5-4 君はロックなんか聴かない
一人で帰るのは久しぶりだ。
四時過ぎ。
いつもなら、冬志さんを教室で待つか昇降口で待ち合わせして一緒に帰るんだけど……。
(……顔を合わせられないよ……)
並木道の影を踏みながら、ため息をつく。
どこかの梢でセミがやかましく鳴き出した。
初夏のじりじりとした光が、赤煉瓦やモルタルのビルの影を、斜めに濃く長く石畳の上に横たわっている。
七月の空はまだまだ青かった。
明るい景色なのに、俺はどんよりとしていた。
(……冬志さん……すっぽかしちゃったな……)
絶対怒られる……。
だけど、まだどう話せばいいか、わからないんだ。
思いつくまで、もう少しだけ時間を下さい……!
頭の中で何度も謝りながら、見慣れたスパゲティのイラストの看板を目印に、俺は近道に曲がった。
雨染みのできた壁と壁に挟まれた小道。
洋食屋さんと眼鏡屋さんのあいだの路地――いや、道、っていうか、ちょっと広めの隙間ってくらいかな。
両脇を、水道管やガス管の走る垂直な壁に挟まれてて、足下の舗装も小石混じりのコンクリート。ひびわれからは雑草が顔を出している。そんなところだから、ほとんど通る人はいない。
でも、俺の家に向かうには、ここを抜ければすぐ。表通りをぐるっと遠回りしないでいいから、俺は子どもの頃からいつも使っていた。
人通りのない路地を抜けていくと、革靴の足音が小さく反響した。
冬志さんへの説明を考えながら歩いていたから、そのせいだと思う。
気がつくのがすっかり遅れちゃったんだ。
出口側、抜けた先に見える歩道の柵を見つめて歩いて行きながら、気が付いた。
誰かいる。
――俺ひとり分のはずの足音が、複数聞こえる。
(……ん……?)
振り返ってみるなり、どきっとした。
路地をふさぐようにして、背の高い男の人たちが四人。俺に続いて路地に入ってきてる。
髪は金髪とか茶色のリーゼントで、制服のシャツもズボンも大きめでだらんと崩され、ポケットに手を突っ込んで、がに股だ。ニヤニヤしながら俺を見ている。
――なんだか、ちょっと……怖い。
顔を見るなり、こんなこと思うの、失礼かもしれないけど……!
俺はそうっと前に向き直って、足を速めた。
でも、もう遅かったんだ。
ざりざりざり、と後ろの足音も速度を上げて、ぐいっと肩をつかまれた。
「へっへっへ。きみ、うちの生徒みたいだねえ」
「うへっへっへ。坊ちゃん、帰るところかい?」
絵に描いたように悪者っぽいにまにま顔が俺をのぞきこんだかと思うと、俺は壁際に押しつけられ、四人に取り囲まれていた。
ふ、ふ、不良だ……!?
数少ない、修陵院の不良学生。
校庭なんかで壁にもたれかかってべったり座り込んでいるのを見かけたことはあったけど、こんなに近くで顔を合せるのは初めてだった。グッと押されて、背中に当たるビルの壁が痛い。
そう言えば……、お昼に瑞希兄さんから警告されたのに……!
よりによってその日にこれ……!?
(いや、落ち着け……カツアゲじゃなくて、ただ道を聞きたい人かも……!?)
「ボクちゃん、俺たち、ちょ~っと遊びに行きたいんだよねえ。ボクちゃんもどうかな? 嫌ならお財布だけでもいいんだよ」
儚い期待はばっさりと斬り捨てられた。
(せっかく瑞樹兄さんが教えてくれたのに……! 俺のバカ……!)
