5-1 夢は夜開く
結婚しなくてすむ……?
俺はしばし呆然としていた。ハッとして、廊下に誰もいないことを確認して戸を閉める。狩野さんにベッドに座ってもらって、俺はその前でカーペットに膝を突いた。そろえた膝に置いた両手は、緊張のせいでうすく汗ばんでいる。
「どういうことですか……?」
「うむ、ワシもじっくり考えてみたんじゃ。要は、婿取りの発動条件そのものをなくせばいいわけじゃろ?」
「はい」
「そこで、ある職員を買収したゃ」
「ば、ば、ば、買収!?」
急に穏やかじゃない。
狩野さん、まさかなにか恐ろしいことを……?
「高かったぞ。職員食堂のランチ券綴り半年分じゃ」
「……ん?」
急にほっこりした。狩野さんはおもむろに、
「買収したのは、誕生課の同期じゃ」
「誕生課……」
「人間の誕生を管理する部署じゃ。端的に言うと、十ヶ月後、お主には妹が生まれる。意味はわかるな」
息が止まるかと思った。
それは、俺自身、子どもの頃から願ってたことだったから。
春花家の正式な跡取りになれるのは女子だけ。俺はなれない。
――その俺に、妹ができる。
もちろん家族が増えるのは嬉しい。妹ってかわいいんだろうなあ。
けど、それだけじゃない。妹ってことは女の子ってことだ。
女の子ってことは……。
「……正式な跡取りになれる……ってことですか……?」
狩野さんは重々しくうなずいた。
「ほんとですか!? すごい!」
「そうじゃ。そしておぬしは、婿を取る必要はなくなる」
でもすぐに、子どもらしい顔をしょぼんとさせて、
「……名案と思ったのじゃが」
「えっ、名案です! すごいです、狩野さん! やっと我が家に本当の跡取りができる……! なんてお礼を言えばいいか……あれっ、でももしかして妹が後を継ぎたくないって言ったらどうしましょう……!? どうすれば良いと思いますか狩野さん……!?」
「落ち着け」
どうしてか、狩野さんの眉根は開かなかった。おもわず腰を浮かせてしまった俺に向かって、噛んで含めるような口調で、指摘した。
「おぬしは冬志を好いているのじゃろ?」
「い……いえ、あの、まだそんなにはっきり決まったわけじゃ……ひょっとしたらって言うか……」
「どっちでもいいわい。だとすると、結婚できなくなってしまってもいいのか?」
「……ああ……」
俺は少しぼんやりしてしまった。
そう。
そういうことなんだ。
法律として同性婚は認められてない。もちろん仮婿だって法的には無効なんだけど、仮婿は「家」によってバックアップされているので、両親を初めとした周辺からも肯定的に「夫婦」と認められる。
この仕組みは、あくまで男が家を継ぐためのものだから、俺が後を継がないならもう必要なくなってしまう。冬志さんとの結婚は破談になる。
それに――言ったら何だけれど――こんなできごとでもなければ、冬志さんが俺と結婚しようなんて考えてくれるわけがない。
設楽さんが教えてくれた。冬志さんには好きな人がいるんだ。どんな事情があるかは聞いていないけど、その人のために俺との結婚を承諾したけれど、本当ならその人と結ばれたいはずだ。
ふと。
寒気が脚にまとわりついて、じわじわと這い上ってくるように、良くない考えが浮かんだ。
こんなことでもなければ、冬志さんが俺を振り向いてくれるはずがない。
知らなかったことにすれば、今月の俺の誕生日で婚約は確定になる――……。
「……落ち込んでおるのか。すまぬ。どうしてこう、おぬしに関しては失敗ばかりしてしまうのかのう……」
狩野さんがうなだれて、俺は心を見抜かれたみたいにどきッとした。
だめだだめだ。
こんなのよくない。
いけないことを考えてた。
冬志さんだって、好きな人と結婚するのが一番いい。
俺は大きく息をついて、狩野さんににっこりした。
「失敗なんかじゃないです。ありがとうございます、嬉しいです」
「よいのか」
「はい。俺、妹ができたらすごくかわいがります、跡取りとか関係なく……ずっと弟や妹に憧れてたんです」
「……そうか」
狩野さんはしょんぼりとした。
「……これで埋め合わせられると思うたのじゃが……やることやること裏目で、すまぬのう……」
「……狩野さん、あのですね。俺、冬志さんには好きな人と結婚してほしいんです」
これは本当の気持ちだった。
