5-9 傷だらけの空
そうだ、きっと考えすぎだよね。
と、とにかく話題を変えよう。
「あの……なぜうちがおわかりになったんですか……?」
「あー、あのとき首席様が動転してな。あんたをお姫様みてーに抱えて駆けだしたんだけど、あんたの鞄を完全に忘れてったから、しかたなしに」
「首席様……」
冬志さんのこと……だよね?
「せっかく届けてやったのに、玄関先で首席様から追い返されたんで、あんたの怪我の様子までは確認できなかったけどな」
「す、すいません、そうだったんですね?」
「ま、無事でよかったぜ」
「ご心配いただきまして……すみません……」
「……べつに心配なんかしてねーけどよ」
桐谷さんはひょうひょうと肩をすくめる。
「す……すみません……」
俺はまた頭を下げた。
ちょっと間が空いて、俺は何とか間を埋めようと、
「え、えーと……冬志さんとお知り合いなんですか……?」
「いや。だが同じ学年なら、万年首席様のことくらいは知ってるさ」
そう言えば、冬志さんも知り合いじゃないって言ってたっけ。
ふと、桐谷さんはくちびるを歪めるようにして笑った。
「氷のナントカって呼ばれてんだろ? 昼間は、あんたに近づく男は全部噛みころしたいって顔してたけどな。あんたとは婚約者なんだって?」
「え」
「あんたら、ガーデンパーティで婚約発表したって聞いてるぜ。俺は校内のことには疎いが、それくらい派手なことされちゃあさすがに耳に入るさ」
「そ、それほど知れ渡っていたんですか……」
思わず俺は考え込んだ。
う、うーん……。そりゃそうだよね、全校生徒の前で発表してしまったんだし……。
中等部の宮くんが知ってる時点で察してはいたけど。
そうなると、困る。
婚約解消しづらいからだ。
少なくとも冬志さんに迷惑をかけないようにしたいんだけど……。
悩んでいる俺を、桐谷さんは鋭い目で見た。
咄嗟に、ビクッとしてしまう。
「あの……な……なんでしょうか……?」
「……あんたを見てると、妙な気分になるんだ」
どきりとする。
桐谷さんは切り込むように言葉を続けた。
「……あんたがカツアゲされて抵抗するところ、見てたぜ。いかにも大人しいいい子ちゃんって感じのあんたが言い返してたから、面白れえと思って割って入ったんだ」
「そうだったんですか……」
「なのに、面白くねえじゃねえか。あいつは、あんたが怪我をしてんのもかまわず、腕を引っ張るような傲慢な野郎だぜ。そいつの言うことをおとなしく聞くのかよ」
「えっ?」
何のことかわからなくて、唖然としてから気がついた。
冬志さんだ。
慌てて、ぶんぶん首を横に振る。
「い、い、いえ、ちがいます! 冬志さんは、俺の傷に気がついてなかっただけで……!」
「へえ……」
桐谷さんは信じてない顔をしている。
「……どうしてそこまでしてかばってやるんだ?」
「ち、違うんです、本当に……!」
冬志さんが誤解されてしまう……!
一体どういう状況なんだろう、今?
俺は目がぐるぐるになりそうだった。
桐谷さん……俺に怒ってるの?
いや、冬志さんに怒ってるのかな、どっちなんだろう。
もしそうだとしてもどうして怒ってるんだろう?
これはフラグが折れたってことなのかな?
考えてみると、怪我するはずだった桐谷さんと、怪我するはずじゃなかった俺とで、立場が入れ替わっちゃってるわけだけど……それでフラグが折れたってこと?
だから、がみがみ怒ってる?
言葉を探せずにいると、桐谷さんは舌打ちして、
「んだよ、うさぎみてーにぶるぶるしてんじゃねえよ。そんっなにヒトが怖ええか」
「あっ、いえっ、あの、すみません……そういうわけじゃ……!」
俺は手がぶるぶる震えるのを無理に励まして、
「冬志さんは優しい方です……っ! 腕を引っ張ったことも、ちゃんと謝って下さいましたし……!」
「……わーったよ。もうあいつの話はいい。べつにあいつの話したいわけじゃねえし」
桐谷さんは銀髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「……悪りいな。こんな話したかったんじゃねえんだ。助けてくれた礼をしたかっただけなんだが……余計なこと言っちまった」
「た、助けたなんて……た、たまたまですから……」
それこそお礼を言われると申し訳なくて恐縮してしまう……。
「……あんた、マジで、もっと自信持っていいぜ」
呆れたように付け加えて、桐谷さんはふっと失笑した。
「……やっぱ、変なやつだなあ、あんた」
不意に浮かんだ桐谷さんの笑顔は明るくて、屈託なかった。一瞬で印象を塗り替える笑顔だった。
無邪気な子どもみたいで、本当はいい人なのかもしれない、と思ってしまう。
いつのまにか、つられて顔が緩んでたのかもしれない。
桐谷さんはふと俺を見つめてから、照れくさそうに顔を背けた。
「……あんたと首席様の婚約の話、小耳に挟んだときさ」
「は、はい」
「いくらしきたりだからって、男同士、酔狂な連中もいるもんだとおもったが……」
「?」
「なんかあんたなら……」
桐谷さんは急に言葉を切った。
「いや、なんでもねえ。……明日は学校はどうすんだ?」
「え?」
「あんたみたいないい子ちゃんは、毎日真面目に登校するんだろ?」
何だろう、急に。
「いえ、まだわかりません。冬志さんからも言われましたし、熱が出るようなら休もうかと思ってます」
「……へいへい、婚約者様から、な。了解」
少し乱暴な口調で言うと、桐谷さんは何の前触れもなく俺に背を向けて歩き出した。
……了解……って……?
