5-15 キャッツ・アンド・ドッグス
「……まあ、でも、いかにも具合が悪そうにしているほうが、ほどよいかもしれませんわ」
母さんが頬に手を当て、おっとりと小首をかしげる。
「え? ほどよい?」
「ええ。あなたの誕生会のことなんですけれど……」
俺はハッとした。
もうすぐ俺の誕生日。
ずっと前から、その日は、帝都ホテルのガーデンハウスで誕生会をやることに決められている。
広大な庭園を誇る帝都ホテルのイングリッシュガーデンを借り切ったガーデンパーティだ。
どう考えても、実は貧乏な我が家には釣り合わない場所だ。
正直言うと――背伸びしてる。かなり。
跡継ぎを内外にお披露目するパーティだから、春花家の威勢を示さなきゃいけない。
でも俺のためのパーティと言うより、これは「春花家」のイベントなんだ。
春花家は、次期当主が十六歳になる誕生日には会を開く。
そこで次期当主の挨拶と、配偶者の紹介をおこなう。それをもって次期当主は決定されるんだ。
跡目争いが起こらないように、天下に宣伝する、ということらしい。
内輪の話になるけど、おかげでここ数年は緊縮財政だった。
ホテルオーナーの山形さんが父さんの幼なじみだったので、いろいろ親切にしてもらって貸し切りにできた、って感じだ。
今年は、俺が跡継ぎとして、仮婿として冬志さんが、紹介される予定になっていたけど――変わった。
妹が生まれるってことは、妹が次期当主になるってことだ。
もう俺は跡取りにはならない。
そして、婿取りもなくなる。
ということは、俺の誕生会は開いてはいけない――はずなんだ。
俺が跡継ぎだと宣言してしまったら、妹が跡を継げなくなってしまうから。
まあ、俺としても諸々考えると、パーティはお流れになってくれたほうが助かるんだけど……。
俺は急いで箸を置いた。
「誕生会はどうなるんですか?」
「中止にすることも考えたんですけれど、いろいろ相談して……」
母さんは父さんと微笑みあった。
「会は開きますわ」
「えっ……」
絶句してしまう。
どういうこと?
俺が冬志さんに破談を伝えてからの母さんの動きは神速だった。
その夜のうちに厳原のおじさんと会って、なんと別の縁談を提示したんだ。
やがて生まれる妹と、厳原家の三男――冬志さんの弟さんとの婚約だ。
年齢的にも釣り合いは悪くない。何より、厳原のおじさんが冬志さんを俺の婿にしようとした目的がちゃんとかなえられる。そんな代替案をすかさず出して、話をスムーズにまとめてしまったのはさすがだ。
おかげでトントン拍子に婚約解消ができた……と、聞いてたんだけど。
「あの……次期当主の顔見せはどうなるんですか……? パーティは開かない方がいいんじゃないでしょうか……?」
「でもねえ、今からキャンセルしてしまったら、山形様にご迷惑おかけしてしまうでしょう? せっかくあれこれ取り計らっていただいたのに」
「ああ……」
「それに、急に中止にしてしまったら、何かあるのではないかと疑われてしまうわ。娘が生まれるまではトラブルは避けたいんですの」
そ、それは確かに。
母さんはにっこりした。
「そこで、開くだけは開いて、途中であなたが体調を崩して、病院に運ばれたことにするんですわ。そして、後日改めて書面でご挨拶、ということにして、あとはうやむやにしてしまいましょう」
「なるほど……」
母さんは父さんとにこやかにうなずきあっている。
おっとりして見える母さんだけど、仕事に関しては辣腕だ。
父さんは学者肌で、落ち着いてしっかり母さんを受け止めながら、母さんが暴走しそうなときには落ち着かせる。二人が決めたことなら、俺に否やはない。
「それでよくって?」
「はい」
「ですからね、あなたが体調が悪く見えるのはいいことなのかもしれないんですわ。ただ、本当に具合が悪いのは良くありませんから、何かあったら病院で診ていただきましょう」
いよいよ終わりが見えてきた。もうすぐで全てが終わる。
とにかく、パーティがクライマックスなんだから、そこまでしのげば俺は無事に自由の身になれる……。
そのはずなのに、気分が晴れない。
(……花婿候補はまだ一人残ってるけど……それは大丈夫なのかな……)
それに。
こうなってみると、気がついてしまった。
俺って、ほんとになにもないなあ。
好きなこととか。好きな人とか。夢とか。希望とか……。
――冬志さんのことが、ふと頭に浮かんだ。
(でも……冬志さんのことは、好きになっちゃいけない……)
俺はそう決めながら、母さんと父さんに微笑み返した。
「……大丈夫です。ちょっと寝不足なだけで」
校舎へのゆるやかな坂道を上ってゆく。
初夏の日差しは朝からまぶしいけど、空気はまだ爽やかだ。
皆が例外なく上にのぼっていくなか、にぎやかなグループが降りてくるのが視界に入って、思わずぎくりとした。
リーゼントや金髪や短ラン……あれは……。
こないだ俺を恐喝しようとした人たちでは……?
俺に土下座したようすも浮かんできて、なんとなくいたたまれずに目をそらした。
「あんた……」
それは向こうも同じだったらしい。
なんだか気まずそうに俺を見ながら、不良の先輩たちは足を止めた。
「よう……」
「あ……おはようございます……」
「……こないだは悪かったな。やりすぎだったとは思ってんだマジで」
「……あ、いえ、あの……」
「それに、あんたも大変だよな。あんなヤンキーに見込まれてよ」
「え?」
きょとんと見返す。
その背後から、ばたばたと大きな足音が近づいてきた。
「春花! 春花!」
「え?」
アイリス館のほうから手を振って駆け下りてきていたのは、四方田くんだ。
「あ、四方田くん、おはよ……」
「よかった、探しに行くとこだったんだ! アイリス館で大変なことが起こってるぞ、早く!」
「大変なこと?」
大変なって……老朽化で壁が崩れたとか……?
不良の先輩たちが、「じゃあな」「俺たちはラーメン食いにいくからよ」と手を上げて、セミの声が響く石畳の道を降りていく。
なぜこれから学校なのにラーメン……。
「は、はい、ありがとうございました……?」
急いで頭を下げる腕を、四方田くんに引っ張られた。
「早く早く!」
「あ、え、あ、うん」
「というか、なんであの怖い先輩たちと立ち話してたんだ? 春花の交友関係ってちょくちょく謎だな……」
「あはは……」
わけがわからないまま、せき立てられて坂道を上っていくと、赤レンガ色のアイリス館が見えてきた。
芝生広場に黒山の人だかりができている。
みんながアイリス館を見上げて指さしたり、叫んだりしている。なかには、学生だけじゃなくて先生たちもいた。
「降りてきなさい!」
そんな声も聞こえてくる。
な、なに……?
「屋根だよ、屋根!」
四方田くんにうながされてアイリス館の屋根に目を向け、あれ、と思った。
屋根の上に、人がいる……?




