4-12
設楽さんは冬志さんと俺をお茶に呼んでくれた。
顔ぶれは、設楽さんと紀尾井さん。
冬志さんと俺。
宮くんはお母さんの許可が出なくて、「薫さん、絶対また図書館に来てね!」と涙目で手を振りながら帰って行った。宮くんって、ちゃっかりしてるようだけど、そういうところは良い子なんだよね。だからつい憎めないって言うか……。
「夜は修陵院の先生方にお招きいただいてるから、あまりゆっくりできないんだけれど……」
ということで連れて行ってもらったのは、近くのホテルのレストランだった。
本格的なイギリス式茶会で、慣れてない俺はどきどきしてしまったんだけど、クラスメートだった設楽さんと紀尾井さんのなれそめや、留学中のエピソードなんか聞いているだけで楽しくて、あっという間に時間が過ぎてしまった。
「そのとき、マサコったら慌てもしないで立ち上がって、男の腕をむんずとつかんでね、一緒に歌い出したんだ。おかげで大喝采だよ」
「それはそうよ、だってせっかくなんだから盛り上がらないと損だわ」
紀尾井さんと設楽さんの目は、お互いの話をするときにはきらきら輝いてる。なんだか顔色も違う。内側からふんわりと光に照らされて、明るんでるみたいだ。
演奏中の設楽さんも、研ぎ澄まされて美しかったけど、それとはまた違う。
愛し合ってるんだって、それだけで伝わってくるんだ。
誰かを好きになるって、素敵なことなんだなあ……って自然と思ってしまう、って言うか……。
言葉にすると恥ずかしいけど。
今まで、恋愛なんて自分には縁がないと思ってた。
特にここしばらくは、フラグを折りたい一心しかなかった。
(でも……考えたことなかったけど……いいものなのかもしれないなあ)
初めて、俺はそんな風に思った。
ホテルの前の石造りの階段を三段下ると、夕方の日差しが長く差し込む並木道が伸びている。
お洒落なお店やデパートが並ぶ上品な通り。なんだか今日は、行き交う人も幸せそうに見える。
「よかったら少し一緒に歩きましょう」
設楽さんの提案で、俺たちはそぞろ歩き出したんだけど、気がつくと二組に分かれていた。
冬志さんと、紀尾井さん。
設楽さんと、俺。
「誤解させちゃったでしょう? 謝りたかったの」
品のいいペイズリー柄のワンピースに着替えた設楽さんは、ヒールのせいか、目線が俺より高い。
笑顔も屈託なく、香水の華やかな香りもして、こうやってみると、やっぱり設楽さんは楽屋では緊張してたんだなと思った。
「謝るなんて、そんな……俺こそすみませんでした、演奏前にあんなこと……」
「あら、いいのよ。おかげで大笑いして、緊張が取れちゃった」
言いながら設楽さんは楽しそうに、
「私も考えるべきだったのよ。婚約者が定期的に知らない女とカフェなんて、心配するわよね。本当にごめんなさいね」
「あ、いえ、それは大丈夫です」
「大丈夫? って、どういうこと?」
ええと、冬志さんは設楽さんに説明してないのかな?
二、三メートル先を、紀尾井さんと話しながら歩く冬志さんの背中を眺める。
しゃきっとまっすぐで、揺らぎがない。冬志さんらしい姿勢だ。
「……冬志さんは、どういうふうに話してるんでしょうか?」
「厳原くんは朴念仁だから、自分からは話してくれなかったの。私が腕によりを掛けて聞き出したのよ。そうね、婚約者がいて、名前は薫さん。前から知ってる男の子で、婚約には事情があるって言ってたわ」
「そうなんです、俺の家の側の事情で……冬志さんは俺を好きなわけではなくて、付き合ってくださってるんです」
「……あなたを、好きではない?」
設楽さんの声は意外そうに響いた。
「そうなの?」とつぶやいて、ヒールの足音五足分くらい、口元に指を当てるようにして黙り込む。
なんだろう?
だんだんどぎまぎしてきたあたりで、設楽さんは、
「あのね」
不意に言った。楽しそうな笑顔に戻っている。
「私、厳原くんが好きな人のこと、聞いたわ。というより、そうね、多分好きなんだろうなって人のこと」
「え……」
心臓がどきんとした。
とっさに何も言えずにいると、設楽さんはいたずらっぽく、
「まず最初に言ってたのがね、すごく優しい子だって。素直で正直な、芯の通った子。自分の気持ちがばれればきっと怖がらせてしまうから、言えずにいるんですって」
「言えずにいる……」
冬志さんの片想いってこと……?
