4-1 野いちごの頃
とてもとても昔。
と言っても、俺が中等部にあがった春だから、三年前だ。
俺と冬志さんは、ふたりで野いちごをさがした。
その午後、帰宅した俺は高熱を出した。あのころの俺は、だんだんと身体が強くなりはじめた時期だったとは言え、ちょっとの風邪でもすぐこじらせてしまっていたんだ。
やっと外出の許可が出たのが一週間後。
冬志さんのおうちに遊びに行こうとしたら、電話で断わられた。
忙しい、との理由だった。
それから二ヶ月近く、冬志さんの顔さえ見れなかった。
いくらぼんやりした俺でも、さすがにわかる。
冬志さんに避けられてる……。
俺は、片道一時間ちかくの道のりを歩いて、冬志さんのおうちを目指した。
暑い日だった。
厳原家を取り巻く長いコンクリート塀の下から見上げると、二階の冬志さんの部屋の窓は開いていた。
いるかなあ、と、俺は口の周りを手で囲って、呼びかけてみた。
「冬志さん」
カーテンが揺れた。
冬志さんの顔は驚いていた。
俺を見ると、慌てたようにカーテンを開けて、
「薫?」
「冬志さん、あの、俺、お話がしたくて……!」
あの優しい冬志さんに距離を置かれるってことは、俺が何かしたんだ。きっと。
「……俺のせいなんですか……?」
冬志さんは口をつぐんでいた。
そのとき気が付いたんだ。冬志さんの顔はもう、子どもの幼い目鼻立ちじゃなくなっていた。
切れ長の瞳は冷たいくらいに怜悧で、俺を真っ直ぐに見下ろしていた。
まるで知らない大人の人と会ったみたいだった。
冬志さんは首を横に振った。
「来るなと言っただろう」
「……ごめんなさい」
「もうお前とは会わない」
「え……」
どうしてですか、と俺は尋ねた。
「俺と冬志さんは、友達でしょう……?」
「友達じゃない」
声は冷たかった。
冬志さんの穏やかな優しさしか知らなかった俺は、それだけですくんでしまった。
「薫は、もう友達じゃない」
「おはよう、かおちゃん」
目の前に綺麗な微笑みがあった。
俺はしばらくぼんやりと見つめていた。
冬志さんじゃない……。
外国人みたいにくっきりした、色素の薄い白い肌、茶色の髪と瞳……。
「……どうかしまして!?」
居間に飛び込んできたのは母さんだった。
自分でも、寝起きにこんな声が出るんだと驚いたくらい、すっとんきょうな悲鳴が出たんだ。
慌てて口をパタッと押さえる。
瑞希兄さんがにこやかに、
「すみません、おばさん。うたた寝していたところに声をかけてしまったから、驚かせてしまったみたいで」
「まあ、そうだったの。うふふ、あわてんぼうさんなんだから」
「す……すみません、驚かせて……」
俺はその足下から弱々しい声で謝罪した。
びっくりして悲鳴を上げながらソファから滑り落ち、お尻を打ってうなってたんだ。
いつのまにか、居間のソファでうたた寝してたらしい。
そして、昔の夢を見ていた。
「私は部屋で手紙を書いていますからね。登与さんにお紅茶頼んでおきますわ」
「ありがとうございます、おばさん」
母さんが出て行った後で、俺はようやくソファに這い戻った。
「……い……痛い……」
「大丈夫? かおちゃんは落ち着いてるようで変なとこぼおっとしてるから」
瑞希兄さんが眉をひそめて隣に座ったから、あわてて隣のソファに移動する。
クッションを盾みたいに、瑞希兄さんに突き出して、
「……い、い、今……あの……しようとしてませんでした……?」
「する? なにを?」
「あの、き、き、き、……」
キス、と言いかけて、瑞希兄さんのにこやかな笑顔に気が挫けてしまった。
余計なこと言ったら、突っ込まれそうな気がする。
「……なんでも、ない、です」
「そうかい?」
「あの、あの、俺が知らないところで勝手に触ったり、しないでくださいね……!」
精一杯の注意だ。
