4-10
俺と冬志さんは、愕然と見つめ合っていた。
穴があったら入りたい……。
申し訳なさすぎる。
冬志さんが大切に隠していた秘密のはずなのに、ずかずか入り込んで、なんてデリカシーのないことしちゃったんだろう。
ごめんなさい、冬志さん……!
「うふふ、厳原くんったら、鳩が豆鉄砲食らったって顔ね」
耐えられずに目をそらすと、軽やかな笑い声が、俺たちの間に響いた。
設楽さんは、ほっそりした白い腕を宮くんと俺の腕にからめて、冬志さんに向かって得意そうに微笑んでいる。
それにしても、どうして設楽さんは俺のことを知ってるのかな。
冬志さんが話したんだろうけど……。
(……いや、でも冬志さん真面目だから……敢えてオープンにして、心配させないようにしたのかも……)
そうだよね、他の人と婚約したってあとから知らされるより、最初に事情を説明しておいたほうが、設楽さんに与えるショックは少ないのかもしれない。
でも、設楽さんを尊敬してしまう。
恋人と婚約したポッと出の俺に、こんなに笑顔で対応してくれるなんて……。
懐が深い。
さすが、冬志さんが好きになるだけのことはある。
同時に心臓がちくんとした。
――まただ。
これって、一体なんなんだろう。
俺たちは本当は婚約者じゃない。だから責める筋合はない。
こんなにぼんやりした痛みを、どう言葉にすればいいのかもわからない。
なんであんなに悲しかったかさえ俺にはわかってないんだ。
冬志さんに訴えてどうしてもらいたいわけでもないし、筋合じゃないような気がする。そもそも俺は冬志さんに協力してもらってる立場なんだし……。
「なあに、厳原くん。私に婚約者を紹介してくれないの?」
「あ……ああ、いえ……」
我に返ったように冬志さんが設楽さんに視線を送る。
と、ずいっと宮くんが前に出た。
「こんにちは。厳原先輩。薫さんにはお世話になってます。宮と言います」
ついびくっとしてしまったくらい、挑戦的な口調と笑顔だった。
冬志さんはどう思ったのか、軽く眉をひそめ、「ああ、昼間の……」とつぶやいた。
「図書委員の後輩だったか……」
「そうです」
妙な間があいた。ふたりは厳しい視線を交わし合っている。
とうとういたたまれなくて、俺は宮くんを鏡台の前まで引っ張っていき、声を潜めた。
「宮くん、これ以上はご迷惑だよ、演奏前だし……。帰ろう」
「嫌だよ」
宮くんはきっぱりと首を横に振る。
その背の向こうで、冬志さんが設楽さんに歩み寄っていくのが見えた。
二人きりにさせてあげたほうがいいよね……?
「僕、前からすごく不思議だった。薫さんは素敵な人なのに、どうして誰かから好かれるわけないって思い込んでるの?」
「えっ……?」
急になんだろう?