怖かったけど、俺はせいいっぱい背筋を伸ばして、キッと見返した。
一応俺だって、春花家の跡取りなのだ。こういうときに負けてはいけない。……と、言い聞かせる。
「な……何かご用ですか」
「か~わいい、顔が真っ青だよお。何かご用ですかと来た」
「ねえねえ、一年生? 後輩だよね? 先輩たちにちょっと貸してほしいだけなんだよ~」
「い、い、いやです」
俺は精一杯きっぱりと答えた。でも語尾がちょっと震えた。
不良の先輩たちは、これまた当たり前だけどやっぱりひるむ様子もなかった。
「ボクちゃん、あんたには先輩たちへの優しやや思いやりはないのかなあ」
「自分で財布を出すか、俺たちに引っ張り出されるか、どっちか選ばせてあげるからさ~」
「はっ……離してください!」
手首をつかまれてとっさに振り払おうとしたけれど、次の瞬間俺はもみくちゃにされていた。
なにかが俺の顔を覆い、上体や腰を押さえつけられ、手をつかまれて、視界が真っ暗になった。
ぷんぷんする香水の匂いが鼻先に近づいてきて、鞄を取り上げようとする。
(うわああ~!)
本能的に俺は空いた片手で鞄を抱きしめた。
(しっかりしろ、俺……!!!)
動かせるのは脚しかない。目をつぶって遮二無二じたばたすると、膝が何かにぶつかった鈍い感触があって、同時に悲鳴が上がった。
「ぶごぅっ」
「ま、まこちゃん!」
目を上げると、不良の一人が地面をのたうちまわっている。
他の不良たちはいっせいに俺から距離を置いて、どよどよと、
「な……なんだ、ボクちゃん……」
「急所にニー・キックを的確にたたきこみやがった……!?」
「こいつ……ただもんじゃねえぞ……」
あ……偶然股間に当たったんだ……。
不良だけど、やっぱり修陵院の生徒なので、あまり屈強じゃないのかもしれない。
何事もやってみるものだなあ。
(い……今だ!)
俺は後ずさって駆けだそうとしたけど、うしろに回り込んでいた男の胸板にぶつかって、そのまま羽交い締めにされた。
「はっ……離っ……」
「こうなりゃあ、金だけじゃすまねえなあ……」
「かわいそうなまこちゃんの股間のぶんも償ってもらうぜ」
「仕返ししてやれよ、まこちゃん!」
じりじり輪を狭めてきながら、男たちは、再びにまにまと笑い出した。
「やりやがったな……このやろう……!」
涙目の「まこちゃん」が腕を振り上げ、咄嗟に俺は身体を縮めて目をつぶった。
殴られる……!
そのときだ。
「はがぁっ」
「ひでぶっ」
そんな北斗の拳の悪役みたいな――北斗の拳って何かわからないけど言葉だけが浮かんだ――悲鳴が聞こえて、ドスッと鈍い音が響いた。
え!?
「まこちゃん」はまた地面に倒れてぴくぴくしている。まこちゃんだけじゃない、その隣の小太りの先輩もうずくまっている。
な、なにごと……!?
呆然とそれを見つめていると、突然手首をつかまれたのを感じた。そのままぐいっと引っ張られ、俺はよろけながら、必死でもがいた。
「離して! 離っ……」
「……落ち着け」
低い声がした。
俺は顔を上げた。
黒々と光を飲み込むような深い色の瞳が、俺を見つめていた。
ブリーチされた真っ白な――いや、銀かもしれない――短髪。
糸目ですっきりした顔立ちだけど、針金のように鋭い印象がある。
修陵院の制服だけれど、学校の皆と違って第一ボタンは外され、ネクタイもゆるめられて着崩されている。首元に銀のチェーンが見えた。
でも不良の人たちのようにだぼっとしてはいなくて、細身で、なんというかスマートでスタイリッシュだ。
肩も幅広くて背が高いから、まるで狭い路地に突然ワイルド系のモデルさんが現れたみたいにかっこよかった。
でも……この人は……一体……?
呆然と見上げていると、その人もハッとしたように瞬きした。
乱暴にその人の胸元に引き寄せられる。
「……じっとしてろ」
ぽん、と肩を押されてその人の背後に回らされたとき、俺の頭の中に、記憶がどっとよみがえった。
スチル絵が見える。
薄暗い路地で、ヒロインをかばうように立ちはだかる銀髪の人。
ヒロインを守るこの人は、――桐谷月人さん。
次の、〈花婿候補〉だった。




