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5-12 傷だらけを抱きしめて

 まさか。

 まさかこの人も……俺を……?


 す、す、す、す、すすすすすすす、好き……とか……?


 絶望のあまり頭が真っ白になりそうだった。


 普通ならこんなこと、疑うだけでおこがましい。

 桐谷さんは不良で怖いけど、義理堅くていい人だし、優しい。

 〈はなこい〉でイケメンって設定になってただけあって、すごくかっこいいし。

 そんな人が特に取り柄もない俺を、だなんて、男同士だってところを割り引いても、普通は申し訳なくて考えることもできない。

 でも今はちょっと事情が違う。


 だって押し倒されてるし。

 俺じゃダメかって言われてるし。

 〈はなこい〉でヒロインを好きになる予定の人だし。


(またフラグ、折れてなかった……!!)


 こういうのは多分、本当に俺を好きって言うより、シナリオの設定から来る刷り込みみたいなものなんだろう。うん。だったら俺も納得いくし。


 とにかく、そういうことなら、今は逃げなきゃ……!


 俺は必死で桐谷さんの胸板に手をかけて押し戻そうとした。


「離して、くだ、さいっ……!」

「んだよ、効かねーって。……可愛いなあ」

 

 桐谷さんは俺を見下ろして、クックッと肩を揺らせるようにして笑った。

 全然余裕だ。

 一生懸命ぐいぐい押してもびくともしない。


「……あんたみてーなやつ、初めてなんだ。……どう扱えばいいのかわかんねえ」


 ほっぺたをくすぐるように撫でた、桐谷さんは優しい目をしていた。

 

 女の子ならきゅんとしてるのかもしれない。

 だけど俺はぶるぶると高速で首を左右に振った。


「それは気の迷いです」

「本気だぜ」

「本当に俺のためを思ってくださるなら、離して下さい……!」

「……強引なのはダメなわけ?」


 ふうん、とつぶやいて、桐谷さんは俺を見つめる。

 今度は高速で首をうなずかせた。


「絶対にダメです!!!!」

「……強引に迫ったら?」

「せ、せ、せ、迫られたら……!?」


 迫られたら、迫られたらって……!

 目が回りそうだ。俺はちょっと涙目になりかけていた。


「き、き、き、嫌いになります……!」


 一瞬ぽかんと目を円くしてから、桐谷さんは急に吹き出した。


「そうか、嫌いになるか……嫌いになられるのは困るな」

「じょ、冗談で言ってるわけじゃありません!」

「わかったわかった。どうも俺はあんたに泣かれたくねえみたいだし」


 くっくっ、となお笑いながら、桐谷さんは身を起こした。

 

 助かった……!

 俺は全力で起き上がって、また桐谷さんに爆笑された。


 意外と、すごく楽しそうに笑うんだな、桐谷さんって。

 その笑顔が子どもみたいで、なんだか怒るに怒れなくなる。


「笑い事じゃないです! ほんとに嫌いになりますよ!」

「わかったから、んな顔すんなって」

「もうこんなことしないでくださいね!」

「今はな」

「今はな、じゃありません!」


 精一杯クギを刺しつつ、なんとなく、桐谷さんてモテるんだろうなあ、って気がする。

 俺だって、気がついたら桐谷さんに気楽にこんな言い方ができてる。

 

 恋愛感情じゃないけど……友達になれたら嬉しいだろうな。

 俺は、笑い続ける桐谷さんを見ながら、そう思った。





 

 修陵院の正門が見えてくるころには、じりついた日差しはもう影を長くし始めていた。

 もう鞄を提げた学生たちが、ぽつぽつ校門から出てきている。


 ああ……。

 午後の授業も終わってしまった……。

 冬志さんと会えるかな……。


 スピードを落としたバイクはゆっくりと校門前のロータリーに滑り込んでいく。

 桐谷さんの背後でため息をついたら、桐谷さんが笑ってるらしい振動が伝わってきた。


「大体わかるぜ。本気で真面目だなあ、あんた。たまには色々忘れろよ」

「いえ……真面目って言うか……」


 冬志さんに、婚約解消の話をしなきゃいけないんだけど……。


「俺と付き合ったら、あんたを自由にしてやれるのにな」

「また……冗談はやめて下さい」


 ヘルメット越しに広い背中を軽くにらんだ、その視界に、見慣れたシルエットがちらっと映った。


 ――あれ?


 校門前にいるのは……。  


「……冬志さん!」


 バイクが止まるや、俺は急いでヘルメットを外し、小走りに駆け出した。

 校門の横に並んだ桜の木は、今は青々とした葉を茂らせている。その下で腕組みしている長身は、冬志さんだった。

 同時に、冬志さんも早足にずかずかと近づいてくる。

 

「……貴様、何をしている?」

 近づくに連れてわかった。

 冬志さんは剣呑そのもの。

 永久氷壁みたいだ。冷たい風が吹き付けてくるのさえ感じる。


 遅刻してバイクに乗ってきたから、お怒りなんだろうか。


「す、す、すみません……!」 

「おまえじゃない」


 きっぱりと言い切られ、きょとんとする後ろで、じゃり、と音をさせて桐谷さんも降り立った。


「……てめえこそ、ケンカ売ってんのか?」


 ドスのきいた、低い声だ。さっきまでと全然違う。

 怖い。

 俺なんか声を聞いただけで震え上がるけど、冬志さんはたじろぐ様子もない。


 二人ははたとにらみあった。 


 ……なぜ? 


