6-4 魔女旅に出る
俺と占戸先生は、いつ会ったんだっけ……?
幼馴染みだって、気はする。
公園や庭で遊んだことも、憶えてる。
(……なんだか……変だ……)
心臓がざわざわする。
箸を握っていた手は、いつの間にかゆっくり、お弁当の横に降りていた。
俺はその手を見つめながら考え込んだ。
庭でキャッチボールした。
先生は、身体の弱い俺に気を遣って、やわらかく投げてくれた。
夏休みに、先生のおうちの別荘に招待してくれたこともあった。
先生のお父さんやお母さん、弟さんと一緒に海へ行ったんだ。
ギラギラする太陽の下で、大きな浮き輪で、先生と手をつないでひんやりした水の中を漂ってたら、波が来るたびにふうわりして、気持ちがよかった。
はしゃぎすぎてその晩は熱を出して寝込んでしまった。
俺はいつもそう。面倒くさがられて、遊んでくれる友達がいなくなる。
蓮哉さんにもうんざりされたかもしれない。
そう思ったら高熱でゆるんだ目の奥から涙があふれてきて、泣いてしまった。
でも、連夜さんは何も変わらなかった。ずっと傍についててくれた。
「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか……?」
ぽろぽろ、熱の涙をこぼしながら訊いたら、蓮哉さんは驚いたみたいだった。少し沈黙して、気がついたように言った。
「薫の心が綺麗だから。心が綺麗な人といたら、周りも心が綺麗になるんだ」
そんなことはない、と俺は思った。
――ううん、そのころは「僕」と言ってたんだ。蓮哉さんみたいになりたくて「俺」と言うようになったから。
そんなことはない、綺麗なんかじゃない。
もしかしたら。
「……蓮哉さんの心が綺麗だから、僕もそんなふうに、なってるんじゃないでしょうか」
真面目にそう思ったのに、蓮哉さんはふと笑った。
「そういうところの話をしてるんだよ、薫。……気を遣わずに、おやすみ」
そう言って頭を撫でてくれた。
修陵院の図書館に初めて入ったとき、いてくれたのも、蓮哉さんだった。
考えてみたら俺より一つ上でしかないのに、なんて頼もしく見えただろう。
上のほうの本をとろうとして梯子にのぼったときは、わざわざ梯子を押さえてくれて、――……
(……?)
なにかが引っかかった。
ざわざわの正体に近づいてる、そんな感じ。
(あれ……?)
最初に図書館の玄関へ足を踏み入れたあのとき、俺の隣にいたのは――……
「春花?」
占戸先生の声で我に返った。
慌てて顔を上げると、占戸先生がマグカップを手に俺を見つめていた。棚から二人分取り出して来たらしい。そんなことも気がつかないくらい、考え込んでたんだ。
丸眼鏡の奥の先生の目は、不思議そうだった。
からかうようににっこりして、
「どうした、弁当と見つめ合って。嫌いなもんでも入ってたかぁ?」
「あ、あの、いえ、違うんです……すみません」
急いで首を横に振ったけど、ざわざわはまだ消えなかった。
俺はつい、そのざわざわにうながされるようにして、もそもそと、
「先生、……そう言えば、俺たちって、いつ会ったんでしたっけ……?」
「いつって、そりゃお前……」
先生はめをぱちくりさせながら、サイフォンの横から煙草の箱を取り上げ、一本つまみだしたけど、俺を見ると「おっと」と手を離した。
「お客まで煙草臭くするところだったな」
「あ……」
「今日はコーヒーの匂いだけにしとこう。というか、本来そうあるべきだよな」
「すみません……」
恐縮する間に、先生はアルコールランプの火を消した。
「あんまり長くすると苦くなっちまうんだ。……ほい」
マグカップに気持ちのいい音を立てて、コーヒーを注ぎ分ける。
俺の前に長い腕が伸ばされてきた。テーブルにことん、と置く動きが、思っていたより繊細で優しく、なんだか目に残る。
俺はお礼を言い、カップを手に包んだ。
