5-16 赤いアネモネ
屋根の上に人がいる……?
背が高い。
見覚えがあるような……。
目をこらしたとき、名前を呼ばれた。
「薫さん!」
屋根から視線を下ろすと、人混みをかき分けるようにして、宮くんが駆け寄ってくる。
興奮しているのか、顔が赤く染まっている。
そのうしろには瑞樹兄さんもいて、こちらは難しい顔をしていた。
難しい顔、って言うか、腕組みして考え込んでいるみたいだ。ちょっと呆れてるみたいな感じもした。
「来たんだね、かおちゃん」
「は……はい。あの、なにかあったんですか?」
「それが、大変なんだよ薫さん!」
握りこぶしで叫びかけた宮くんを、瑞樹兄さんは片手で無表情におしのけて、
「見てごらん、かおちゃん」
「え……?」
瑞樹兄さんが指しているのも、アイリス館の屋根だ。
アイリス館は、レンガ造りの瀟洒な洋館だ。
四階建てで、屋根のゆる勾配の中央に、時計棟が立っている。
俺がいまいるのは、アイリス館の前の芝生広場。目を上げると、正面に見えるのはアイリス館の左手の屋根だ。
その屋根を、人が歩いている。
三角形になってる屋根の真ん中――つまりいちばん高い棟を、綱渡りみたいに、中央の時計台にむかって渡っていた。
細いところなのに、足取りはあぶなげなかった。
片手に何か細長いものを握っているみたいだけど、なんだろう。
やっぱり、シルエットに見覚えがある……?
記憶に引っかかる、あれは……。
「……桐谷さん……!?」
思わず声がこぼれてしまった。同時に、俺は悟った。
……と、いうことは……。
視線を屋根の右手に投げる。
思った通りだ。
右手の棟の上に、冬志さんの姿があった。
手にあるのは、フェンシングで使うエペ剣。
やっぱり……――!
血の気が引いた。
膝から力が抜ける。
俺、またイベントを避けられなかったんだ。
これは。
(決闘だ……!)
よろけそうになった背中を、慌てたように四方田くんが支えてくれる。
「大丈夫か春花!」
「と……とめなきゃ……」
このままじゃ大変なことになってしまう。
決闘というと、銃や剣で戦うようなイメージだけど、修陵院での決闘は違うんだ。
手順は決まっている。
スタート地点は、アイリス館四階の廊下。
中央階段の手前から、決闘者は廊下を左右に分かれて、それぞれ端のドアまで歩いて行き、ドアを開ける。
ドアの内側は、急な階段になっていて、アイリス館の屋根裏に通じている。
俺は入ったことがないんだけど、屋根裏部屋は、天井がゆる勾配の狭い物置部屋になっているらしい。この斜めの天井には明かり取りの窓がついていて、ここから身体を出すと、屋根の上に出られる。
ここから、いちばん高い棟まで上っていき、中央の塔屋に向かって歩いてゆく。
そして、時計塔を取り巻いた回廊の手すりや柱を足がかりにしてさらに屋根にのぼって、先に避雷針に自分のハンカチを結びつけた者が勝者だ。
このとき、小競り合いになっても、相手の身体に触ってはいけないことになっている。
なにせ場所が場所だから、うかつにもみ合いになったら大事故になりかねない。
じゃあ、手にしたエペ剣はなにに使うかというと、相手との距離を保ちつつ、相手を軽く妨害するためだ。実はエペ剣って、突かれてもあまり痛くないから、ちょっと上半身を突くとか、それくらいならしてもいい。
もちろん学校では禁止されている。
噂だと四十年くらい前にあったのが最後だったそうだけど……。
その決闘を、冬志さんと桐谷さんがやってるんだ。
でも、どうして?
だって冬志さんは、もう俺の婚約者じゃない。
決闘する意味なんか、もうないはずなのに。
「どうして……!」
青ざめた俺に、四方田くんがあわあわしながら、
「わからない。朝練してたら大騒ぎになったんだ」
「あいつ、桐谷とか言ったっけ、最近薫さんにちょっかい出してるんでしょ? 噂になってる」
宮くんの言葉にぎょっとした。
「噂になってるんですか!? えっ、四方田くんも瑞樹兄さんも知って……?」
四方田くんは居心地悪そうにうなずいた。
瑞樹兄さんもうなずいて、てきぱきと、
「学生会に入ってる情報だと、桐谷くんが決闘を申し出たらしいね。校門で、みんなが見ているところで」
「ど……どうして?」
もう「どうして」しか出てこない。
瑞樹兄さんは不愉快そうに、
「薫を愛しているなら、薫を賭けて闘え、と申し出たらしい」
一瞬頭が真っ白になった。
き、き、桐谷さん、なんてことを……!
いや、桐谷さんもだけど、それより……。
「と……冬志さん……」
どうして断らなかったんだろう、もう俺のために嫌な思いをする必要はないのに。
どうして。
わけがわからない。
そのとき、わあっと人垣から悲鳴が起こった。
ハッと見上げて、心臓がぎゅうっと絞り上げられた。
屋根の上で冬志さんがよろめいていたんだ。
(冬志さん……!)
気がついたら俺は、人混みをかき分け、アイリス館に向かって走り出していた。
〈はるこい〉のシナリオによれば、決闘は終始、桐谷さんが優勢だった。
先に時計塔について登り始めるのも桐谷さん。
勝負の行方は目に見えていた。
おくれを取った冬志さんは、苛立ちのあまり、禁を犯す。
塔屋の屋根にかけられた桐谷さんの足首をつかんで、桐谷さんのバランスを崩させるんだ。おかげで桐谷さんは転げ落ちそうになってしまう。
ぎりぎりで塔屋に駆けのぼってきたヒロインが、自分の身も顧みずに柵越しの桐谷さんの身体に飛びついて、ぎりぎりで桐谷さんは助かる。
これがきっかけで、桐谷さんとヒロインのカップルは修陵院で認められ、一方の冬志さんは修陵院で大きく評判を落とすことになる。
俺の知ってる冬志さんが、そんなひどいことするわけはない。
(……でも、今までシナリオの細かいところは変えられても、いつも大まかな流れはそのままだった……)
だったら、冬志さんはわざとじゃなくても、もみあいの拍子で事故が起きたりするのかもしれない。
シナリオ上、そうなったらとめられるのは俺だけだ。
それに――それに、もし……もし冬志さんに何かあったら……。
(いそがなきゃ……!)
アイリス館に駆け込んで気がついた。
瑞樹兄さんと宮くんと四方田くんまで、俺のあとを追ってくる。
「あ、あの……!?」
「俺たちも行くよ、春花!」
「そうさ、かおちゃん、僕らだって、厳原くんとは毎日一緒に昼食を摂ってきた仲なんだからね」
「別に、これ以上あいつらにだけ点数稼がせてたまるかってことじゃないからね!」
なんだか物騒な発言も聞こえたけど……、立ち止まってる暇はない。
時計塔の入り口は、中央階段の最上階にある。俺はかばんを胸に抱えて、一息に駆け上った。
時計塔の入り口には先生たちが集まっていた。
走り上ってきた俺たちを見下ろすと、手を振るようにし、
「学生は戻りなさい」
「決闘をやめるように、いま説得しているから」
「教室に戻るんだ」
ど……どうしよう……。
俺は息を切らしながら、鞄をぎゅっと抱きしめた。




