表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
48/80

5-11

 ……ここは……。


 俺は呆然と立ち尽くしていた。

 さぁっと爽やかな風が、俺の前髪を吹き上げていく。

 潮っぽい匂いの……。


「……海……?」


 足下のさくさくした砂。

 打ち寄せる白い波。

 波間にきらめく陽光。

 岬の間の水平線まで、明るい青に輝く水面……。


 俺は海にいた。


 海……。

 学校に行くはずだったのに……。

 途中から学校と逆方向に走り出し、あわあわするうちに、海……。


「ききき桐谷さん! が、が、が、学校……!!」

「いちいちうるせえなあ」


 桐谷さんは平然と道路から砂浜に降りていく。

 浜、と言っても、海水浴場になっているようなにぎやかな場所じゃない。

 町並みも切れた海沿いの一本道。ガードレールを越えて降りると浜辺に出た。

 周囲を崖に挟まれた、ひとけもない小さな浜辺だった。

 

 肩越しに振り返って、


「このへんは乗り合いバスもねえぞ。俺のバイクでしか帰れねえんだから、あきらめて俺の機嫌でもとってろって」

「そんな……!」

「あー、鞄なんてバイクんとこに置いてこい。教科書盗むやつなんていねえよ。ずっと乗ってて疲れたろ、手足伸ばせよ」


 ――確かに見渡すかぎり、民家もバス停もない。

 バイクで一時間くらいかかったから、歩いて戻れるような距離じゃないし……。 

 

(ああ……午後の授業、とっくに始まってるなあ……)


 俺はしょぼしょぼと道を降りて、桐谷さんのあとを追った。

 桐谷さんは肩越しに振り返って吹き出し、


「なんだよ、天変地異にでもあったような顔色じゃねえか。そんなにショックか?」

「……学校……さぼったことないんです……」

「だからさあ、いい子過ぎんだよ、あんた。今年、海見るの何度目だ?」

「……初めて……です……」

「そのせいで思い詰めた顔になるんだよ。ほら、見てみろって」


 ぽん、と頭に桐谷さんの大きな手が置かれて、うながされるように海に視線を向けた。

 昼下がりの真っ青な夏空と、その下で一段色を濃くしてきらめく海。


「きれいだろ?」

「……はい……」


 色々言いたいことはあるけど、実際、海はきれいだった。

 ふっと、胸の奥のつっかえが柔らかくなったような気がするくらい。


 俺はうなずいた。 

 桐谷さんは小さく声を立てて笑い、砂浜に腰を下ろして、隣をたたいてみせた。


「座れ。少しやわらかい顔になって帰れるなら、学校行くより価値があるぜ」


 ――もしかして、俺が落ち込んでるのを察して、気を遣ってくれた……?


 ちょっと距離を空けて座る。

 一応、花婿候補だし、警戒はしなきゃ。


 桐谷さんはその微妙な距離もむしろ面白がってるみたいに、ちらっとくちびるの端を持ち上げて、海に顔を向けた。


「感謝しろよ。今まで誰も連れてきたことねえんだぜ」

「え?」

「この場所。嫌なことがあったときなんか、バイク飛ばして海を見に来るんだ。あんま人もいねえしな」

「あ……」


(……どうして桐谷さんはこんなに気を遣ってくれるのかな……)


 昨夜までは、恩人だから、という理由で納得できた。

 でも今日は、もう度を超してる気がする。


 ……〈花婿候補〉だからだとすると……俺を好きだからってことになるけど……。


 いや……う~ん……。

 

 そんな感情が生まれるようなきっかけ、なかったよね……?

 でもフラグが折れたかどうかは微妙だし……。


 ……ふんわりさせておくのが無難だけど……。

 それは桐谷さんに対して不誠実かもしれない……。

 

 そっと手を握りしめ、俺は目を上げた。

 桐谷さんは海を眺めている。


「あの……桐谷さん」

「おお?」

「……どうしてこんなに、親切にして下さるんですか……?」

「……それは俺も、どうしてか考えてるところなんだが」

「……え?」


 桐谷さんは脚に頬杖をついて、考え込むようにまじまじと俺を眺め始めた。


「……最初に会ったときから、あんた見てると、いつか会ったことあるなって気がすんだよな……」

「桐谷さんとですか? 学校で……でしょうか」

「いや、もっと昔だ。不思議な気持ちになる、守らなきゃいけねえような……癒されるような……」

「……えっ……」


 桐谷さんは急にニッと笑った。


「考えてたらわかった」

「なんだったんでしょうか……?

「柴のハナコだよ。子犬の。小さいころ、家で預かってたんだ」


 ……子犬?


「ああ。あんたハナコに似てるんだよなあ、なんとなく」


 そこはかとなく嬉しそうに、桐谷さんは大きな手で俺の頭をなでなでする。


「……良い意味……です……か……?」

「良い意味に決まってんだろ」


 複雑だけど……恋愛感情ではない……ってこと……かな?