香りは豊かで、少し花のような香りがした。渦巻く湯気を何回か吹き飛ばして、そっと口を付ける。苦いけど、まろやかで、奥に甘味があった。
「……おいしいです」
素直に顔がほころんだ。
先生も、よしよし、と満足そうにうなずきながら、椅子を引いて腰を下ろした。
「時間なくなるから、急いで食っちまえ」
「あ、ほんとだ……」
俺、何のんびりしてたんだろう。
慌てて箸を手に取りなおした。
先生は片肘を突いて、なんだか嬉しそうに俺を眺めている。
「身体の弱かったお前さんが、ちゃんとメシ食えてると、ほっとするな。……なあ、春花。いや、薫。これからここでメシ食うか?」
俺はコロッケを頬張りながら、目をぱちくりさせた。
「え?」
「生物室からサンルームが見えるんだ。毎日春花たちの草上の昼食を拝見してたんだが、大変そうじゃないか」
先生は親指で窓を指すようにした。
散らかった机の前の窓に目が行く。
そっか……ちょうど見える位置かもしれない。
先生に見られていたと思うと、猛烈に恥ずかしくなった。
俺は思わずむせそうになりつつ、すんでのところで飲み込んでため息をついた。
「……す……すいませ……」
つい謝ってしまう。
「謝ることじゃないが。それより、どうだ? 薫さえ来なくなれば、あいつらの頭も冷えるだろ」
「……そ……そうかもしれません」
先生が指先でピーナツをつまむのを、俺は考え込みながらなんとなく視線で追っていた。
小さな粒を挟んで持ち上げる先生の指先は長くて、かたちがいい。
さっきコーヒーを入れているときも、思ったけど。
パッと視界に入るボサボサ髪と白衣、のんびりした動きで気づかないけど、意外にも器用そうって言うか、優雅にさえ見える。
(……そう言えば、いつ会ったのかの話、それちゃったな……)
また聞き直すほどのことでもないし……。
占戸先生はなにかに気付いたように立ち上がって、窓辺に寄っていく。カーテンを開いて庭を見下ろし、
「お……珍しい顔ぶれだな」
「え?」
「サンルーム」
ほれ、と指さされて俺も首をかしげながら立ち上がった。
先生の白衣の隣に並んでガラスの向こうを覗くと、中庭の灌木に囲まれたサンルームが見える。
初夏の日差しの元、透明な壁越しに、瑞樹兄さんや四方田くん、宮くんの姿があった。
(ほんとだ、よく見える)
四方田くんに伝言を頼んであるから、みんなも俺を待たないで食事を始めたんだろう、いつもの円テーブルを囲んで、何か話しながら――
ん?
そのとき、観葉植物に隠れて見えてなかった人影が歩み出して、横顔が見えた。
俺は凍り付いた。
き――桐谷さん……?
長身としっかりした肩幅。
桐谷さんだ。
なぜ桐谷さんがサンルームに……?
そして……何か険悪な表情を……?
「ええっ!?」
思わず俺は窓に張り付いてしまった。
テーブルを囲んで、桐谷さんと瑞樹兄さんたちとがなにか言い争っている。
「……ケンカしてないか?」
「す、す、すみません、俺ちょっと……!」
「一緒に行くか?」
「だ、だ、大丈夫です!」
俺はまだ半分残ってる弁当箱に蓋をかぶせ、包み直すと、かっさらうようにして準備室を飛び出した。
(一体、なにを……!?)
お弁当箱を小脇に抱えるようにして階段を駆け下りる。
サンルームに近づくにつれて、わいわいにぎやかな声が耳に届いてきた。
「あなたが怖いから、薫さん、今日は来ないんじゃないですか!? なにせ屋根から蹴り飛ばされそうになったんだし!」
「きいきいうるせえ中坊だな……だから謝りに来たんじゃねえか」
「落ち着いて。担任の先生の用事だって聞いたじゃないか。……まあでも、実際、こんなに血の気の多い連中がいるからかおちゃんも来にくいってことはありそうだ」
「だ、だから教室で食べれば良いって俺も言って……」
「反対! 四方田先輩、二人で食べるつもりでしょ!」
――帰ろうかな……。
口論の内容がわかると脚が重くなった。
でもそうもいかない……。
(あ……冬志さん、いない……)




