5-7 傷だらけのローラ
「しかし、どうもわからない」
冬志さんが不審そうに言葉を続ける。
「おまえが事前に花婿候補の条件を知っている以上、決めたのはご両親ではないのか? だが病院での様子を見ていると、ご両親は面識も心当たりもない様子だった。花婿候補というシステムは、どういうものなんだ」
ぎくっとした。
鋭い。
さすが、首席を万年守り続けてる冬志さんだ。
「俺以外の婚約者候補を、ご両親が決めているんじゃないのなら、誰が決めている?」
「そ……それは……」
「……そこで俺なりに考えてみたが……」
冬志さんのおもむろな口調に、またまたどきっとした。
「たとえば、だ。次の跡取りを巡って、親族内でもめている、ということならありうる。つまりいくつか利益が対立している派閥があって、そこが別々に自分に都合の良い花婿候補を擁立してゴリ押ししている……というような場合だが……」
「……な、なるほど……」
冬志さんの頭の良さに、思わず感心した声が出てしまった。
そうだよね。
普通は考えつかないよね。
ここが乙女ゲームの世界で、俺たちはその登場人物だなんて。
花婿候補が次々に現れるのは、それを画策している人たちがいるせいだ、って考えるのが確かに妥当だ。
俺の表情を観察していた冬志さんがため息をついた。
「……違うようだな」
「え……」
「おまえは隠し事がヘタだ」
冬志さんはまたもや、頭痛がするかのようにこめかみをもんだ。
「……一体、なにを隠してるんだ」
「す、すみません……」
冬志さんの目を見られない……。
もともといっぱい隠し事をしてたのに、今や婚約解消の予定まで隠してるんだから。
しばらく沈黙があった。
でも、狩野さんと約束したから、本当のことは言えない。
今、俺が冬志さんに話さなきゃいけないいちばんのことは、婚約解消だ。
なのに、まだ決心がついえない。
破談にしてしまったら、俺と冬志さんのあいだに、何か残るんだろうか。
もしかしたら、話すことさえできなくなる。
接点ができたのは婚約のおかげだ。
いくら俺を嫌いじゃないって言ってもらっても、一学年下で、共通の話題もなくてこれと言ってとりえのない俺なんて、冬志さんに相手にしてもらえるわけがないんだ。
どうしよう。
冬志さんの組まれた膝を見つめてると、自分が貝になったみたいな気がした。
やがて冬志さんの脚がゆっくりと動いた。
立ち上がり、高いところから聞こえたのは、いつもの涼しい響きの声だった。
「……今日はもう帰る。明日、学校はどうする。休むか」
俺は慌てて顔を上げたけど、やっぱり首のあたりしか見れなかった。
「だ……大丈夫です、行けます」
「こういう傷の場合は熱が出ることがある。無理しない方が良い」
「そんなに大げさなことでは……」
急いで首を振ったら、冬志さんの声が厳しくなった。
「大げさじゃない。……おまえの腕を引っ張ったりして……その腕が血まみれなのに気付いたとき、俺がどんなに……」
「え……」
びっくりさせちゃったかな……。そうだよね……。
また頭が下がってしまう。俺はしゅんとして謝った。
「……ごめんなさい、あの……はい……休む……かも……」
「……」
短い間が挟まって、冬志さんは身を翻し、ドアに向かって歩き出した。
「……決めたら電話しろ。登校の迎えに来るかどうか、それで判断するから」
それだけ言って部屋を出て行く。
ドアが閉まる音とともに、俺はどっとベッドに倒れ込んだ。
(あー! 俺のバカ! 情けない……!)