瑞希兄さんは爽やかに、
「ごめんごめん。かおちゃんが気持ちよさそうに眠ってたから、ついかわいくて見つめちゃったんだ。勝手に触ったりしない。約束するよ」
思わず疑いの眼で見てしまった。
だって、瑞希兄さんはドSで……ドSとは関係ないかもしれないけど、心にもないことを言える人だと知っちゃったし……。
「……ああ。いやいや、誤解しないで」
ひじかけに頬杖をついて、ふふっと瑞希兄さんが笑う。
「僕が見たいのは、僕のためにおびえたり泣いたり怒ったりするかおちゃんだけど、本当に傷つけたくはないんだ」
「ええ……」
かっこいいこと言ってるっぽい雰囲気だけど、すごく怖いことを言われたのでは。
「……この間から、瑞希兄さんのイメージ、すごく変りました」
「いい方向に?」
「……それは……」
本音は口にしづらくて言いよどむと、瑞希兄さんが吹きだした。
「そんな顔するから、からかいたくなるんだよ」
「ええ……」
「それより、僕がかおちゃんをどれだけ好きか話したいなあ」
さくさくと話題を変えてくる……。
瑞希兄さんの曇りのない笑顔を見つめながら、俺は思った。
やっぱりフラグ、折れてないのでは?
(俺がしっかり拒絶できてないのが悪い……!?)
でも、瑞希兄さんのおかげで、気分が変ったのは事実だ。
そうでなかったら……。
――思い出すだけで、気持ちが沈んでしまう。
冬志さんに絶交されたあの日のことは。
だからあまり考えないようにしてきたのに、なんだかんだでまた冬志さんと話すようになってしまった。
その上、あの雨の晩。
四方田くんから告白されて、そのあとで冬志さんに事情を説明した日以来、気持ちが緩んだのかもしれない。
それとも罪悪感がつのったのかな。
不思議なくらい、事情を打ち明けてからの冬志さんは、優しくなったから。
理由はわからないんだけど……あの説明で本当に納得してもらえたのかな……?
そのへんはとにかくとして、俺は、冬志さんから絶交されたときの夢をよく見るようになってしまった。
そのたびに落ち込んでしまう。
今の落ち込みは前よりも深い。
今まではずっと、俺が何か冬志さんを不愉快にするようなことをしてしまったんだろうと思ってた。
でも前世の記憶が戻ったことで、わかってしまった。
冬志さんは、修陵院で受けた扱いが心の傷になっている。
ということは、たぶん俺も冬志さんを傷つけた人たちのなかに入ってるんだ。
思い当たるのは、絶交される前に会った最後の日だけだ。野いちごを探した日。
俺はきっと、あの日、冬志さんに追い打ちをかけるようなことを、言うかするかしちゃったんだろう。
(……俺、なにをしちゃったんだろう)
記憶をたどってみても、熱のせいでぼんやりとかすんだようになっている。
でも、「熱で憶えてません」なんてそんなの、何の言い訳にもならない。
俺が冬志さんならもっと腹が立つよ。
いつかどこかで、事情が分って謝れたら、って夢見てたけど。
こんな状態じゃ、それも無理かもしれない。
「……はあ……」
俺はクッションを抱きしめて、顔を伏せた。
結局、思い出して落ち込んでる。
俺って、バカだ……。
(……なんだか俺、このごろ冬志さんのことばっかり考えてるな)
「かおちゃん?」
いぶかしげな瑞希兄さんの声で我に返った。
俺はあわててぴょこんと身を起こした。瑞希兄さんは不思議そうに俺を見つめている。
しまった、瑞希兄さんにも失礼なことをするとこだった。
ちゃんとしっかりしないと、俺!
今の最大の目標は、フラグを折ることなんだから。
実は――それも目下の悩みの種なんだけど……。
「ごめんなさい、ちょっとボーッとしてました。紅茶のほかに、何か食べたくありませんか? 俺、登与さんに頼んできますね」
俺は精一杯笑顔で告げて、立ち上がった。