冬志さんはどんな人を好きになるんだろうって、ずっと考えてた。
設楽さんみたいに知的で、綺麗で、自信のありそうな人かな、とか。
でも、最初に「優しい」って言っちゃうような、そんな人なんだ……。なんとなく、冬志さんに近い誰かのような気がした。きっと本当に気持ちの温かい、素敵な人なんだろうな……。
(……冬志さんに、近い人……)
急に喉の奥がふさがるような気がした。心臓が早く打っている。
俺は急いで返事の言葉を探した。
「……冬志さん、婚約する理由を俺に話してくれました。そのとき、好きな人を守るためって言ってたんです。俺とどういう関係があるのかなってずっと考えてたんですけど……」
「まあ、そんなことを?」
「今お話をうかがってて、もしかしたら、厳原さんのおうちに近いどなたかなのかなって思いました」
俺と婚約することで、厳原家の仕事がなにか安定したりして、その相手の人の役に立つのかも知れない。
そういうことなら納得がいく。そう。そういうことだったんだ。
――なぜか、設楽さんは感慨深げなため息をついた。
「……私、今話しながら確信したことがあるの」
「はい」
「厳原くんにはね、ちゃんと言わなきゃダメよって、相手が察してくれてアクション起こしてくれるなんてありえないわよって言い続けてきたんだけど……」
「はい」
「私が言ったことは正しかったわ。生半可なほのめかしじゃ通じないわ」
確信ありげに言い切る設楽さん。
どういうこと……?
俺は設楽さんを見つめて考え込んでしまった。
「……えっと……?」
「なんでもないわ、気にしないで。……でもなにか、婚約には期限があるんですって?」
「あ、はい。俺の誕生日の……ちょうど夏休みに入るあたりなんですけど」
「え、やだわ、あんまり時間がないじゃない。ちょっと、厳原くん! ゆっくりしてる時間はないわよ!」
不意に設楽さんが呼ばわったので、先を行っていたふたりが驚いたように振り返った。
「さ、行きましょう」
「えっ?」
後ろに回った設楽さんに背中を押されるようにして、俺は小走りに石畳の道を駆けだした。
設楽さんは声を立てて笑い出し、嬉しそうに紀尾井さんの胸に飛び込むようにして、その腕に手を絡める。
「のんびりしてる場合じゃなかったわ。私たちは行きましょう。二人きりにさせてあげなきゃね」
「僕たちだって、二人きりにならなきゃだよ、マサコ」
「うふふ、そうね」
何が何だかわからない。
俺はぽかんとして、幸せそうな設楽さんたちを見守っていた。
設楽さんは持ち前の華やかな笑顔を俺たちに向けた。
「大体事情はわかったわ。大変だけど、頑張るのよ、厳原くん」
「何をですか」
「愛の告白よ!」
高らかに告げられて、冬志さんは唖然とした。それから眉間を押さえるようにして、ため息をついた。
「……何の話をしたんだ、薫」
「えっ?」
あっ、俺が聞いちゃダメだった……?
あわあわしていると、設楽さんは声を立てて笑い出した。
よくわからないままに、俺たちは設楽さんたちと別れて家路についた。
俺の頭の中ではずっと、冬志さんの好きな人のことがぐるぐるしてる。
大変なこと、知っちゃったな……。
設楽さんのことは勘違いだったけど……俺が邪魔者には変わりない。
そうか、設楽さんは「愛の告白」って言ってたけど、俺との婚約は冬志さんにとって二律背反なのかもしれない。婚約してる状態で告白なんて、できないよね。
俺は、冬志さんと手を組んでもらってる状態に甘えたまんまで、本当にいいのかな……。
そんなことを考えながら、冬志さんを見つめてしまっていたらしい。
「……なんだ」
「あ、いえ、すみません、なんでも……!」
冬志さんは、複雑そうな目で俺を見ていたけれど、ぼそりと言った。
「……謝るな。怒ってるわけじゃない。自分が正しいときは引くな。いちいち謝るな」
「あ、はい、すみません!」
「……だから……!」
「……あ……」
また謝ってしまった……。
思わずしょんぼりしてしまう。
しばらく、会話が途切れた。
冬志さんはそっぽを向いていた。何か考えているみたいだった。
やがて、俺の家に向かう閑静な通りに入ると、冬志さんはぽつりと
「……ずっと言っておきたかったことがある」
「は、はい……」
「お前は、俺に嫌われてると思ってるようだが、……そんなことはない、……嫌っていない」
「……え」
俺は思わず冬志さんを見上げた。
「俺は、……」
冬志さんは真剣だった。
足がゆっくり止まる。俺たちは住宅街の小さな公園の前で見つめ合った。
「……俺は、お前を、好きだ」
ぽかんとした。
頭が真っ白で、感情がごちゃごちゃだ。
好き?