「あ、あの、冬志さん……どうしてここに……?」

「おまえのことだから、熱が引かなくても登校するんじゃないかと思って、昼休みに電話したんだ。登与さんから少し前に出たと聞いて、教室まで行ったり、保健室をのぞいたりしてたんだが……」

「……お手数をおかけして……」

「……あいつに拉致されてたとはな」

「拉致!?」


 最後が不穏だ。


「違います! あの、桐谷さんは俺を心配して迎えに来てくれて……」

「じゃあどうして、昼に家を出たのが今着く?」

「そ、それは……ええと、海に……」

「行きたいと言ったのか、おまえが?」

「……いえ、それはあの、気がついたら……海に……いて……」

「……拉致だろそれは」


 ――やっぱりな、と冬志さんの顔に書いてある。

 その冬志さんの視線が、不意に凍り付いた。


「……それはなんだ?」 


 俺は目をぱちぱちさせて、冬志さんを見上げた。


「……『それ』?」


 我ながら間の抜けた返事をし、冬志さんが興味を引かれそうな「それ」を求めてきょろついた。

 日当たりの良い校門前は、学生たちが不思議そうにこちらをチラチラ見ながら通っていく。

 冬志さんは早口に、


「『それ』だ」


 腕を伸ばしてきた。きょとんとしている俺の襟元をつかんで、かるく引っ張り、くつろげてきた。


「え? あ、あ、あ、あの……!?」

「首筋……虫刺されじゃないな」

「虫刺され?」


 わけがわからない。

 ぽかんと見上げると、目の前に冬志さんの冷たい端正な目鼻立ちがあった。どうしてだろう、その瞬間、頭に一気に血が上った。


 顔が。顔が熱い。

 なになに、なんだ、これ。

 桐谷さんのときは平気だったのに。


 俺は必死で顔を引き締めて冬志さんの手を振り払い、襟首を直した。


「きゅ、きゅ、きゅ、急に……なんですか。俺の首がどうしたって言うんですか」

「……気付いてないのか」


 冬志さんはくちびるを引き結んだ。


「あざだ。赤い」

「……あざ?」

「ああ」


 冬志さんは、まるでそう答えさえすれば、俺が全部わかると思っているように言い切った。

 でも、さっぱりわからない。

 目線をやろうにも、首の付け根は視界に入らない。

 なんなんですか、とまた文句を言おうとして、ハッとした。


 あ。

 さっきも桐谷さんに聞かれた、キスマークだ……!

 ぶわっと顔が赤くなる。俺は咄嗟に襟を引っ張って、首筋をかくした。


「ち、ち、ち、違います、これは……怪しげなものじゃ……」


 冬志さんは俺の反応をどう思ったんだろう。くちびるがゆっくりと一文字に引き結ばれた。

 空気が一段冷えた気がした。

 ぎょっとするような怒気をはらんだ目を、ゆっくりと桐谷さんに向ける。


「貴様……」

「んだよ。まあ、キスマークをつけさせてはもらったけどな」


 バイクから降りた桐谷さんも、なぜか不敵に言い返す。

 なぜそんな誤解を招くような言い方を……!

 桐谷さんは剣呑な表情で冬志さんの胸元を指さした。


「気がつかねえのか? 薫はてめえにおびえてるじゃねえか」


 いつの間に呼び捨てに……などと思ってると、ざわざわと学生が集まり始めていた。


「ケンカ……?」


 そんなざわめきも聞こえてくる。

 何かが引っかかった。

 

(……この展開……知ってる……?)


 不意に心臓がどきどきし始めた。記憶が蘇ってくる。


(知ってる!)


 これ……シナリオ通りだ……!

 決闘イベントだ!


 〈はなこい〉の桐谷さんルートでは、ヒロインと桐谷さんが親しくなっていくのを見た冬志さんが、怒りにまかせて決闘を申し込む。


 決闘というのは、修陵院の伝統だ。

 学生同士でもめ、話し合いで決着がつきそうにない場合、アイリス館の屋根にのぼるんだ。

 中央の尖塔の尖った避雷針に、先にハンカチを結んだほうが勝ちになる。

 その際には、フェンシングの授業で使われるエペ剣という剣で相手を妨害してもいいことになっている。ところで、今まで普通だと思ってたけど、前世の記憶が戻ってみると、フェンシングの授業があるっていかにも上流階級の学校って感じだよね。


 シナリオによると、決闘の最中、冬志さんはエペ剣で桐谷さんを攻撃して、屋上から転落させそうになる。

 そのせいで、冬志さんが、実は腹黒い人だったことがわかって、人気がなくなってしまう。一方、最後まできちんとルールを守って正々堂々と戦った桐谷さんの評価が上がるんだ。


 かなり重大なイベントだ。

 俺の誕生日の「冬志さん糾弾イベント」の確度を上げてしまう。


 俺の知ってる冬志さんは、決してそんな危険なことをする人じゃない。

 でも俺だって気がついている。四月からというもの、シナリオの細部は変更できてるけど、大筋はそのまま実現してきている。

 フラグを避けたつもりでも、気づいたらシナリオ通りになっていく。


 ……油断はできない。

 身にしみてる。


 例えば、桐谷さんが自分で足を滑らせたのが冬志さんのせいだと勘違いされてしまう、とか。

 自分で考えといてなんだけど、ありそうじゃないかな。


 そのせいで冬志さんが学園で嫌われるようなことになったら……?

 桐谷さんが大けがしたりしたら……?


(ダメだ、決闘だけは……!)


 頭から血の気が引いていった。






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