4-9 恋はピアノ
設楽雅子さんの、楽屋……って……?
え?
どういうこと?
宮くんは軽やかな足取りでスタスタと通用口に進んでいく。
俺は慌てて後を追った。
コンクリート打ちっぱなしの廊下は少し薄暗く、ひんやりしていて、トンネルに入って行くみたいだ。
「待って宮くん、どういうこと……?」
「あのね、僕の母さん、設楽さんと知合いなんだよ」
「あ、宮くんのお母さん、女優さんだったね」
「うん。だからね、楽屋挨拶に行けるように、連絡してもらったんだ。設楽雅子さんの大ファンだから、挨拶させてほしいって」
俺は思わず目をまるくした。
「そ、そうなんだ、宮くん、設楽雅子さんの大ファンだったの?」
「まっさか~! 口実だよ口実!」
「じゃあどうして……」
「もちろん、厳原先輩とどういう関係か、聞きに行くんだよ!」
「えっ?」
「ほんとはさ、うまくそっちがくっついてくれたら薫さんがフリーになるから、花婿に立候補できるなと思ってたんだけど……でも僕が嫌なんだもん、大好きな薫さんがバカにされて黙ってられないよ! 設楽雅子さんに事情を確かめて、厳原先輩をちゃんととっちめてやらなきゃ……あ、ここだここだ!」
宮くんはパッと笑顔で立ち止まり、「楽屋」のプレートを指さした。
俺はと言うと、聞きながら「あわわわわ」となっていた。
すごい。
宮くん。強い。
かわいいのに、実は誰よりも強いのかも。
でもそれは困る……!
割り込んでるのは俺のほうなんだから、これ以上迷惑かけるわけにはいかない……!
大体、俺にはよくわかんないけど、コンサート前だからメンタルも大事なのでは……?
「さ、行くよ、薫さん!」
「だ、だめだよ、宮くん、待って! そっとしておこう……!」
「遠慮することないってば!」
慌てて宮くんの腕を引っ張って廊下を戻ろうとするけど、宮くんはふりほどこうとする。
俺たちは、ばたばたドアの前で揉み合っていた。
「大丈夫だから、ね、帰ろう、宮くん!」
「離して! 絶対に僕はこのままじゃすまさないんだから!」
そのときだった。
「……どなた?」
暗い廊下に明かりがスッと一筋さして、上品な声がした。
ぎくりとして、一瞬、身体が固まってしまう。
――ま……まさか。
俺は、おそるおそる宮くんの肩越しに、明かりのほうへ目をやった。
楽屋口のドアが開いている。
上品な藤色のドレスを着て、髪をさらりと肩に流した女の人が、開いたドアの隙間に立っていた。
見たことのある顔だ。
一度目はポスターで。
二度目はカフェで。
(設楽雅子さん……)
近くで見ると、ポスター以上にきれいな人だ。
人目を引く華やかな目鼻立ちだけど、ただ華麗なだけの美しさだけじゃなくて、品や知性がある。
(……あ……)
胸元に、パールのペンダントが輝いていた。
(この間……冬志さんがプレゼントしてた……)
いくら内輪でもコンサートでつけるんだから、特別なペンダントってことだよね……。
――胸がちくんとしたのは、どうしてだろう。
……って言うか、俺たち今ものすごく不審者だよね?
設楽さんの不思議そうな表情に、俺はとっさに謝罪しようとしたけど、言葉が思い浮かばない。
宮くんの腕を胸に抱えたまま、
「あの、あの、あああの、す、す、す、す、すみま……」
「こんにちは!」
はきはきと遮られた。
宮くんだ。
あの天下無敵の子役スマイルで、
「楽屋に押しかけてすみません! 僕、宮桔梗の息子で……」
「ああ、桔梗さんの息子さんね! うかがってるわ」
設楽さんはぱっとほほえんだ。
「桔梗さんの息子さんが後輩だったなんて、嬉しいわ。あまりお時間は取れないけれど、お入りになって」
「ありがとうございます! さあ、薫さん」
「いえ、あの、コンサート前にお邪魔しちゃ……」
俺は不審者そのままに後ずさろうとしたけど、今度は宮くんにがっしり腕をつかまれていた。
引きずられるように楽屋のドアをくぐる。
部屋の片面の壁は作り付けの鏡台になっていて、部屋の中央には大きなテーブル。設楽さんが見ていたのか、楽譜が開かれている。
設楽さんはテーブルの前で振り返って微笑んだ。
「もうお一人は、お友達でいらっしゃるの?」
「あのっ……はい! お目にかかれて光栄です……!」
精一杯、丁寧に頭を下げた。
宮くんが挑戦的に、
「こちらは春花薫さんです。ご存知ないですか」
「え、ちょ、だめだよ、宮くん……」
「……はるはなかおる……さん? お会いしたことありましたかしら」
設楽さんは不思議そうに俺を眺めた。
「いえ、初対面です! あの、あの、今日は頑張ってください……!」
コンサート前の応援ってこんな言葉で良いんだろうか。
変なこと言っちゃったみたいで、耳が熱くなった。
(帰ろう、宮くん)
というつもりで、宮くんの袖を後ろから引っ張ったけど、宮くんは引く気配もなかった。
さらに、
「はい。厳原冬志さんのことはご存じですよね」
「宮くん! もういいから!」
「厳原くん……?」
設楽さんが目を見張る。俺はたまらなくなってもう一度頭を下げ、
「突然すみません……なんでもないんです、ほんとに失礼しました……! もうここで……!」
「待って!」
不意に設楽さんの声が華やいだ。
設楽さんは、つややかな赤いくちびるから白い歯をこぼして、輝くように微笑んだ。
「わかりましたわ、薫さんっておっしゃると……厳原くんの婚約者のかたね?」
「えっ?」
不意に名前を呼ばれて、俺はぽかんとしてしまった。
お……俺を知ってる……?
「やっぱりそうなのね? まあ、想像していたとおりのかわいらしい方!」
設楽さんは嬉しそうに手を打ち合わせた。
予想してなかった反応だった。
俺も宮くんも、ぽかんとするしかできなかった。
「あなたのことは厳原くんからうかがってるわ。じゃあ、桔梗さんの息子さんとお友達でいらしたのね?
一度お会いしてみたかったのに、厳原くんが会わせてくれないんだもの、でもこうやっていらしてくれて、しめたものだわ。嬉しい! 厳原くんに自慢してやらなくっちゃ」
設楽さんは俺の手をとらんばかりに喜んでいる。
「え……あの……」
「そうだわ、そろそろ厳原くんもここに……」
そのとき、ドアをノックする音が響いた。
振り向く間もなく、設楽さんが声をかける。
「どうぞ」
「失礼します。雅子さん、今そこで……」
聞き慣れた声と共にドアが開いて、入ってきたのは冬志さんだった。
冬志さんは俺と目が合うや、目を丸くして停止した。
あ、あ、あわわわわ……。
俺は息をのんだ。
宮くんが横で呟く。
「大きな花束……」
冬志さんの腕の中には、大きな薔薇の花束が抱えられていた。
「……薫? こんなところで何を……」
俺と冬志さんは、唖然と見つめ合っていた。




