6-6 さらばユニヴァース
「……かおちゃん」
頭を下げたまま、しばらく沈黙が続いた。
最初に聞こえたのは、瑞樹兄さんの声だった。
「気になってたんだけど……かおちゃんは……どうして自分が愛されるわけがないと思っているの?」
「え……」
顔を上げると、瑞樹兄さんの綺麗な顔が、いぶかしげに俺を見つめている。
「求愛しても、どうも本気に受け取ってないよね。どうして?」
「俺も気になってました……春花……困ってるというか……なんというか信じてないよな……?」
「僕も思ってた! 一生懸命言ってるのに、どうしてなの?」
「なんだよ、そう思ってんの、俺だけじゃねえじゃねえか」
堰を切ったように口々に問われる。
俺は思わず固まってしまった。
つ、伝わってたんだ……。
「そ、それは……あの……」
……この世界がゲームの世界で、みなさんは俺を好きになるというプログラムに従って行動しているだけだからです。
とは、バラせない。
きっとみなさんは、このシナリオ期間だけ、そんな気持ちになっちゃってるだけだ。
期間が過ぎれば、スキッと目が覚めてくれるはず。
だって、そうでなければ、俺なんかを好きになるはずがない。
男同士ってこともあるけど……それぞれすごい才能のある人たちなのに、俺に恋愛感情を持つわけがないんだ。
なんて言うわけにはいかず、口ごもっている俺に、瑞樹兄さんがため息をついた。
「かおちゃん。それは君を好きな人間にとって、すごく失礼なことだよ」
「……あ……」
どきっとした。
瑞樹兄さんは、噛んで含めるように、
「もちろん勝手に好きになったのはこちらだから、かおちゃんに何も要求はできない。……でも、せめてまずわかってほしいと思うんだ。きみを愛してる気持ちが本物だということは。……そのうえでちゃんと返事をしてほしい。考えてみて」
瑞樹兄さんだけじゃない、みんなが真面目な顔をしていた。
四人の真剣な目が、俺を見つめている。
圧倒されて声を出せなかった。
どう返事すれば良いんだろう……?
サンルームの壁の向こうから、午後の予鈴が聞こえてきた。
テーブルに向かっていた学生たちが立ち上がり、荷物を片付けはじめる。
瑞樹兄さんたちも緊張をほどいた。
「僕、急がなきゃ」
中等部に帰らなきゃいけない宮くんが小走りにテーブルに駆け戻って、お弁当箱を抱え込んだ。
「薫さん、あとで連絡するね!」
瑞樹兄さんは微笑んで、俺の肩をぽんとたたいた。
「かおちゃん、急がせちゃったみたいになって、ごめん」
「ごめんな、なんか……怖い思いさせちゃったよな」
四方田くんがうなだれて、桐谷さんもバリバリと頭をかいてため息をついた。
俺は言葉もなく、はい、とただ頭を下げるので精一杯だった。
靴を履き替えてポーチに降りる。
背中のランドセルのなかで、ペンケースと定規がかたかた言っている。
立ち止まって見ると、四月の雨が、初等部の校舎とグラウンドをひたひたと濡らしている。。
オレンジのタイルはうっすら光って、ぱたぱた雨粒が跳ねていた。
俺は傘立てを見回して、動かしかけていた手を動かせなくなった。
「あれ……?」
青い傘がない。
買ってもらったばっかりなのに。
憶えのある場所に俺の傘がないことに気付いた。昇降口の外は雨がびしょびしょ降っていて、春も終わりに近いとは言え、濡れれば寒そうだった。
にぎやかな声に目を向けると、やんちゃな上級生の一団がいた。中の一人がさしている青い傘が俺のだったから、俺は立ちすくんでしまった。
似てる傘かな、と思ったけど、でも柄の下で、母さんが付けてくれた小さな名札が揺れていた。
――ぼくの傘。
思わず上げそうになった声は、のどでとまった。その子たちは五年生で、一年生の俺から見ると大人くらいに大きく見えた。傘を間違えたのかなあ、と、そのときの俺は思った。だったら言わなくっちゃ。
でも身体が大きくい彼の、太い笑い声を聞くだけで――いまなら言えるけど、国民的某アニメに出てくる、歌が下手なガキ大将に似ていた――、話しかける勇気が湧いてこなかった。
濡れて帰るしかない。気の弱い俺は、瞬時にあきらめようとした。
だけど、俺の横から歩み出した人がいた。しゃっきり背筋が伸びた男の子で、俺より二つか三つ、年上に見えた。眼鏡をかけている。実際は一歳違いだったけど、物怖じしない態度でそういうふうに見えたんだ。
男の子は、清潔な横顔できっぱりと、傘の子に告げた。
「それは俺の友達の傘だよ。返して」
五年生はムッとしたように彼を見返った。
「なんだよ」
「その名札」
声は雨音に負けないくらい強かったけど、澄んでいた。冷たい響きは、もうそのころからあったように思う。
「読んでみろよ」
「おまえ、なんなんだよ」
五年生は顔を赤くして何か言い返そうとした。男の子が殴られるのかと思って、俺は気が付いたら小走りに駆け寄って、口ごもりながら訴えていた。
「あの、あの、傘、間違えたんですよね?」
「はあ? 今度は何だよ」
歌の下手なガキ大将に似た彼は顔をしかめたけど、グループの友人たちが大笑いし始めたので、気勢を削がれたようだった。
「そうだよ、間違えたんだ」
言い捨てて、傘を投げるように男の子に渡す。そうして、友人の傘に入って、水たまりを跳ね上げながら雨の中に飛び出していった。傘は真っ直ぐに俺の手に戻された。
「傘を抜くところを、見ていたから」
男の子は、目も合せずに事務的に説明した。
「言うべきことは言わないと、押し負けるよ。……だけど、間違えたんだろう、というフォローはよかった。ウソも方便だね」
「……えっ」
俺はびっくりして男の子を見つめた。
「だって……わざと持ってく人は、いないでしょう?」
「え?」
「きっと、傘が似てたんですね」
男の子は馬鹿を見るような目で俺を見た。そして、「そうかもしれないな」と無愛想に言った。言った後、少し笑った気がした。
気のせいだったかもしれないけど。
目が覚めた。
俺はしばらく、ベッドの中でぼんやりしていた。
うっすらまぶたを開けると、枕元のカーテンが薄く開いて、差し込んだ早朝の光が、天井でゆらゆらしている。
――昔の夢だ。
蓮哉さんと初めて会ったときのこと。




