5-6 傷だらけのダンディ
フラグ折りたかったら……知らん顔だよね。どう考えても。
一瞬、そんな計算高い考えが頭に浮かんだ。
でも……。
だめだ。
怪我人、それも俺をたすけようとして怪我をした人を無視して逃げたら、俺は人として何かが終わってしまう……!
目の前でなにかがガラガラ音を立てて崩れ落ちていくのを感じながら、俺は弱々しい声を出した
「あの……、怪我なさったんですか?」
「は? 誰が……ああ、これか……」
桐谷さんは胸を見下ろし、あきれ顔をした。
「……あんた……まだ気がついてねえのか?」
「え?」
「この血は俺じゃなく……」
「薫!」
「え、あ、は、はい?」
振り向く間もなく、足音が駆け寄ってくる。
ぐっと腕をつかまれるのを感じたと同時に、貫かれるような激しい痛みが腕から走り、俺は思わず悲鳴を上げてしまった。
「い、い、痛……っ!」
涙目で見上げると、氷のような目つき。
「冬志さん……?」
冬志さんだった。その視線は俺の向こうに向けられていた。いつも以上に冴え冴えと、凍るような冷たいまなざし。最近は冬志さんの表情が見分けられるようになってきた俺にはわかる。
お、怒ってる……。
圧がすごい。冬志さんが妖怪だったら間違いなく雪男だ。あれ妖怪って言うかは知らないけど。
どうしてここに? どうして怒って……?
いや、それよりこの痛みは一体?
混乱した頭に、一瞬にしてそんな疑問が走り、俺は首をねじって肩口を見下ろした。
そしたら、見えた。
最初は真っ赤な色だった。
血だ。桐谷さんのがついたんだ。
と、思って、そのあと、俺のシャツの袖がさっくりと避けて、赤く染まり、肌に張り付いているのが目に入った。
あれ……?
どんどん痛みが激しくなってくる。
これ、まさか……?
「薫に何をした!」
「なんだてめえ、いきなり? そいつから手を離せ」
桐谷さんが声を荒らげて立ち上がる。
「貴様に言われる筋合いはない! 薫、来い」
「い、い、いたたたたたた!」
「離せっつってんだよ馬鹿野郎!」
頭上でそんな怒鳴りあいを聞きながら、俺は悟った。
桐谷さんがあきれ顔をしてたのも無理はない。
怪我したのは俺だ。
桐谷さんをナイフからかばおうとして俺のほうが目をつけられちゃったんだ。
さっきのはただぶつかったんじゃなくて、俺自身が刺されたんだ。腕ですんだのは、桐谷さんがすぐに助けてくれたおかげかもしれない。
冬志さんにつかまれたのは傷そのものじゃないけど、引っ張られて腕が動くと激痛が走る。
ぶつかった衝撃の麻痺が取れていって、どくどくと脈打つようにして痛みが広がる。
なんだろう。
頭がスウッと冷たくなってきた。
視界がぐるりとひっくり返って――……
「……薫!?」
冬志さんの声を聞きながら、俺は意識が遠のくのを感じていた……。
「はあー……」
俺はため息をついてふかふかの布団に鼻先を埋めた。
薬のおかげか、腕はさほど痛くない。でもうまく動かせなくて、ちょっとごそごそしてたら、横から腕が伸びてきた。
「あ……」
ふとんをかけ直してくれたのは、無言の冬志さんだった。
――恥ずかしい。
実は、怪我自体は大したことなかったらしい。
ナイフで上腕を斬りつけられてたんだけど、幸い、桐谷さんが飛び出してくれたことで不良の先輩の気がそれて、刃先が皮膚を切っただけですんだらしい。
出血が多かったわりには、神経や腱にもさわりはない、という話だった。
俺は血にショックを受けて、失神してしまったのだった。
つくづくみっともない……。
冬志さんが家まで運んでくれ、動転した両親がかかりつけの富岡先生をすぐに呼んでくれて、手当もすんだ。
警察に届けるかどうかって話になったけど、俺としてはあまりおおごとにしたくないので、断ってしまった。
