3-10 キツネにつままれる
「四方田くんが、次の花婿候補でした……!」
時間の止まった校舎に、俺の声は深閑と響いた。
俺の厳粛な顔に比べて、狩野さんのまん丸い目はきょとんとしている。
よく見ると、手にアイスキャンディを握っている。
「……おやつ、食べるところでした……?」
「やっと休憩に入ったところじゃった」
「……す、す、すみません……」
「で? ヨモダ……? とは、誰じゃ?」
「あっ、そうか、ご報告してませんでした……関係ないと思ってたから……!」
俺は身体を引いて、四方田くんを狩野さんに紹介(?)した。
「クラスメートの四方田くんです。前から何かと親切にしてくれて、いい人なんです。今回、国語の課題でペアになったんですけど……」
「ふむ。確かに、お人好しの匂いがするな。お主に負けず劣らずじゃ」
狩野さんが空中で身を乗り出し、四方田くんの鼻先スレスレまで顔を近付けて、鼻先をくんくんさせた。その仕草が犬っぽくて(キツネは見たことがないので)、思わず感心してしまう。
顔を離した四方田さんは、アイスをくわえて四方田くんを観察した。
「……今の、ほめてました?」
「かいだとおりじゃが」
「もう。俺はいいですけど、四方田くんは本当にいい人なんですから、失礼なこと言っちゃだめですよ」
「なんじゃ、けっこう好きではないか。ヨモダとは付き合う気か?」
「付き合いませんよ!」
真顔で聞かれて慌てて否定した。
「なぜじゃ。好きならいいじゃろ」
「好きですけど、恋愛感情じゃないんです!」
「いや、つきあってみれば変るもんじゃぞ」
「もう! どうして急にそんなこと言うんですか!」
「面白いから」
四方田さんはけろりと言った。
アイス休憩中に呼んでしまったから、やる気がないのかもしれない……。
思わず俺は疑いの目で狩野さんを見てしまった。
「状況的にも、いいところまでいっている感じではないか。このあと、何が起きるんじゃ?」
俺の記憶によれば、今回も、シナリオは順調に進んでいる。
〈はなこい〉のヒロイン、〈かおる〉は、たまたま同級生の四方田くんが少女小説を書いていると知る。
感動し、応援する〈かおる〉。
四方田くんの方も、〈かおる〉が彼の夢を笑わず受け止めてくれたことに感動する。
実は四方田くんは、〈かおる〉に淡い好意を持っていた。
小説のヒロインのモデルは、〈かおる〉だったんだ。
続編を完成させたい四方田くんは、ヒロインの心をリアルに書くために、〈かおる〉に協力を依頼する。
共に過ごすうちに、ふたりの心は恋に近づいていく。
手作りのカップケーキを贈られた〈かおる〉は、お菓子言葉を知っていた。四方田くんの好意に気が付いてときめきを覚える。
やがてプロットも完成に近づいた日。
他に人がいなくなった校舎で、四方田くんはヒロインに告白する。
「オヤジに話そうと思う。そしたら、俺と一緒に夢を追いかけてくれないか」
〈かおる〉はうなずき、二人は手を取り合ってくちづけを――。
くちづけのスチル絵が脳裏に浮かんだ。
記憶の中では四方田くんと女の子だけど、今この場所にいるのは、四方田くんと――……
「うわあああ~! 無理ですーーーー!!!!!」
顔を覆った俺の肩を、狩野さんがぽんぽんとたたく。
でも俺のファーストキスがどうなってもいいのか、あくまで顔は事務的で、
「……なるほど、四方田のストーリーは青春さわやかラブ、というところか。確かにそんな感じの男じゃのう。感動的ではないか。ワシは悪くないと思うぞ。少なくとも瑞希よりは推しじゃな。安全牌じゃ。将来苦労はない」
「ひとごとだと思って気楽なことを言わないでください……、いままさに告白シーンだったんですよ……! 危なかった……」
狩野さんは今日はほんとにやる気がない。
手がぶるぶるする。
「うん」とうなずくところだった。
だって、恋の告白だなんてわからなかった。のんきに小説の話だと思ってたんだ。
「……そう言えば、もう一枚スチル絵があるはずでした」
カップケーキだ。
〈かおる〉は、本来ならその場でお菓子言葉の意味に気が付くはずだったんだ。
そう言えば、瑞希兄さんも言ってた。修陵院の女子に「お菓子言葉」が流行ってるって。
カップケーキを目にして、思わず〈かおる〉はどきんとする。
見つめる四方田くん。
咲きこぼれる夕暮れの藤の下で見つめ合う……。
本当なら、ここに来る前にそういうスチルがあるはずだった。
でも俺は、お菓子言葉を知らなかったんだ。
〈お菓子言葉〉が流行ってるのは女子の間だから、俺は耳にしたことがなかった。
女子の友達がいないから……。男子の友達もいないし……。
そのせいで展開が狂ったんだ。
だから、全然ロマンテッィクな空気にならなかった……。
そこのフラグはスルーできてたんだ。
でも、主なシナリオは順調にクリアしてきて、記憶がないままにここまで来てしまった……。
(せめて……瑞希兄さんがメモをくれたときに、すぐ読んでおけば……!)
