3-8 雨の前
「結末はさー、やっぱハッピーエンドだよなあ」
「うん、だよね」
四方田くんは、テーブルの上にうきうきとノートを広げた。
俺の方から見ても、白紙が文字の黒雲に覆われるみたいに、どのページもびっしりと書き込みがしてある。四方田くんは大切そうにめくりつながら、
「今度は、ヒロイン――〈芙蓉〉が、家から追い出されるところから始めようと思ってんだよ」
「えっ? 追い出されるって……どうして?」
「ほら、前回のラストで、芙蓉と一郎が兄妹じゃないのがわかったろ? あの調査の過程で、一郎とのこととは別に、重要な疑惑が浮かんだわけ。芙蓉が産院で取り違えられてたかもしれない、って」
「取り違え……っていうと、赤ちゃんが本当の両親じゃない家に行っちゃう、っていう?」
「そうそう、本当の娘かもしれない子が出てくるんだよ」
「そんな……。で、でも、それで追い出されるなんて、かわいそうだよ」
「もちろんすぐには追い出されない。ところが、もう一人の娘の意地が悪くてさ。もしかすると本当の娘かもしれないってことで、事実がわかるまで同居が始まるんだけどさ、芙蓉を追い出そうとして策略を巡らせるんだよなあ」
「ええっ」
心配でハラハラしてしまうのを、四方田くんは嬉しそうに見つめていた。
完全に翻弄されてる気がする……。
でも、まだ書き上げられてない小説について、作者から話してもらえるなんて、なんて贅沢だろう。なんだかちょっとわくわくするし、秘密の話みたいでわくわくしてしまう。
四方田くんがノートをめくる手を止めた。
開いて置かれたページは新しい。四方田くんはそのうえでボールペンをかまえた。眼鏡の奥の目をくしゃっとさせる。
初夏の風が襟足をくすぐり、雨上がりのみずみずしい匂いを俺たちの間に残していった。
「……そこまでは決まってるから、続きを一緒に考えてくれよ」
「わ、わかった! 目指すはハッピーエンドだね」
責任重大だ。
俺がうなずくと、四方田くんは、
「そうだなあ……まず聞きたいのは……」
「うん」
「俺はハッピーエンドにしたいけど、春花は?」
「絶対! 絶対ハッピーエンドにしてあげよう!」
「了解」
クスッと笑って、四方田くんは「ハッピーエンド」と罫線に添って書き込む。
「春花って、休みの日、何してんの?」
「ええーと……大したことはしてないかな……本読んだり、散歩したり」
「散歩」
「うん、行ったことのない道に入るの、けっこう好きなんだ」
「いいじゃん! 芙蓉の趣味に入れよっと」
「ええ、いいの?」
そんな関係あるんだかないんだか、ほとんどただの雑談みたいな質問のあとで、四方田くんは何気ない感じで言った。
「……春花はさー、……どういう相手に恋する?」
「……え?」
紙に何か書き込んでいる四方田くんの顔は、緊張してるみたいに見える。
きょとんとしてしまった。
四方田くんの小説に関係ある……?
「ほら、他の人の意見も聞きたいんだよ! 俺と芙蓉は別の人間だからさ! 芙蓉の思考パターンを深めたいっていうかさ!」
「そ、そっか」
書く人って、色々なこと考えてるんだな。
……と言われても……。
俺は頭を悩ませながら答えた。
「ごめん、俺には答えられないかも……。俺、今まで好きな人ができたことないから……」
「え、全然?」
「うん……」
友達もいないくらいだから……好きな人なんてもってのほかだった。
「うーんと……好きなタイプは?」
「え、ええと……」
俺は、テレビで見る、ほんわかした感じの女優さんの名前を挙げた。
「ああいう感じの、優しくて落ち着いた感じの人好きだな」
「へえ~……優しくて落ち着いた……」
どうしてメモしてるんだろう……。
「じゃ、じゃあさ……もし、想像もしない人から好きだって言われたら……?」
「想像もしない人から……」
と、言えば――
なぜだろう。
反射的に脳裏にひらめいたのは、冬志さんのむすっとした顔だった。
もし冬志さんから好きだと言われたら……。
頭は自然にイメージを描いた。
相変わらず仏頂面の冬志さんが、俺の目を見て、――……。
――いやいやいや!
すぐに打ち消した。でも顔に血が上ってくるのはとめられなかった。
――何考えてるんだよ俺。おかしいよ。冬志さん、男の人なんだから。大体、冬志さんのほうが俺のことそういう対象には見てないだろうし。
そう、そうだ。
この間、嫌いじゃないって言ってくれた。それは嬉しいけど、恋愛対象とか何とかいう話をしてたわけじゃない。
俺、友達が少なすぎて、こういうとき思い浮かべる人が冬志さんくらいしかいないから……。
きっとそのせいだ。
四方田くんはまじめな話をしてるのに、しっかりしなきゃ。
俺はあわてて首を振って、
「び……びっくりするけど……わかんないな、相手がどういうふうな関係の人かで違うかも」
「どういう関係……」
「知らない人なら、考えられないし……」
四方田くんは俺を見つめて口を閉じた。
穴が開くほど見つめられて、いたたまれずに、四方田くんの手元に視線を落とす。
「じゃあさ……」
「うん……」
「……俺だったら?」
しん、とした。
――オレダッタラ?