「そんなだから、僕けっこう大好きアピールしてたのに全然気がついてくれなくて、苦労したんだから。とにかく薫さんは素敵な人で、愛される価値がある人だよ。こんな失礼な扱い受けていいわけがないんだ」
「ううん、あのね宮くん……これには事情があって……」
「事情も何もないよ、あんなに悲しんでたじゃない、それが僕にとっては全てだよ……!」
そのとき、不意に設楽さんの笑い声がはじけた。
「まあ、厳原くん、なんて顔。もしかして、婚約者がほかの男性といたからって、やきもちをやいてるの?」
「なっ……」
冬志さんがうろたえた表情をする。
(うわあ……絶対にふたりのこと邪魔してるよね、俺たち……)
俺は急いで宮くんの背中をドア口に向かって押しながら、
「演奏前にお邪魔してしまって……申し訳ありません。これで失礼いたします。さ、宮くん……」
「……待って、薫さん!」
宮くんは断固たる表情を浮かべた。
「薫さんが言わないなら僕がいう」
「宮くん! ご迷惑だから……!」
「薫さん、とめないで!」
「本当にすみません、お騒がせしました!」
「厳原先輩……厳原先輩!!」
呼び続ける宮くんを何とか廊下に押し出して、俺はホッと息をついた――のも束の間。
「薫」
ドアが開いて、バラの花束を抱えたまま、冬志さんまで出てきた。
後ろ手にドアを閉めて、なんだか不快そうに眉をひそめて俺たちを見回す。
「ご、ごめんなさい……! 俺たちおいとましますので……! 設楽さんに、頑張ってくださいって伝えてください」
「厳原先輩」
「宮くん……待っ……」
不意に、宮くんの手が俺の手をぎゅっと握りしめた。
ドキッとして見ると、……目が据わっている。
キッ、と冬志さんをにらんで、
「厳原先輩。僕、知ってるんです。いったいどういうつもりで、薫さんって人がありながら、他の女性と会ってるんですか? 北小森公園で、設楽雅子さんと会ってましたよね」
ああ……言ってしまった……。
俺はうなだれた。
顔を見るのが怖い。冬志さんは何も言わない。
宮くんだけが言いつのった。
「定期的に会い続けてますよね。僕、上級生が誰と付き合おうと気にはなりませんけど、薫さんと関係あるとなればほっとけません。兄弟みたいにかわいがっていただいてますから。
厳原先輩、こちらの女性は、どういうご関係のかたでしょうか。はっきりさせてください。
言っておきますけど、薫さんもあなたたちの密会を見てますから、ごまかしはききませんよ。
事と次第によっては、薫さんが許したとしても、僕は許しません! 僕が薫さんをいただきます!」
――恥ずかしすぎる。
顔が火照ってきた。
宮くんが俺のためだって思ってくれるのはわかる。わかるけど。
一瞬沈黙があったあとで、
「……いきなり噛みついてくると思えば……」
冬志さんのうんざりしたような声が、頭上で聞こえた。
続いてドアの向こうから、設楽さんのころころした笑い声が響いてきた。
……ん?
つられて顔を上げると、ドアが開いて、設楽さんがひょっこり顔を出した。
「もう、失礼しちゃってごめんなさい。気になってドア越しに聞いてたの。なんてドラマかしら……。いいえ、変な女と会っていれば気になるわよね。当然だわ。厳原くん、お話ししてなかったの?」
「……ええ。大した話ではないので」
冬志さんはふかぶかと溜息をついた。
「……もう、おかしい……あんなにあがりそうになってたのに、すっかり吹き飛んじゃったじゃない……」
設楽さんは笑い崩れて、とうとうドアの隙間にしゃがんでしまい、なおおなかを抱えて笑い続けている。
俺と宮くんはぽかんとして設楽さんを見つめていた。
「やだ、それで決死の覚悟で乗り込んでくるなんて、かわいいわ。あなたのお母様に絶対話さなくちゃ」
「あの……?」
「私のこと、厳原くんの浮気相手だと思ってたってことよね? ごめんなさい、心配させちゃったのね。それもこれも厳原くんが隠し事するからよ。秘密主義もいい加減になさい」
「そんなつもりじゃなかったんですが……」
冬志さんは眉間をもむようにして唸った。
……どういうこと?
「……きちんと説明する。いったんここを離れよう、そろそろ彼が来る」
「来る?」
そこへ、もう一つ声が響いた。
「マサコ! 会いたかった!」
えっ!?
振り返ると、廊下の向こうから背の高い男の人が、溢れんばかりの笑顔で両手を拡げ、急ぎ足に近づいてくる。雅子さんも立ち上がった。満面の笑顔だけど、さっきの笑顔じゃない、幸福に輝くような笑みだった。
「ヨナス!」
二人は飛び込むように抱きしめあった。
えええええ!?
「……こちら、紀尾井ヨナス・ミュラー先輩。修陵院のOBで……」
冬志さんがこめかみを押さえながら重々しく説明した。
「……雅子さんのフィアンセだ」