バカバカ。
俺のバカバカバカ。
悔やんでも悔やみ足りない。
俺は心底から、自分のまぬけさを恨んだ。
「そ、それに、ヒロインが俺だったなんて……!!」
本当に四方田くんの審美眼はどうかしている。
そう言えば、四方田くんはプロットにかこつけて、ちゃっかりデートコースや好きな物の調査をしてたんだ。
(確かに聞かれた……)
変だと思ったのに……気付かなかった……。
バカバカバカバカバカ!!!!!
「と、と、とにかく逃げましょう! このまま移動したら、俺はこの場からスッと消えたようになりますよね?」
「まあそうなるが、明らかに異常現象じゃぞ。心霊現象と思われたらどうするんじゃ。下手すると上司の監査が入るわい」
狩野さんはアイスをかじりながら嫌そうな顔をした。
「そんな、狩野さん……!」
「大丈夫じゃ、助けてやる。ここでしばらく持ちこたえておれ。今いるのは、なんという場所じゃ?」
「と、と、特別教室棟……です……修陵院の……特別教室棟の一階……」
「わかった」
「え、ど、どういう……!」
さっとかき消すように、狩野さんが消えた。あとには暗い学校の廊下が延びているだけだ。
身動きできない。
俺はなにもない空間を呆然と見つめていた。
えっ?
狩野さん!?
いなくなっ……?
どうして……。
同時に、四方田くんの手が俺の上腕に触れた。
「春花……」
「えっ……」
時間が動き出したんだ。
俺は咄嗟に後ずさり、腕は離れた。
四方田くんはぱっとあかくなって、
「ご、ごめん、春花が変な顔してたから、雷が苦手なのかなって……思って……」
「そうじゃなくて……いや、うん、そう」
「……春花、さっきからそっち向いてたっけ?」
突然時間が動き出したから、身体の向きが急に変ったように見えたんだ。
(ごまかさなきゃ……)
俺はそそくさと笑顔でうなずき、もう一歩後ずさった。
「と、とにかく、帰ろっか!」
くるっと向きを変えたけど、み、右手と右足が同時に出てしまう……!
緊張のあまり、耳の中でドキドキ血管が打つ音が大きく聞こえる。
(だめだ、不審がられないようにしないと……!)
四方田くんが何か言い出す前に、特別教室棟を出て、家に帰るんだ!
帰れば今のフラグからは逃げられる。
フラグを――フラグを折るんだ……!
「春花、待って!」
不意に、目の前に四方田くんの長い腕が伸ばされた。
からみついてくる。気付くと、後ろから抱きすくめられて動けなくなった。うなじに四方田くんの息を感じた。
動悸がすごい。
これはときめきじゃなくて、恐怖だ。
待って待って待って!!!
バックハグとか!
ゲームにもない!
「……急に、ごめん」
四方田くんの声も震えていた。
「頼むからさ、帰らないでくれよ」
「あの、え、あの、……」
「……もう来週からはこんな機会もなくなってしまうから、話させてほしいんだ。婚約者のいる春花に、迷惑だと思うけど……」
口が回らない。
ピンチ……!
不意に、頭に選択肢が浮かんだ。
▽腕をはねのける
▽四方田くんの話を聞く
ど、ど、どっち……!?




