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4-3 残酷な天使のなんとか

「失礼します……」


 生物準備室の扉をノックすると、のどかな声が返って来た。


「うお~い」


 腕に抱えたノートの山が崩れないように、身体を真っ直ぐにしながら、気をつけてドアノブを回した。

 奥のデスクに向かっていた白衣の背中が、のんびりと振り返る。

 無精ヒゲを生やした占戸先生が、ちょっと長めの前髪の向こうで笑った。


「おお、宿題な」

「どこに置けばいいでしょうか?」

「そのへんに置いといてくれ」

「はい」


 先生が壁際のテーブルを指す。木箱とか、他のクラスのノートとかが、顕微鏡とか、ガラスのなにかの器具とかが、所狭しと並んでいる。

 ええと……このへんでいいかな?

 俺は、クラスメイトの生物のノートの束を、他の器具の邪魔にならないように、そっと置いた。


「急に頼んで悪かったな」

「いえ……」

「コーヒー飲んでくか? どうせ昼休みだし、メシのついでに」

「ありがとうございます。でも、おひるごはんの約束、してるので……」


 俺はぺこっとして、生物準備室を出た。


 これで占戸先生に頼まれた用事は終わり。

 次はおひるごはんだ。

 ――なんだけど。  

 

 サンルーム……行きたくないな……。


 俺は廊下で立ち止まり、ところどころ青空がのぞく窓を見上げて、憂鬱になった。

 すっぽかしたい。

 でも、冬志さんと瑞希兄さんと四方田くんがあのガーデンテーブルで向かい合って、憮然と食事しているところを想像すると……逃げるわけにも……。

 重い足取りで歩き出す。


(はあ……狩野さんに相談したいなあ……でもあんまり呼ぶのもお邪魔だろうし……)


 この間、雨の夜に助けてくれたお礼も言いたいけど……。

 またアイス休憩を邪魔したら申し訳ないし……。


(逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ……!)

 

 自分に言い聞かせながら、前にも聞いたことある気がした。

 こういうふうに、時々浮かんでくる前世の記憶があるんだよね。

 なんだっけ、思い出せないけど……新世紀なんとか……とか、エヴァなんとか……とか、そういう言葉も一緒に浮かんでくる。

 よっぽど有名な言葉だったのかな……?


 そんなことを考えてたら、つきあたりの窓から赤いレンガ造りの図書館が見えた。

 

(逃げちゃだめ……だ……けど……)


 ちょっと、寄り道するくらいなら……いい……かな……?


 




 図書館の空気は、いつものように落ち着いていた。


 書架の間を、ゆっくり歩を進めながら、肩から力が抜けていくのがわかる。

 俺は、色とりどりの本の背を眺めながら、静けさを楽しんでいた。 


 やっぱり、ここはホッとする。

 また図書委員に戻りたい。二学期になったら立候補しようかな。

 

 ――なんて思ってたときだ。


「……薫さん!」


 後ろからなにかがぶつかってきた。


「!?」


 よろけて棚につかまりつつ、ぶつかったんじゃないと気が付いた。

 抱きつかれたんだ。


 振り返ると、肩口にきらきらした笑顔があった。

 女の子のようにかわいらしい目鼻立ち、屈託のない輝き……。


「み……宮くん……びっくりした」

「あっ、ごめんなさい!」

「ううん、大丈夫だよ。でも、このままじゃ倒れるから……」

 

 俺はなんとか体勢を立て直して、ほっと笑いかけた。

 宮くんは心なしか残念そうに俺から離れて、


「今日、当番でよかったあ! 薫さんに会えた!」


 にこっ、と花のようにほほえんだ。

 相変わらずアイドルばりのまぶしさだ。

 思わず宮くんの放つキラキラに圧倒されながら、


「えと……今日、宮くん、当番だったんだ?」

「うん。返却作業してたら、薫さんが見えて、嬉しくて……」


 宮くんが指さす先に、作業用のカートがあって、本が沢山並んでいる。

 大変そうだな……。

 そう思ったら、俺は思わず申し出ていた。


「あの……手伝おうか?」

「ほんと!? やったあ!」

 