「冬志さん、気を失ったあなたを抱き上げて駆け込んでいらしたのよ。守りの騎士って感じで、かっこよかったですわ」
さっき母さんがくすくす笑いながら教えてくれた。
なんだか照れくさいような、嬉しいような。
確かに冬志さんは騎士みたいなところがあってかっこいい。
ほめられると誇らしいけど、でも俺はというと、大した傷でもないのに気絶して運ばせちゃったわけで……。
申し訳なさと情けなさで、俺は曖昧に笑うことしかできなかった。
そのまま、寝る必要もないのに、俺はベッドに押し込まれている。
俺以上に落ち込んでるのが、冬志さんなのだった。
もう、時計は七時だっていうのに、ずっと俺のベッドに付き添ってくれている。
「……冬志さん、今日は本当にありがとうございました。……俺は大丈夫ですから、帰宅していただいても……」
「……いや、できればもう少し」
白皙の顔が暗い。
「でも、安静にしてれば寝なくてもいいって、お医者様もおっしゃってるくらいですし……」
「俺が腕を握りしめたばっかりに……」
冬志さんはため息をついて、ベッドに顔を伏せた。
……なんだろう。
この気持ち。どきどきする。
本当は、前からこんな気持ちはあった気がする。今までちゃんと考えたことなかったけど。
精一杯、冬志さんにはばれないように普通の顔をして、俺は言葉を続けた。
「……あの、冬志さんはご存知なかったんですから……」
「……ちゃんと観察していればわかったはずだ。……頭に血が上った」
「どうしてそんな……いつも冷静な冬志さんが……」
「……地面に柄の悪い連中が倒れていて、おまえがその中の一人に詰め寄られてるんだぞ……」
「……はい……」
……ほんとうに、……どうしてこんなに恥ずかしいのかな……。
俺は布団の下で、蚊の鳴くような声で、すみません、とつぶやいた。
布団をかぶせてもらっててよかった。
顔が赤くなってるのが見られちゃうところだった。
俺はもう、冬志さんのことが怖くない。
冬志さんは温かい人なんだ。
でもなにかの理由で、昔通り素直に優しくできない。それでいろいろこじれてしまって、怖い顔をしちゃうんだと思う。
その「なにかの理由」というのが何か分からないけど……。
ゲームの設定だと、修陵院生への反感のせいだけど――今でもそうなのかなあ。
「それより、あの男のことだが」
冬志さんは眉間にしわを刻んだまま、考え込むように言った。
「あの男?」
「……〈花婿候補〉じゃないのか。桐原、と言ったか」
「あっ……」
ハッとした。
か、勘が鋭い。
〈花婿候補〉のことは一回しか話したことないのに。
冬志さんは俺を観察するように見つめてから、
「……やはりそうか。おまえから預かったメモの条件と一致するからな」
言いながら、制服の胸ポケットからメモを取り出して返してくれた。
「あの……お名前をご存知ってことは……お知り合いですか……?」
「いや。校内では知られている。札付きのワルとしてな。近づかない方がいい」
「……そうなんですか……」
俺はうなずいた。
前世の記憶通りだ。
今度こそ、うまくフラグを折れたかもしれない。
桐谷さんはナイフで刺されもしなかったし、入院もしなかった。
これで大丈夫。桐谷さんはうまくやり過ごせたはずだ。
(よかった……!)
ホッとしていると、冬志さんが難しい顔をして、
「しかし、どうもわからない。いったい〈花婿候補〉というシステムは、なんなんだ?」
「え」
安心したのもつかの間、俺は凍り付いた。
「初めは、ご両親が決めた候補で、おまえは漠然とした条件だけ知らされたのかと思っていたが……。しかしメモの内容を見れば見るほど、おまえのご両親がおまえの配偶者として選びそうな相手と思えない」