天井を見つめて耳を澄ませていると、やがて、玄関ホールのほうから、冬志さんと父さん母さんの話す声が微かに聞こえてきた。
追いかけて、謝って、婚約解消の話をするなら、まだ間に合う。
間に合う……。
玄関があいて、閉まる音がした。
(……俺のバカ……)
しばらくして、軽い足音が踊るように階段を上ってきた。
母さんの足音だ。ドアの方に顔を向けて様子をうかがっていると、ノックの音がした。
「薫さん、調子はどう?」
母さんがぱたぱたと楽しげな身のこなしで駆け寄ってきたところだった。
うしろから父さんも優しい笑みで入ってくる。
「どうやら、顔色はだいぶよくなったね」
「はい、痛み止めも効いてきました。大丈夫です」
俺は身体を起こして微笑んだ。
「今日はゆっくりおやすみなさいな。怖い人たちがいるものですわねえ」
「何かあったら、遠慮なく呼ぶんだよ」
「はい」
「ところで、確認しないといけないことがありますの」
母さんは頬に手を当てて、眉をハの字にした。
「あのようすでは……冬志さんには、お話してないんですわね?」
「……はい」
「お話ししづらいのはわかりますけど……今日はもう七月の四日ですわ。あなたのお誕生日パーティまではもう二十日ほどしかありませんのよ。早めにお伝えしなければ。無理でしたら、やっぱり私たちから、厳原さんのお宅に直接……」
「……ま、待ってください……!」
俺は反射的に母さんに向かって腕を伸ばして、あいたたた、と呻いた。
「腕が……」
「あらあら、うっかりさんねえ。見せてごらんなさい」
「どうやら腕をねじると痛いんだね、じっとしてなさい」
「はい……お願いします、まず俺に話させてください。礼儀として、ちゃんと自分で言いたいんです」
「あなたの気持ちはわかるから、待ってるんですのよ。でも早くしてくれないと、話がこじれてしまいますわ。厳原家には厳原家の思惑があるんですからね」
母さんはピシッと俺のおでこをつついた。
「いいですわね。今週中ですわよ。今週中には、お話してくれなければ、母さんたちが先に厳原さんにお伝えしてしまいますわよ」
「はい……」
母さんは正しい。
俺はしょんぼりしてうなずいた。
明日だ。
明日こそ、冬志さんに話をしよう。
浅い眠りのあいだで目を開けた。
「…………?」
夢の続きのような気がする。コトコト、どこかで鳴ってるのを、俺はぼんやりと聞いた。
次の瞬間、小さな固い音がまた暗い部屋に響いた。
同時にぱっと目が覚める。
――夢じゃない。
ベランダだ。庭に面した掃き出し窓にはベランダがついている。そこから、こつこつとノックが響いているんだ。
青いカーテンを締め切っているので、外は見えない。
その向こうから、また、コンコン――と響いた。聞き違いじゃない。反射的にベッドサイドの目覚まし時計を確認すると、もう一時を回っていた。
こんな時間に、ベランダからノック……って……。
心臓が早鐘のように打ち出した。
(ど……どどどどどど泥棒……? それとも……おおおおおお化け……!?)
こ、こわい。
怖いけど、ここで逃げたらいけない。
そうだ、俺は強くならなきゃいけないんだから!
だって冬志さんにちゃんと婚約破棄を申し込まなきゃいけないんだ!
立ち向かうんだ、俺!
(よし……!)
俺は腕をかばいつつ、敢然とベッドから滑り出した。
部屋を横切り、カーテンの端をつかんで、そっとのぞいてみる――そして慌てて口をふさいだ。声を立てそうになったからだ。
ほんとだ。ほんとに人がいる。
幸い、正面じゃなかったから、俺がいることには気づいてないみたいだ。
街灯の光がうっすら届いて、ベランダに立っている誰かの輪郭線を浮かび上がらせていた。
窓に向かって立っている。
貧乏揺すりをしてて、俺よりだいぶ背が高くて、肩の辺りががっちりしてて――。
……あれ?
見覚えがある……かも……?
でも、……え?
まさか……。
俺は反射的にカーテンを大きく開けた。
「えっ……」
「……起こしちまって悪りいな。庭の木伝いによじ登らせてもらったぜ」
照れくさそうに、顔をくしゃっとしてガラス越しに笑ったのは――
やっぱり、桐谷さんだった。