好きって……冬志さんが……俺を?
冬志さんはハッとしたように言葉を重ねた。
「ゆ、ゆ、ゆ、友人として、ということだ、怖がらなくていい」
「あ、あ、は、はい!」
そ、そっか!
慌ててこくこくうなずく。
び、びっくりした、あんな顔するから、「友人じゃない好き」なのかって、図々しいことを考えちゃった……。
冬志さんは目を伏せて、
「口調がきつくなるのは反省している。おまえの責任じゃない。……俺の問題だ。俺の方にわだかまりがあって、必要以上につっけんどんになってしまう。……だから、とにかく、……怖がらないでくれ」
俺は冬志さんを見つめた。
「でも、それじゃ……」
あれ。
俺、泣いてるのか。
涙がぼろぼろ落ちてくる。
冬志さんが動揺してるのがわかるのに、とまらない。
「薫……?」
「どうしてあのとき、もう友達じゃないなんて言ったんですか……? 俺、きっと気付かないうちに、冬志さんのことを傷つけたんだって思って……」
冬志さんに嫌いと言われてから、俺は人と接するのが怖くなった。
俺に何か悪いところがあったんだろうと思って。
「あれは……ちがう、……俺の事情だ。おまえのせいじゃない」
「じゃあどうして……」
「……それは……」
冬志さんは珍しく困ったように、
「……いつかちゃんと話す。約束する。……すまなかった、……俺は自分の事で頭がいっぱいで、おまえを傷つけることになることにも気づいてなかったんだ。……本当にすまなかった」
まるで解放されたみたいに、胸のつかえがゆっくり消えていく。
――入れ替わるように、あることが頭のまんなかに浮かんできた。
いや、もしかしたら、少し前からその考えは薄々あったのかもしれない。
でもわだかまりが大きすぎて、見えてなかったんだ。
{……俺……)
俺はもしかして、冬志さんのことを、好きなんだろうか。
(でも、そんなわけない……)
だって、冬志さんは男の人で、俺もそうだ。
そりゃあ花婿候補たちから告白はされたけど、あれはゲームで決められてることだからだ(と思う)。きっとそういうことがなければ、みんな俺なんかを好きになるわけがない(と思う)。
とにかく一人にならなきゃ。
落ち着こう。
これ以上、冬志さんに迷惑をかけちゃいけない。
俺は精一杯、きちんと頭を下げた。
「……ありがとうございます。考え事をしたいので、あとは一人で帰ります」
「薫、喜べ!」
部屋の扉を開けるなり、空中から飛び出してきたのは狩野さんだった。
すごく晴れ晴れした顔をしている。
「か……狩野さん」
「……なんじゃ、どうしたんじゃ、泣いておったのか」
面食らったように狩野さんは俺の顔をのぞいた。
ま、まだ出てたかな……。
慌てて顔をこすりながら、
「な、なんでもありません。それより、なにかお話ですか?」
「うむ、聞けばおぬしもにこにこじゃろ。涙も吹き飛ぶぞ。あとでじっくり話してやるから、それより、どうして泣いておったんじゃ、まずはおぬしが言うてみよ」
俺は少し迷ってから、今日のできごとを説明した。
見る見る狩野さんの顔が青くなっていく。
「狩野さん?」
「……それなら、冬志と結婚した方がおぬしには幸せということか……?」
「え? え、いえいえ、あの、まだわからないので……もしかしてそうかなって思っただけですし……」
「……ま~じ~か~……」
狩野さんは呻いて額をおさえた。
「どうしたんですか……?」
「期待していろと言うたじゃろ。同期に交渉しておったのじゃ」
「交渉……?」
俺はきょとんとして、狩野さんのつぶらなまなざしを見つめた。
狩野さんは重々しく言った。
「……おそらく、婚約は破談になるぞ」




