4-11
「……えっ?」
宮くんと俺の声が重なった。
「……婚約者……?」
じゃあ……冬志さんとは……?
幸福そうな設楽さんたちを見つめ、俺はハッとした。
まさか……。
(まさか冬志さん……設楽さんに片想いを……?)
だったら俺たちはますます……触れてはいけない傷に触れてしまったんじゃ……?
思わず見上げると、冬志さんは俺を一瞥して、眉間に特大のしわを刻んだ。
「薫……何を考えているか大体わかるが、同情のまなざしで見るのはやめろ」
み……見抜かれた。
俺は盛大に頭を下げた。
「あ……あの……申し訳ありませんでした……! 宮くん、本当にもう帰ろう……!」
「待ってちょうだい、今はもう時間がないけれど、コンサートが終わったらまた楽屋に来てちょうだい」
設楽さんの明るい声が俺たちの足を止めた。
「ゆっくりお話ししたいから、是非いらしてね。絶対よ!」
「ん? どういうことだい?」
見るからに大らかな笑みで皆を見回すのは紀尾井さん。
「優しいクマさん」みたいな、恰幅のいい身体とあいまって、絶対にいい人だってわかる。
冬志さんがため息をついた。
「……先輩のプレゼントを預かっていたせいで、大変な勘違いをされたという話です」
冬志さんは仏頂面で、それまで大切に抱えていた薔薇の花束を紀尾井さんに手渡した。
紀尾井さんは不思議そうに、
「いやあ悪い悪い、そこで恩師と会ってね。挨拶する間だけのつもりで、厳原くんに持っていてもらったんだけど……。さ、マサコ、受け取って」
紀尾井さんから花束を受け取ると、設楽さんの笑顔は見たこともないほどチャーミングに輝いた。――見たこともない、じゃないな。その笑顔は、先日、公園のカフェでペンダントを見たときの笑顔とよく似ていた。
紀尾井さんはペンダントのパールに触れ、
「つけてくれたんだね、マサコ」
「もちろんよ。あなたのプレゼントだもの。厳原くんが届けてくれたときに、今日つけようってすぐ決めたわ」
「朗報だよ。もうすぐ日本に来られる。ご両親に結婚を認めていただけるよ」
「まあ……ヨナス……!」
二人はひしと手を取り合った。
完全に二人の世界だ。
「……行くぞ」
冬志さんにうながされて、俺たちはそっとその場を離れた。
「……俺は、ただの中継点だ」
ざわつくロビーを移動しながら、冬志さんは頭痛でもこらえてるような顔で説明してくれた。
「紀尾井さんは二年前からドイツに定住している。お父上がドイツ人なんだ。
先日、紀尾井さんから電話があって、設楽さんとの連絡の中継点になってくれと頼まれた。
というのも、ドイツから日本の設楽さんへ手紙や電話を送っても、取り次いでもらえないらしい。
設楽さんのご両親が、紀尾井さんとの婚約に反対なんだそうだ。娘夫婦には日本で暮らしてほしいというのが希望で、ドイツ在住の紀尾井さんでは条件が合わないということだな。
だから、紀尾井さんは俺宛に手紙を送る。俺はその手紙を設楽さんに手渡す。そういうふうにしてやりとりをつないでほしい、と。俺は引き受けた。そのために設楽さんと会ってたんだ」
「……そうだったんですね……」
「そうだったんだぁ……」
俺と宮くんは、顔を上げられなかった。
恥ずかしい……。
穴があったら入りたい。
地獄があるなら沈みたい。
俺……なんて申し訳ないことをしちゃったんだろう……。
勘違いしたあげく、楽屋まで押しかけるなんて……。
できたらこの場にうずくまって土下座したい。また迷惑かけちゃうからサクサク歩くので精一杯だ。
でも、後悔のほかに、不思議な感情があった。
俺も冬志さんに頼ったけど……冬志さん、頼まれやすい人なんだな。
それはきっと、一回引きうけたらきちんとする人だからなんだ。
そんな感心と。
なんだろう。すごく嬉しい
雅子さんのことが誤解だったのが、嬉しい。
そんな安堵感。
冬志さんと設楽さんにものすごく迷惑かけちゃったのに、なんだろう、この気持ちは。
俺、いったいどうしちゃったんだろう……。
俺には、精一杯頭を下げることしかできなかった。
