4-4 恋という字と変という字は似ている
冬志さんに、恋人――?
(……え?)
急転直下の展開だ。
瞬きする俺の前で、宮くんは長いまつげを伏せ、アンニュイな溜息をついた。
「……ずっと迷ってたんだ。薫さんに会いにいって、話した方がいいのかな、どうしようって……。薫さんが知らないほうがいいなら、知らせないでおこうとも思ったんだ。でも……きっと、薫さんもわかってたんだよね? さっき見かけたとき、薫さん、暗い顔をしてたもの」
し……してたかな。
してたと言えばしてたかも。
そのつもりはなかったけど、サンルームに行くのが億劫だったから。
それで宮くんに心配させちゃったのか……。
訂正することもできたけど、俺は宮くんの言葉が気になっていた。
冬志さんの恋人……。
もしかして、冬志さんが以前言ってたひとかな……。
実は、冬志さんから「大事な人がいる」と聞いてはいたけど、一緒に過ごしててそんな気配を感じたことがなかったんだ。
前世の記憶でも、冬志さんの恋人って設定には心当たりがなかった。
まあ、憶えてないだけかもしれない。
それに元々のゲームでは、冬志さんは完全に悪役で、今の冬志さんと印象がちょっと違う。
ヒロインの〈かおる〉が、俺とは別人なように、みんなもちょっとずつゲームのキャラクターとは違ってるのかもしれない。
だったら冬志さんに恋人がいてもおかしくはないし、俺が口出す筋合じゃない。
でも何だか――なんだろう、この気持ちは。
本来、俺に聞く権利はないと思う。
話していいと思えば、きっと冬志さんは話してくれる。それがないってことは、俺に知らせるつもりはないのだろう。当然だよね。
だって、俺と冬志さんは、俺の身を守るためにタッグを組んだだけだ。
冬志さんのプライベートな事情を聞く資格はない。
きっと、そう思ってるんだろう。
聞かない方がいい。
そう思いながら、俺は、胸がドキドキするのを感じていた。
……知りたい……。
冬志さんの恋人って、どんな人なんだろう……?
「……やっぱりそうなんだね」
そんな俺の迷いを見抜いたのか、きらりと宮くんの目が光った気がした。
「……厳原冬志さんには、恋人がいる。薫さんは、それで悩んでたんでしょう?」
「ええと……」
「無理しないで、僕には分かってるから……!」
宮くんは周囲に誰もいないのを確認して声を落としたので、自然と俺も宮くんに寄り添う形になった。
宮くんはひそひそと、
「ごめんね。そんなに悩んでるならちゃんと言わなきゃいけなかったよね。
僕、たまたま知ってたんだ。でも厳原先輩って知り合いでも何でもないから全然気にしてなくて。それが、ガーデンパーティでふたりの婚約発表があったって、中等部までウワサが聞こえてきて……びっくりした。そのとき、相手が厳原先輩って聞いて、あれ、ってなって。じゃあ僕が見かけてたあの人は誰なんだろうって……こんなに薫さんがつらい思いをしてるなら、僕は黙ってられない。洗いざらい全部話すよ」
す、すごく気になる話し方!
中等部にまでウワサが届いてるというのも地味に刺さるけど……。
「な、なにがあったの……?」
おずおずと聞いた俺は、よほど心細い顔をしていたのかも知れない。
宮くんは俺を見つめて、急に目に涙をためた。
「……薫さんと婚約しといて、そんな顔させるなんて……許せないよ……!」
「えっ……」
目を見張ったときには、宮くんに抱きしめられていた。
いや、抱きつかれた、と言った方がいいかもしれない。
薄暗い書架の間。
俺は、宮くんの腕の間で、目をぱちくりさせていた。
あんなに小さかった宮くんが……俺より(ちょっとだけ)大きくなってる……。
なんて発見は、一瞬で。
――来た。
あの雷のような感覚だ。
前世の記憶が流れ込んでくる。
俺は、頬にふれる宮くんの柔らかい髪の毛と、肩に回される腕が意外と力強いのを感じながら、打たれたように立ちすくんでいた。
スチル絵が見える。
図書館の書架のあいだで落ち込んでいるヒロインと、励まそうと抱きしめる宮くん。
ヒロインが初めて、宮くんが自分より大きくなっていることに気がつく場面だ。
花婿候補だ。
宮くんは。
(あざとい系かわいい後輩男子だ……!)
あのメモの一人だ。
宮くんを素直で可愛らしい子だと思ってた。
けど、それだけじゃない。
去年言ってたお母さんの入院は嘘だ。
図書委員の当番が面倒だった宮くんの適当な口実だったのだ。
でも俺が疑いもせずに信じ、宮くんやお母さんを心配したことで、宮くんは俺が心配になり、やがて好感を持つようになった――らしい。前世の記憶によると。
それくらいだから、性格はしっかりちゃっかりしている。
子どものころからの子役の経験を活かし、計算高く立ち回ることができる。
芸術家のご両親の血を継いでか、結構自由奔放なところもあって、面白いことが大好きだ。
人前ではそんなところは出したりしないけど、実はなかなかに男らしいところもあり、確実に目的を達成する。
さっきの涙も、宮くんの特技なんだ。
どこにいても一秒で泣けるという、子役上がりの技術だ。
すごい。ちょっと感心すらしてしまう。
そして、これが一番大事なんだけど、宮くんはヒロインに恋をしている。
……つまり、俺だけど。
思わず俺は飛び退いた。背中にばさりと本棚が当たる。
宮くんは顔を上げ、子リスのようにきょとんと首を傾げた。
「……薫さん?」
「あ、ううん、なんでも……ありませ……」
慌てて愛想笑いをしたけど、つい敬語になってしまった。
そんな裏があるなんて、知りたくなかった……。
いつまでも可愛い弟のような宮くんだと思っていたかった。
(それもショックだけど、いまは考えなきゃいけないことがある……!)