……って?
俺と四方田くんは目を見合わせて凍り付いたように座っていた。
校庭の方で部活のかけ声がして、我に返る。
同時に四方田くんがうろたえたように手を振った。
「あ、あの、そんな深い意味じゃなくて……! たとえって言うか……距離感の話! 俺なら、知らない人じゃないじゃん? そしたらどうなのかなって」
「ああ……そっか、ごめん、あんまり真面目な顔してるから……」
俺は恥ずかしくなって頭をかいた。
「どうかなあ、やっぱり考えたことないから……時間はほしいかなあ」
「……で、でもすぐにはフラないってことだよな」
「うん、だって友達だもん。気持ちを無碍にはしたくない」
どうしてだろう。
四方田くんの顔が輝いた。
真剣にメモもとってる。
「……こんなのでいいの? 俺の話しかしてないみたいだけど……」
「いい、いい! すげー参考になってる! じゃあさ……」
そのあとも四方田くんの質問は続いた。
うーん……。俺の話が本当に役に立つんだろうか……?
四方田くんがそう言ってくれるなら頑張るけど……。
困惑しつつも、俺は空に夕焼けがさしはじめるころまで四方田くんの質問に答えていた。
「明日もよろしくな! これはバイト代!」
四方田くんはそう言って、晴屋さんで今度はあんみつをおごってくれた。
わけはわからないけど、あんみつがおいしかったから、まあいっか。
瑞希兄さんが、「そう言えば」と切り出したのは、金曜日のお昼のことだった。
いつもどおり、サンルームの席でのお弁当だ。
「カップケーキの話なんだけど」
「え、あ、はい!」
「……僕の勘違いかもしれないからね、調べてきたんだ。……これにメモしといた」
冬志さんはポケットから取り出した紙片を見せた。折りたたんであって、何が書いてあるかはわからない。
それをガーデンテーブルの上をすべらせてくれた。
「えっ、すみません、ありがとうございます!」
条件反射で受け取ってお礼を言ってから思いだした。
そうだった、すっかり忘れてた。
四方田くんがくれたカップケーキ。カップケーキには「お菓子言葉」があって、プレゼントする意味がある、って話で、その意味を調べておこうとおもってたんだった。
「わざわざ調べて下さったんですか? す、すみません、ありがとうございます」
「まあ、知ったほうがいいね。そしたらかおちゃんも自分で判断が付くだろうから」
「判断……?」
カップケーキのことで?
やけに物々しい。面食らったけど、瑞希兄さんが気を遣ってくれたのはわかった。
「……ありがとうございます」
冬志さんは難しい顔をして俺の手元を見つめている。瑞希兄さんはその冬志さんをちらっと見て、
「あとで一人の時に読んで、じっくり考えてみて」
「は……はい?」
そうなると開きにくくて、俺はもらった紙片をそのままポケットにおさめた。
今週は天気が思わしくない。
早いけど、もうそろそろ梅雨入りか、なんて声も聞くようになった。
今日も雨が降るでもなく、日が差すでもなく、黒と灰の混じったもくもくした雲が、重たく中庭の上にふたをしていた。
「……今日もレポートの打ち合わせか」
冬志さんの低い声がして、俺はなぜかぎくりとしてしまった。
なぜか、じゃないな。
だってウソをついてるんだから、後ろめたい。
「はい……」
「……わかった」
それ以上聞かずに食事を続ける冬志さんは、氷、と揶揄されるとおり冷たくて、きちんとしていて、とりつくしまがない。
でも、どうしてかな。
最近ずっと一緒にいるせいか、冷ややかな横顔の内側に、沢山の感情が詰まってる、その気配を肌で感じるような気がすることがある。ちょうどいまの天気、雨をいっぱいためこんでふたをしてる雲みたいに。
……怒られるかな。
そう思ったけど、思い切って口を開いてみた。
「……冬志さん」
「……なんだ」
「……お怒りにならないんですか?」
「なぜ」
「……ごめんなさい……あの……、なにかおっしゃりたい……のかな……って……気がして……違ったらいいんです、申し訳ありません……」
せっかく勇気を出したけど、俺の声は自信なく切れた。
変なこと聞いてしまった……。恥ずかしくてうつむく。
瑞希兄さんが面白そうに俺たちを見比べている。
冬志さんが小さく溜息をつくのが聞こえ、箸を置くかちゃりという音がした。
「……怒ってはいない」
「……よ、よかったです」
「……先日話して考えた。……おまえに要求する前に、俺はおまえにふさわしい相手だったかどうか」
「え……」
顔を上げる。
冬志さんは真面目な顔をしていた。少し仕方なさそうに、腹立たしそうに眉をしかめていたけど。
俺の手元あたりに目線を当てて、
「まずおまえを信じる。……そう決めた」
俺は瞬きした。
冬志さん……。
見えない指先が伸びてきて、そっと手を繋がれた。
そんな気がした。
幼いころのように。




