5-5 傷だらけの青春
桐谷月人さん。
修陵院の二年生で、一匹狼のワイルドな不良――って設定だ。
俺は桐谷さんの背中を見上げながら、さああっと血の気が引いていくのを感じていた。
頭の中にいつものメモが浮かんでくる。
《花婿候補 五人くらい?
・優しい正統派王子様。
・ツンデレなツッパリ。
・ダンディな教師。
・甘えんぼ弟タイプの後輩。
・シャイでわんこな好青年。》
今、胸ポケットに入ってるメモを取り出す余裕はないけど、もう端っこがちょっとすり切れてるところまで、目の前みたいに想像できるようになった。
三人は名前の上にチェックがついている。
瑞希兄さん、四方田くん、宮くん。
そして桐谷さんで四人目。「ツンデレなツッパリ」だ。
(いやな予感は、これか……!)
目の前が暗くなってきた。この場でうずくまりたい。
桐谷さんのシナリオはこうだ。
〈はなこい〉のヒロインは、人通りのない路地で不良たちに襲われる。
通りかかった桐谷さんから助けてもらうものの、桐谷さんは逆上した不良からナイフで刺されてしまうんだ。
幸い、命に別状はなかった。
でも責任を感じたヒロインは、看病のために桐谷さんの入院した病院に通うようになる。
それをきっかけに親しくなっていくふたり。
桐谷さんは、ヒロインが親から婚約を強いられそうになっていると知って、助け出そうとしてくれる。
そして二人の恋が始まるんだ……。
(それ……まさに今では……?)
今の状況では……?
俺、不良に絡まれちゃってるもん……!!
しれっとシナリオが始まってた……!!
(わああ~~!! どうしていつもこうなっちゃうんだよ……!!)
しかも、相手は不良の先輩だ。
何て言うか、決めつけちゃいけないんだけど、でもやっぱり……いつもと違って、うかつなことを言ったりしたりしたら、ただじゃすまないんじゃ……?
なんかこう……サンドバッグにされてしまうのでは……?
手足がぶるぶるしだした俺の前で、桐谷さんは、不良の人たちに向かって、骨張った指をポキポキ言わせた。
ちらっと俺を見返り、くちびるの片方を引き上げるようにして、高いところからニッと笑う。
「てめえら、恥ずかしくねえのか? こんなちびっ子の一年坊主を囲んでいきがって」
「てめっ……二年の桐谷……!」
「でけえツラしやがって……!」
「このやろう……っ!」
「ちょうど暇だったんだ。遊んでやるよ」
あれよあれよという間に、不良の人たちが桐谷さんに殴りかかって、乱闘が始まった。
怒号と殴り合う重い音が響く。
俺は壁に張り付いて、ガタガタと震えていた。
逃げたい。
でもそれどころじゃない。
記憶のとおりなら、桐谷さんは、このあとナイフで刺されてしまう。
俺はそれを知っている。
そりゃ大怪我じゃないにしても、やっぱり刺されるのは痛い。
(わかってるのにほっとけないよ……!)
こうやって見てると、とにかく桐谷さんは強かった。
相手の蹴りを鞄で跳ね返し、こぶしをかわして、自分の蹴りは的確に先輩たちのみぞおちにたたきこんでいく。
でも、この強さで、相手を逆上させてしまうんだ。
(確か、後ろから……)
桐谷さんの周囲をきょろきょろすると、蹴り飛ばされて壁にぶつかった金髪の先輩が、よろよろ起き上がるのが見えた。ポケットをごそごそしてる。取り出した手の中で、ぎらりと何かが光った。
「このやろう……!」
背筋が凍る。
あれだ……!
桐谷さんは背を向けていて気が付いてない。
未来の記憶があって、よかった!
俺は無我夢中で鞄を振りかぶった。
「桐谷さん! 危ない、うしろ!」
鞄を思いっきり金髪の人に向かって投げつけると、ばちーんと音を立てて、その顔面に鞄が正面からぶつかった。や、やった……!?
でも、のけぞってよろめいた金髪の人は、立ち直るや否や、涙目をさっと俺に向けた。
「このガキが……っ!」
鋭く光る刃先が、今度は俺に向かって突き出された、次の瞬間にその人はダッシュしていた。
避けなきゃ。
でも足が地面に張り付いたみたいで……!
右肩にドンッと衝撃が来た――熱い、と思うと同時に、俺は後ろに引っ張られた。
目の前で、金髪の人の顔面に黒い革靴がたたきこまれた。
そのまま路地にひっくり返って、ナイフがその手からこぼれ、音を立てて転がっていくのを、俺は唖然と見つめていた。
俺は引っ張られて、桐谷さんの胸に引き寄せられていた。
金髪の人を蹴り飛ばしたのは、桐谷さんだった。
「ケンカを知らねえやつが、余計なことすんじゃねえよ」
頭上で低い叱責。
スマートに見えたのに、その胸は意外なほどがっちりしていた。
「ご……ごめんなさ……」
なんだろう。
さっきぶつかられた衝撃のせいか、右腕がかあっと熱くなり始めた。
「……おい、あんた……?」
不意に、頭上で桐谷さんの声色が変わった。
なんだろう。
「腕見せろ」
「す、すいませ……」
「いいから動くな!」
思わずすくんでしまう。
どういうわけか、不良の人たちも青くなって俺を見ている。
逃げろ、とどこかで声がして、それが潮になった。先輩たちはいっせいに駆けだしていった。
「ここまでにしといてやるぜ!」
俺はぽかんとして見送っていた。
急にどうしたんだろう。
でも……助かったんじゃあ……?
俺はへたへたとへたりこんだ。
なぜか桐谷さんもしゃがみこんで、俺はまるで桐谷さんの胸に寄り添うような姿勢になる。
ん?
なにこれ?
腕が……?
桐谷さんはゆるく結んでいた制服のネクタイをほどき、くるくると俺の腕を縛り上げた。
「な、な……?」
「じっとしてろ。気分は」
「え、あの、大丈夫です……あの、俺よりも……大丈夫ですか……? 怪我は……?」
俺のすぐ顔の横で、桐谷さんの大ぶりでくっきりした目鼻立ちがあきれた色を浮かべた。
「俺の心配してる場合か? 俺は大丈夫だ、ぴんぴんしてるよ。あんた、坊ちゃんにしちゃやるじゃねえか」
耳元で笑みを含んだ低い声が聞こえた。
うっ。
「面白いやつ」って……少女漫画や乙女ゲーの「あるある」では……?
桐谷さんの指が俺の肩をぽんぽんとたたく。
(……よし、ナイフからも守れたし……もう大丈夫!)
そうなれば、これ以上じっとしてる必要はない。
なんだか腕が――どくどく脈打つように痛み始めた気がするし……。さっき不良の人にぶつかられた衝撃が、今出てきたのかな。とりあえず家に帰りたい。
俺はぺこりと頭を下げて、
「た、たすけてくださってありがとうございました……! あの、すみません、実は少々急いでおりまして、これで……」
「バカ、じっとしてろ! あんた、家はこの辺か?」
「え……近所ですけど……?」
気が付いた。
桐谷さんのシャツに、血がにじんでいる。
(まさか、いまの乱闘で怪我を……?)
頭の中に選択肢が浮かんだ。
▽ 手当を申し出る
▽ 知らん顔をする
(うう……)
フラグを折りたい。
でも。
ここで怪我人を見捨てていくのは、人として何かが終わってしまう気がする……!