なにが?
俺は少し呆然として、その後ろ姿が庭木を回り込んで、門から出て行くのを見つめていた。
帰ろうとしてる、と気がついて、慌てて小さく呼びかけた。
「あ、ありがとうございました!」
振り返ることもなく、桐谷さんは片手だけ頭上にあげてくれた。
さよなら、ってことかな、きっと。
俺はほっと息を吐き出した。
……これで、桐谷さんとの接点は終わった……はずだ。
今までの〈花婿候補〉とちがって、元々知り合いってわけじゃないから、もう会う理由はないような気がする。
きっと終わったんだよね……?
(……そのはずなのに、どうしてこんなに不安なんだろう……)
黒い雲みたいに不安が湧き上がってくるのをごまかそうと、俺はリビングの掃き出し窓に戻りながら、腕の中の煮干しの袋をあらためた。
「最高級にぼし」とラベルが貼られた袋の中には、銀色のきれいな小魚がぎっしり入っている。
にぼしを買ったことはないけど、ほんとにいいもののような気がした。
(わざわざ選んでくれたんだな……)
強面の桐谷さんがお店でこれを選んでるところが目に浮かんで、ほのぼのした。
花婿候補とか、そういう話になるのは困るけど。
でも、桐谷さんは「不良」のイメージのわりに、すごくいい人のような気がした。
お友達になれたら、よかったのかもしれないけど。
(普通に考えたら、俺なんて好きになるわけないよね。好きになるようないいとこ、一個もないんだし……わざわざ俺のことなんて)
どうかこれで桐谷さんのことは終わりでありますように。
俺は少し寂しさを感じながら、居間に上がって窓を閉めた。
冬志さんの予想通り、熱が出た。
(相変わらず身体、弱いな……情けない……)
ため息をつきつつ、冬志さんのおうちに電話した。
最初に出たのは、冬志くんの弟さんだった。
「洋心くん? うわあ、お久しぶりです」
思わず俺は声を弾ませてしまった。
以前、冬志さんと仲良くさせてもらってたころには修陵院の幼稚園に通っていて、とても利発なしっかりした男の子だった。眼鏡をかけたキリッとした顔が思い浮かぶ。
懐かしいなあ……。
「今は修陵院の初等部……でしたっけ……?」
「はい、お義兄さん」
はきはきと洋心くんが答える。
「おにい……」
「兄と結婚なさったらお義兄さんですので。兄にお電話ですか」
「は、はい、そうなんです」
そ、そうだった。思わずほわっとしてしまってたけど、今朝はお迎えは要らないって連絡なんだった。忙しい朝なのに、ゆっくり話してる暇はない。
少々お待ちください、と礼儀正しく言って、洋心くんの気配が電話口から消え、オルゴールの音楽が流れ始めた。
朝の明るいリビングの隅で、受話器を耳に当ててしばらく耳を傾ける。
すぐにオルゴールは途切れ、冬志さんの声が聞こえてきた。
「もしもし」
「おはようございます」
姿は見えないのに、つい頭を下げてしまう。
熱が出たことを伝えると、予想していたのか、あっさりとした返事があった。
「わかった。帰りに寄ろう」
「あ、ありがとうございます。でも、熱が下がったら登校するつもりですので……」
「無理はだめだ。一日家でゆっくりしていろ」
冬志さん、厳しい口調で言う。
「夏だからと言って油断せず、あたたかくして横になっていろ。薬も飲んで、汗もこまめに拭け、夏風邪になると長引くからな。栄養もちゃんととれよ。家にはご両親は……ああ、登与さんがいるな。登与さんにちょくちょく見に来てもらうようにしておけ」
俺は圧倒されて聞いていた。
「そ、そんな……高熱という……わけでは……。薬を飲めば引くと思いますから……」
「だから、それが油断だというんだ」
俺は思った。
……冬志さんて……。
冬志さんて……もしかして……過保護……?
その言葉を飲み込んで、俺は「大丈夫ですから」と笑った。
だって婚約解消の話をするのなら、冬志さんに来てもらったときじゃ悪い。
ちゃんと自分で会いに行って、話をしたいから。




