや、待って。
そもそも蓮哉さんが何歳なのか、知らないような……?
(……冬志さんは……いつ会ったんだっけ……?)
冬志さんも、昔から知ってるけど。
「……変だ」
何かおかしい。変なことが起きてる気がする。
頭が冴えて、俺は思わずぱちっと目を開けてしまった。
「……うわああ!?」
同時に叫ぶ。
目の前に小さな足がぶらんとぶら下がってる。
枕の上の空中で、黒スーツの子どもが、空中に片あぐらをかいていた。つり上がり気味の狐目が、俺をまじまじと眺めている。
片足はぶらんと垂らして、白い靴下をはいたすねが、俺の頭上でぶらぶらしている。
(……誰!?)
一瞬思ってから気がついた。
いや、狩野さんだ。どうして思い出せなかったんだろ。
(寝起きのせいかな……?)
確かに最近、なんだかいろんなことがぼんやりしてるような気はするんだけど……。
狩野さんは、ふんふん鼻をひくつかせては難しい顔をしていた。
「……何の匂いじゃ?」
俺は急いで会釈しながら起き上がった。
「はあ……、びっくりしました。狩野さん、お久しぶりです」
「臭い」
「え?」
「臭いぞ、お主」
「えっ? ほんとですか!?」
臭いって、俺が……?
昨夜ちゃんとお風呂入ったけど……!?
俺はうろたえて腕を持ち上げ、かいでみた。
「……昨夜の奈良漬けのにおいかな?」
「いやいや、そういうものではない。ひとつきくらい前からうっすら気にはなっとってな。……う~む、ずいぶん強くなったな? もはや気のせいではない」
狩野さんは上体を倒して、俺の肩口のあたりに鼻をひくつかせて、目をすがめた。
「これは……呪術……のにおい……じゃな……?」
「ジュズツ……?!」
「噛むな。呪術じゃ」
狩野さんは今まで見たことないほど厳しい表情だ。
俺のパジャマの襟を引っ張った。
「……『しるし』をつけられとるな」
「しるし?」
「これじゃ。自分のものというしるしじゃな」
つん、とつま先で首筋を押される。
ここって……?
ハッとひらめいた。
キスマークって言われてたのはもしかして……!
「あざがあるって言われてたんです、そう言えば」
俺が慌ててそのあたりを押さえると、狩野さんは、
「うむ。……ずいぶん甘ったるい魔術じゃな」
「甘ったるい魔術……? どういう意味ですか?」
「なんというか、蜜が絡みつくようなしつこさがある。おぬしを絡め取ろうとしとる」
「からめとる……」
何かがちかっと頭の中で光った。
最近時々、記憶が混乱するような気がすることがある。
それに関係あるのかな……?
狩野さんは空中であぐらをかきなおした。
「……これは……おぬしの婿取りと関係あるのではないか?」
「……そう思われますか?」
「うむ。ゲームのシナリオで憶えはないのか」
「わ……わ……わかりません……」
そうだよね。
これがゲームのシナリオで決まっているなら、俺も憶えてるはずなのに、何も引っかかってこない。
こんなことってあるだろうか?