「……ごめんなさい……」
「……俺より設楽さんに謝るべきだな」
冬志さんがため息をつく。
俺は、はい、と言うので精一杯だった。
と、
「……薫さんのせいじゃありません。僕の発案です。薫さんは何度もとめたんです。なのに僕が無理矢理引っ張っていったんです」
宮くんがすねた声で唸るように言って立ち止まった。
冬志さんはちらりとそちらを見て、足を止めた。
開演までもう少し時間があった。学生でごった返すロビーは、ホールを出入りする人の流れができている。それを避けるように柱に寄って、俺たちは向かい合った。
「そちらはどういうことだ。どう関わって、なにがどうしてどうなっている?」
冬志さんの声は冷え冷えとしている。
宮くんはむすっと口を曲げた。
「……僕のせいです。僕は、厳原先輩が設楽雅子さんと会っているのを知ってました。だから先輩が浮気しているって、薫さんに話したんです。薫さんがそんな人と結婚するなんて許せなかったから。悪いのは僕です」
「そ……そんなこと……」
俺はあわてて口を挟んだ。
「宮くんは僕を心配してくれたんです。カフェに行ったのは俺が決めたことなので、責任は俺にあります」
「違うよ、だって僕、厳原先輩のことは内緒にして、カフェまで連れて行ったんだから!」
「でも決めたのは俺だから……」
「子ども扱いしてかばわないで、薫さん」
「……とにかく、二人で北小森公園のカフェに行った、ということだな。それをデートだと勘違いした、と」
冬志さんの鋭い視線が、さっと俺と宮くんの上を往復した。
どぎまぎとうなずく。
でも宮くんはキッとした。挑むようにして、頭ひとつ分は高い冬志さんを見返し、告げる。
「……あなたが薫さんを裏切ってるなら、きっと縁談がこわれると思いました。そしたらいい気味だし、僕にもチャンスがあるって思ってたんです」
「み、み、宮くん……?」
「僕。薫さんを、好きです!」
その声は、周囲の雑踏にかき消されるくらいの声量だったけど、はっきりと耳に届いた。
えええええええ……!
今言う……!?
あわあわして見回したけど、周囲の人の耳には届いてないみたいだ。
ホッとしている俺の横で、宮くんはひるむ気配もなく、
「言っときますけど、中等部のころから好きなんです! 昨日今日ポッと出のあなたなんかには負けません!」
「……中等部か」
冬志さんは、まるで氷の壁のように冷え冷えしていた。
「……俺は、薫を初等部から知っている」
「……初等部? うっ……」
何の争い……?
「で、でも僕、負けませんから。大事なのは過去じゃなくて、未来です! 今は子ども扱いされてるって認めますけど……!」
「宮! ここにいたのか! 中等部はクラスごと整列、っつったろうが!」
突然、声が飛んできたかと思うと、宮くんの首をたくましい腕ががっしとかいこんで、ジャージ姿の先生が宮くんをずるずる引きずっていった。
俺たちは、やめてよ先生ぇ~、と抗議しながら先生に連行されていく宮くんを、ちょっと唖然として見送っていた。
「……あれも……おまえの言う花婿候補か」
「あの……はい……」
「……おまえはそれで、どう思ったんだ」
「どう……と言いますと……?」
「つまり……」
見上げると、冬志さんはなんだか言いよどんで視線をそらした。
「つまり……俺に、他に恋人がいるかもしれない、と考えたわけだろう。それをどう思ったのかと聞いている」
「あっ……誤解してしまって申し訳なく……」
「違う、そうじゃなく、なんというかだな……」
冬志さん、何を言いたいんだろう。
真剣に見つめ返すと、冬志さんはちらっと俺を見て、はあ、とため息をついた。
「……開演だな。行こう」
「あ、はい!」
高等部は座席が自由だったから、俺たちは並んで座った。
設楽さんのコンサートは大成功だった。
芸術には疎い俺だけど、設楽さんのヴァイオリンの音色は、物語を語るように時にはドラマティックで、また時には切ない泣声のようで――聞き惚れてしまったのだった。