 ちょっとホッとしたとき、桐谷さんがふと眉をひそめた。


「……なんだそれ」

「え?」

「それ」

 

 桐谷さんは、俺の首筋を指先で突いた。

 ちょうど制服のシャツで隠れるあたりで、首を曲げても俺には見えない。


「何かついてますか?」

「いや、……アザっつーか……キスマーク?」

「キスマーク?」


 思わずきょとんとして繰り返した。

 キスマークって……女の人が口紅を塗ってチュッとしたらくちびるの跡が残る、あれ……?


「え、くちびるの痕なんかついてますか?」

「いや……、って、あんたキスマーク知らねえの?」

「え?」


 桐谷さんは俺を眺めて、面白そうな顔をした。

 その手が俺の肩から腕に滑り降りる。やわらかく握って、


「……ちょっと、じっとしてろ」

「はい?」


 俺はぽかんとして見つめていた。


 腕が持ち上げられ、やわらかい二の腕の内側を表にするように、軽く半回転させられた。

 かぶさっている半袖がめくりあげられる。

 桐谷さんの銀髪が伏せられる。肌に、桐谷さんの息を感じた。


 桐谷さんはためらいなくそこにくちづけた。

 あたたかいくちびるの、濡れた感覚が肌に触れて、そこからじんわりと総毛立つような感覚が広がる。


「え、え、え」


 離れようにも、もう片腕がうしろから肩に回されていて、逃がしてくれない。

 心臓がものすごく早く打っている。外に聞こえるんじゃないかと思った。

 次の瞬間、肌を強く吸い上げられてちくっと痛みが走った。


「……っ! あの……!」


 思わず俺は腕を引いた。


 今のは、どういう……?


 呆然と桐谷さんを見つめていると、桐谷さんは口元を拭って、笑った。


「見てみ」

「……え……?」


 俺は動揺しつつ、くちづけられた腕に目を落した。

 肌に、じわっとにじむように赤いあとが浮かんでくる。


「あざ……」

「それがキスマーク。実地がわかりやすいだろ」

「わ、わ、わかりやすいですけど……でも」


 赤くなるのはおかしいだろうか。

 俺はこんなことされたことないから、すごく動揺してしまうけど、桐谷さんは平然としてる。

 わからなくなってきた。俺が気にしすぎなのかな?

 友達がいない弊害で、いまいち基準がわからない。

 

「あの、あの、ありがとうございました……わかりましたので、離……」 

 

 そっと桐谷さんの身体を押しやろうとすると、逆に桐谷さんの力が強くなった。 

 

「なあ」


 桐谷さんはあの頼もしい笑みを浮かべている。

 でも子どもらしい無邪気さはなくて、熱っぽい――まるでこちらの気持ちを見透かしそうに強い視線だった。


 俺は肩を抱かれたまま、きょとんと桐谷さんを見上げていた。


「……俺にしろよ。俺ならあんたを怖がらせたりしねえ。あんたを自由にしてやる」


 え? 


 桐谷さんの顔が近づいてくる。

 俺は目を丸くしたまま、避けようとして身体を引いた。

 それでもまだ顔は近づいてくる。


 あれあれあれ?


 さらに下がると、重心が崩れて、俺と桐谷さんは砂の上に倒れ込んだ。

 仰向けで倒れる俺。

 上からのぞきこむ桐谷さん。


 ……ん?

 ん? 

 んんんんんんん?


 俺は呆然と、目の前の桐谷さんの顔を見つめていた。

 砂の上に横たわってる俺と。

 俺の身体を囲うように手をついて、上からのぞき込む桐谷さんと。


 こ……この姿勢は……。


「……あっ、す、すみません、俺……滑っちゃっ……」

「ちょうどよかった」


 一重まぶたのその奥の、桐谷さんの瞳が見えた。

 真剣な色――なんというか……「男」の目つきって言うんだろうか。

 こっちを射貫いて、動けなくさせるような……。


 あれ? 


 首元でしゅるっと音がして、ネクタイがほどかれたのがわかった。

 桐谷さんの手のひらが俺の頬をくるんで、ゆるりとなでる。

 鼻と鼻はもうぶつかってしまいそうだ。


 スウッと背中が冷たくなった。


 とまっていた頭が動き始める。


 これは……もしかしなくても……やばいのでは……?


 我に返ると同時に、夢中で俺はじたばたし始めた。

 でも、それも軽々と押さえ込まれてしまう。


「は、離して下さい……!」

「あの跡、あいつがつけたのか?」

「ち、ち、違います、なにかわかんないけど冬志さんはそんな人じゃ……!」

「俺じゃダメか」

「そういう、問題じゃ……っ!」


 そうだ。

 冬志さんはそんな人じゃない。

 冬志さんは俺を好きじゃないし、婚約も形だけだし、それももうすぐ解消だし。


 それでも冬志さんは精一杯俺を助けようとしてくれた。

 不器用なやりかたで、でも誠実に俺のそばにいてくれた。

 そういう人だ。


 急に目の中が熱くなって、目の前の桐谷さんの顔が揺れた。

 泣いてる、と思う前に、俺は桐谷さんを精一杯にらみつけて、声を励ましていた。


「冬志さんはこんなことする人じゃありません! 離して下さい……!」



 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