背筋が冷たくなって、俺は肌布団を握りしめた。いったい何が起きてるんだろう。
「花婿候補はあと一人だけのはずなんです。誰なのか全然わからなくて……」
「ふむ、おぬしが言うておった、スチルが回収できてない、というやつかもしれんのう。もうおぬしのそばにおるのかもしれんぞ」
狩野さんはあごを撫でながら空中をにらんだ。
俺も心臓がどきどきし始めるのを感じていた。
もしかして……。
「……もしかするとじゃが」
同時に狩野さんが口を開いた。
「魔術を使っているのが〈花婿候補〉の最後の一人、ということはないのか?」
「……やっぱり……そう思われますか……!?」
俺は考え込んだ。
「……俺もそう思ったんですけど、あと一人と言えば、ダンディな教師で……そうしたらちょっと、魔術とイメージが重ならなくないですか? 世界観も変わってきそうですし……?」
「……それもそうじゃのう。この世界は学園ものじゃよな」
「はい……設定が中世ヨーロッパ風の世界だったら、魔法使いが出てくることもあるかもしれませんが……」
「……じゃが、間違いなく魔術の匂いはするんじゃよな。魔法使いと言っても、マントを着ている老人とは限らんじゃろ?」
「俺はあまり乙女ゲームに詳しくないんですけど……そうですね、そう言われると……」
狩野さんはぽりぽり頭をかいて、うん、とうなずいた。
「まあよい。念のために手は打っておいてやろう」
「手?」
「大船に乗った気でおれよ。今日は別のことで来たんじゃ」
「別のこと……」
狩野さんの用事って、あんまりいいことがないんだけど……。
俺は無意識にみがまえたのか、狩野さんはムッと眉をしかめた。
「なんじゃい、人を疫病神のように。ワシらはあいつらと違ってひと思いに息の根を止めてやるんじゃから、まだ親切じゃろうが」
「え、ええ~……そういうことではなく……」
「屋根から落ちずにすんだのはワシのおかげじゃぞ、と言いたかっただけじゃぞ」
「……あっ……」
アイリス館の屋根でのできごとが頭によみがえった。足の裏がヒヤッとする。
そう言えば、冬志さんが言ってた。
誰かが下から押し上げてくれた……って……あれは……。
俺は思わず笑顔になった。
「やっぱり狩野さんだったんですね……!」
「えっへんじゃ」
「ありがとうございます…!!!」
狩野さんは得意そうに鼻の下をこすった。
「うむうむ、崇めよ。今度のことも、大船に乗った気でおるがよい」
呼び止める前に狩野さんはいつものようにすっきりと消えてしまった。
「……大船に……かあ……」
俺は思わず布団に倒れ込んだ。
乗った気で……いられるかなあ? いや、狩野さんが頼りないってことじゃないんだけど。そうじゃないんだけど。でも……。
「……決まった運命を変えるって……こんなに大変なんだ……」
ついため息が漏れる。
せっかく、あと少しってところだったのに。
妹が生まれれば、俺が婿を取る必要もなくなる。
縁談もなくなる。
糾弾イベントの必要がなくなるから、冬志さんが追放されることもない。
あとはハッピーエンド一直線だ。
――そのはずだったのに。
魔術って、何?
「ど……どうして……?」
あと少しで俺の誕生日なのに。
どうして最後まで前途多難なんだろう……?
数学の結果は、なかなか悲惨だった。
(……だよねえ……)
ため息が出てしまう。
正直、今学期は勉強どころじゃなかった。
約一週間経って、ほとんどの科目が戻ってきたけど、どれもさんざんな点数だ。
(……来学期になれば……!)
言い聞かせながら、テストを丁寧にたたんでファイルし、立ち上がった。
お弁当を手に、そっと教室を抜け出す。四方田くんの気がかりそうな視線には気がつかないふりをする。
明日が終業式。そして明後日はいよいよ俺の誕生日パーティーだ。
(やっと、全部が終わるんだ……!)
小走りに廊下を歩いていると、前方で戸が開く音と同時に、賑やかな声があふれ出してきた。
目を上げる。
二年の先輩たちが教科書を抱えて、にぎやかに溢れ出てくる。
あとを追うように、占戸先生の声。
「質問事項があれば、私か吉沢先生まで~!」
今日は授業が入ってたのか。俺は窓際に身体を寄せて、先輩の皆さんが通り過ぎるのを待った。
皆さんがこちらを見て、ハッとしたように頬を染め、ささやきあっている。
「……厳原くんの……」
「……婚約者のかたですわね!……」
「しっ、じろじろ見ては失礼ですわ」
「ご挨拶してもよろしいかしら……?」
「今はご遠慮しましょうよ、きっと厳原くんを訪ねていらしたんですわ」
……あ。
冬志さんのクラス……?
やがて、皆さんが後ろを振り向いて声を潜めた。俺もつられて教室の出口に視線をやり、
「……冬志さん」
「薫……」
戸口のところに、冬志さんが驚いた顔で立っていた。