 宮くんは無邪気に喜んでいる。

 それを見てたら憎めないというか……宮くんが人気者なのもわかるなあ。

 俺たちは、きいきい言うカートを押して歩き始めた。


 実は宮くんは、お父さんが高名な絵描きさん、お母さんが世界的女優さんという芸術一家で、本人も気が向いたときにちょっとモデルみたいなことをやっているんだ。

 街角のポスターや雑誌の写真なんかで見かけることがある。


 そんなに有名人なのにすごく甘えんぼで、俺のような目立たなくてなんの取り柄もない上級生にも、「薫さん」「薫さん」って慕ってくれる。

 妙にドジっ子でうっかり者のところがあって、ほっとけないし……。

 本当にいい子なんだ。


 宮くんと出会ったのは昨年だ。

 図書委員のカウンター当番でコンビになったのがきっかけだった。


 はじめ、宮くんはぶつくさ言っていた。


「ほかの委員より楽そうだと思っただけなのになあ……まさか毎週金曜日の放課後がつぶれちゃうなんて」


 翌週、宮くんは小走りに入ってきて、周囲をはばかりながら俺に向かって手を合せてみせた。


「先輩、僕、どうしても放課後に残れない理由があって……」

「どうしたんですか?」

「はい。実は、僕の母が入院してまして……不治の病で明日が知れないんです」


 宮くんは目に涙をためていた。


「大変心細がっているので、ついててやりたいんですが……帰っていいでしょうか」

「えっ」


 俺は驚いた。


「宮くんのお母さん、昨夜のテレビのミステリードラマで、あんなにかっこよく謎を解いていたのに……」

「そっ……それは……誰にも病を知られたくないと、気力だけで仕事をしているんです」

「そうだったんだ……」


 思わずしんみりした。女優さんてすごい。


「……そういうことなら、急いで帰ってあげて。ここは俺がやっておくから」

「……えっ? 本当に信じ……いや、いいんですか?」


 なぜか宮くんは目をまん丸くして、騙されたような顔で帰って行った。


 それからしばらくの間は、お母さんのために帰って行ってたけど、あるときのことだった。

 カウンターの前に立った宮くんは、帰らずに心配そうに尋ねた。


「春花先輩……僕が帰っちゃったら、二人分の仕事をしなきゃいけないよね? 腹が立たないの?」

「え?」


 俺はちょっと考えた。

 まあ確かに、仕事量は増えるんだけど、でも……。


「でも、もともとこれが仕事だし……宮くんとお母さんは貴重な時間を一緒に過ごせるんだから、役に立てるなら嬉しいくらいだよ。気にしないで」

「そっかあ……」


 宮くんは、俺をしみじみ眺めてこんなことを言った。


「春花先輩見てると、心配になっちゃうな。先輩、もっと要領よく人生渡らなきゃだめだよ」

「え?」

「なんでもない。ねえ先輩、僕の母、昨日退院したんです。だから、これからは一緒に掃除できますよ」

「お母さん、退院したの? よかったね!」


 俺は、宮くんと、宮くんのお母さんのために喜んだ。

 それから、宮くんのお母さんが主演しているドラマ「探偵・保難シャーロット」の大ファンである母さんのためにも。

 それから宮くんは、毎週きちんと図書委員の仕事をするようになった。

 やっぱり、真面目な子なんだ。

 俺は嬉しかった。


 それから「春花先輩」が「薫先輩」になり、「薫さん」になるまで一ヶ月もかからなかったと思う。

 俺には兄弟がいないけど、もし弟がいたらこんな感じなのかな?

 そんなふうに思ったりして。


「宮くんとゆっくり話すの、久しぶりだね。元気だった?」

「元気じゃなかった」

「えっ、どうしたの? 病気?」

「だって、三ヶ月ぶりだもん。薫さんに会いたくて、元気なかった。僕、いつも薫さんを探してたんだよ」


 宮くんはこういうことをさらっと口にする。

 校内で見かけるといつもたくさんのお友達に囲まれてるのは、好意を素直に伝えられるからなんだろう。

 宮くんが懐いてるのは、俺にだけじゃない。


 ――と、今までは思ってたんだけど。

 ふと嫌な予感がした。


 宮くん……花婿候補ってことないよね? 


 人を疑うのは良くない。

 良くないけど、


(メモした候補の中に……後輩が一人いた……)


 胸がドキドキしてきた。今は冬志さんにメモを渡してるから確認できないけど、内容はしっかり憶えてる。


 だったらどうしよう……。

 宮くんは数少ない友達なのに……。


 四方田くんをフッたときのことを思い出すと、それだけで胃が重たくなるような気がした。

 もう、あんなやるせない気持ちにはなりたくない……。


「あ~、見て見て薫さん! 身長だいぶ追いついてきたね! もうほとんど一緒だよ! 僕言ってたでしょ、絶対追い抜くって? 今年には抜けるかな?」


 俺の考えを知らない宮くんは、身長を比べるように頭の上で手をひらひらさせた。

 確かに、俺も小っちゃい方だけど、さらに目に見えて小柄だった宮くんの身長が追いついてきてる。


 そんな無邪気な仕草でさえ、今の俺には怪しく見えてしまう。

 俺はさりげなく後ずさった。


「そ……そうだ、俺お昼を食べてなかったんだ。もう行かなきゃ……」

「えっ? 待って薫さん!」


 宮くんの手が俺の手首をつかんだ。子犬のような上目遣いで、じっと俺を見つめた。


「……どしたの、急に?」

「う、う、ううん、別に……」 

「……僕、薫さんのことならわかるんだから。どうして急に落ち着かなくなったの?」

「そ、そんなこと……」

「隠さないで」


 宮くんが真剣な顔をする。

 うっ。どうしよう。

 俺、怪しまれてる……!


「……婚約者の厳原さんのことでしょう……?」

「……え?」


 急に話題が変った。

 俺はまたたきして宮くんを見つめた。

 宮くんは怖いくらい真剣だった。


「……おうちのしきたりで、厳原冬志さんと婚約したんだよね? 中等部でも話題になってたよ」

「そ、そうなの!?」

「うん。それからずっと、気になってたんだ、僕。薫さんにお話しするかどうか迷ってたんだけど……ねえ、薫さん」


 宮くんは言いよどんだ。

 な、なんだろう。

 こわい。

 冬志さんがどうしたんだろう?

 帰ろうとしてたはずの俺は、すっかり飲まれて身動きできなくなっている。 


 宮くんは深呼吸して、言った。



「もしかして……厳原さんの恋人のことで、悩んでるんじゃない……?」






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