宮くんのシナリオはどうなってるんだろう。
ええと……。
(四月に図書委員になってるのが必須条件……だったかな?)
中学三年の宮くんに頼まれて、ヒロインは受験の勉強を見るようになる。
場所は公園のカフェだ。
いあわせた冬志さんから難癖を付けられて……というトラブルもありつつ、ヒロインと宮くんは順調に交際に発展していくんだ。
知りたくなかった。
知りたくなかったけど。
知ってよかった!
俺は四月、図書委員にならなかった。
これで、無自覚にフラグを折ってるんじゃないかな。
もう宮くんルートには入れないんじゃないだろうか?
スチル絵は一枚とれてしまったけど……ルートには入れなくてもそういうことはあるだろうし。
そう思ったら、安堵のあまり、へたへた座り込みそうになった。
よかった。
もう誰も断りたくない。
四方田くんをお断りしたの、すごく胸に痛かった。あんな思い二度としたくないんだ。
それでなくても、弟みたいに思ってる宮くんのことだもん。
今の宮くんは、俺のこと、特に好きなわけじゃないのでは?
「大丈夫、薫さん!?」
俺が崩れそうになったのをどう思ったのか、宮くんが慌てたように俺を支えてくれた。
急いで姿勢を立て直して、笑いかける。
「……ごめん、ありがとう」
「ううん。……そんなにショックだったんだね」
宮くんは俺の腕に手をかけたまま、目を伏せた。
ぽつんと、
「……水曜日なんだ」
「え?」
「……実際に見た方がわかりやすいとおもう」
「……なぜ人をじろじろ見る?」
不意に冬志さんが低い声を落とした。
「……え」
「見ているだろう、さっきから」
「そうですか……?」
帰り道だ。
つい冬志さんを観察してたらしい。俺は慌ててうつむいた。
本当にいるのかな。冬志さんに好きな人。
宮くんは浮気だと思ってるみたいだけど、俺のほうが偽装婚約なんだから、浮気じゃなくて本当の恋人だ。
(……冬志さんが好きな人って、どんな人なんだろう……)
考えてみると、冬志さんの恋人って、想像したことなかったな。
冬志さん、怖いけど意外と優しいんだから、そんな冬志さんを好きになる人は当然いるはずだ。
――なんだろう。
胸がすうすうするんだ。
淋しい。
そう思う。
この気持、なんなんだろう。
(置いてかれた気がするのかなあ。俺は子どものときと何も変らずで、まだ好きな人もいないのに……冬志さんは大人になってて……)
好きな人。
俺にもいつかできるのかな。
そしたら、今の俺と何か変わるんだろうか……。
「薫?」
「……好きって、なんでしょうか」
俺はぼんやり答えた。
言った後でハッとする。
しまった、変なこと言っちゃった……!
案の定冬志さんはぽかんとしている。
「……は?」
「す、す、す、すいません、なんでもありません……!」
「それは……どういう……」
「深い意味はないので忘れてください……」
恥ずかしすぎて拝むように手を合せると、突然冬志さんの顔が厳しくなった。
「誰だ」
「え?」
「つまり……なにかそういうことが気になるような……相手が……」
「……え?」
「この間はいないと言っていたな。あれからできたのか」
今度は俺がきょとんとした。
冬志さんは何を想像したんだろう。
「どういう意味ですか……?」
「だから、つまり、……」
冬志さんはむきになったように何か言いかけたけど、俺と顔を見合わせると急にもがもがして顔をそらした。
「……いや、……なんでもない。おまえの質問はいったいどういう意図だ。それによって返事が変る」
話が戻ってきた。
変なこと聞くんじゃなかった……!
なんて言えばいいのか、まさか本当のこともいえなくて、俺はなんとか当たり障りのない説明をひねり出すことにした。
「あの……、……知ってる人に……恋人がいるかもしれないと聞いたんです。年も近い人で。俺は恋人なんて考えたこともなかったので、なんだか……急に大人になられたような気がして……不思議な気持がして……」
「……それだけか」
「それだけです……」
嘘じゃない。
うん。
全部は説明してないけど。
「……ふむ」
冬志さんはちょっと疑わしげだったけど、ひとまず納得いったようにうなずいた。
「……それは年齢の問題じゃないだろう。たとえいくつでも、誰かを愛さずにはいられないということはある」
静かな声だった。静かで、強い。少し呑まれて、俺は返事を思いつかなかった。
なんでそんなにきっぱり言うんだろう。まるで冬志さん自身が、そのことを知ってるみたいに。
「……そもそもおまえはどうなんだ」
「……え?」
「だから……好きな相手はいないのか」
「いません」
これは迷うまでもない。あっさり答えた。
冬志さんは一瞬不思議な表情で俺を見た。
「……いままで一人もか?」
「ええと……そう思います……」
そんなにびっくりすることでもないと思うけど、冬志さんは考え込むように、ふうん、と短くつぶやいた。
「……冬志さんは……いますか?」
問いは、押し出されるみたいに、心の中から落ちてきた。冬志さんはちらりと俺を見た。
「いる」
答えははっきりしていた。迷いもなかった。俺は一瞬飲まれてしまって、冬志さんを見つめていた。ハッとする。
「それは、どうしてわかったんですか?」
「わかる。それだけだ」
冬志さんはそれきり何も言わなかった。