「大丈夫です。俺だって、本当に好きになったってわけじゃないんです。気の迷いって言うか……多分それだけなので」
……これはウソってほどじゃない。
でもなんだか、ほっぺたが硬かった。口も動かしづらい。俺は一生懸命、明るい声と笑顔を作らなくちゃいけなかった。
「……でも、どうしましょうか。もうすぐ誕生日で、正式に冬志さんとの婚約と跡取りの宣言をすることになってるんです。できればその前に、妹のことがわかるほうが……。発表をしてしまうと、公的なことになってしまうので、そのあとで妹を跡取りにするとなると、親族の間でちょっともめるかもしれません」
「ふむ……いつじゃ」
「今月の二十三日が誕生日なので、その前後にお披露目をすることになっています」
「時間がないのう」
狩野さんは事務的な表情で腕組みした。
そうするととても有能に見えて、いつもはちゃんとした死に神(?)なんだろうなあ、ってイメージができた。
なんだか急に慌ただしくなってきたぞ。
俺と狩野さんはいくつか打ち合わせをし、帰りぎわに狩野さんは言った。
「気づいておるか。おぬし、最近メモを取っておらん。心配性が薄れてきたのだとしたら、冬志との縁談は、実は相性がよかったのかもしれんな」
その夜は、なかなか寝付くことができなかった。
翌朝。
俺はドキドキしながらダイニングに入った。
テーブルには、登与さんが用意してくれるいつもおいしそうな朝食がもう並んでいた。今朝はトーストとハムエッグ、サラダ、スープ、果物だ。
「おはようございます」
椅子を引きながらうかがうと、父さんも母さんもしきりにあくびをかみ殺していた。
打ち合わせ通りだ。できるだけさりげなく……。
「ね、ね、ね、ね、眠そうですねっ」
だめだ……緊張しすぎて噛んだ……。
「ええ……よく眠れませんでしたの」
幸い、母さんは特に不自然には思わなかったらしく、ひたいを押さえながら答えてくれた。
「不思議な夢を見ましたのよ。部屋中、〈病院へ行け〉と貼り紙がしてあって、見知らぬ小麦色の髪の男の子が、拡声器で『病院へ行け』と何度も言いますの……」
「君もかい? 私もだよ。貼り紙と、スーツを着た少年が、枕元に座って、『妻を病院へ行かせろ』と懇々と説教をしてくるんだ……」
父さんも溜息をついた。
俺は愛想笑いをしながら、手汗をかいていた。
さすが狩野さん……。
夢の知らせというにはちょっと……というかだいぶストレートでは……。
よし、今度こそ軽やかに言わなくちゃ。
「か、カア、母さん」
い、意識しすぎて声が裏返った。今度こそ母さんもくすっと笑って、
「まあ、なあに、薫さん。あなたも寝不足なの?」
「は、はい」
赤くなってしまったところで、登与さんが俺にも温かい料理を運んできてくれて、急いでお礼を言う。気を取り直して……。
「……あ、あの、俺も……まったく同じ夢を見たんです」
「まあ」
「これは、母さんに病院へ行けという、神の思し召しなのではないでしょうか」
「あら」
「ふむ……」
母さんと父さんがまたたきして目を見合わせる。
どうかな。通じるかな。
これが、昨夜俺たちが考えた作戦、「夢の知らせ大作戦」だった。
家族全員が同じ夢を見たとなれば、母さんも父さんもピンときて、病院に行くんじゃないだろうか……?
昨夜の話の感じでは、もっとこう、無邪気な幼い女の子が、お花畑でたんぽぽの花輪を編んで微笑んでる……みたいな、遠回しなイメージビデオのような夢を見せてくれたんだと思ってたけど……。
狩野さん、ストレートだなあ。
父さんはうなずいて、
「夢の知らせというのは侮れないものだよ、母さん。病院でちょっと検査してもらってはどうだろう。何か深刻な病気かもしれない」
「そ、そうですわね。何だか恐ろしくなってきましたわ。数日中に空いてる時間を探して、検査に参りますわ」
母さんも頬をおさえる。
ですよね、その夢じゃあ、悪い予想しか浮かばないですよね。
でも、これで妹のことがわかるだろう。
肩から力が抜けた。ほっとしたんだ。
もうすぐ俺はお役御免で、婿の必要はなくなる。フラグを折るには最大の条件のはずだ。
冬志さんを自由にしてあげることができる。
(……もう、冬志さんと話すこともないのかもしれないなあ……)
寂しさに気付かないようにして、俺は湯気の立つティーカップを手にとった。




