3-7 夏も近づく
垂れ込めている雲は、限界まで雨を溜め込んでいたけれど、昼前になって持ちきれなくなったらしい。
サンルームのガラスを、滝のように水が流れ落ちていく。
「ねえ、かおちゃん」
あらかたお弁当を食べ終えた頃、明るく瑞希兄さんが切り出した。
――目が笑ってない。
最近わかってきた。こういう時は瑞希兄さん、本当には楽しんでない。
「は……はい……?」
思わずびくびくして聞き返す目の端で、冬志さんが眉をひそめるのがちらっと見えた。冬志さんも察したんだな……。
「……さっきのカップケーキの話、ほんとう?」
「はい……?」
「手作りのカップケーキ、プレゼントされたの? そして、意味を知ってるかって聞かれた?」
なんで怒ってるんだろう?
お弁当食べながら、何気なく四方田くんのカップケーキのこと聞いた。
瑞希兄さんなら「カップケーキ言葉」を知ってるんじゃないかと思って。
ど、どうして怒るのかな……?
「誰から聞かれたの? どういうシチュエーションだった? カップケーキは何個あったの?」
「あの、え、何個だったかな……」
「……ふうん」
瑞希兄さんはにっこりした。
目が笑ってない……。
ガラスを打つ雨の音と相まって空気が沈む。でも急に割って入るようにぱちんと音がして、空気がほどけた。冬志さんが箸を置いた音だった。
冬志さんは手際よく弁当箱を片付けながら、
「もうすぐ予鈴だ。薫ももう食事は終ったな。戻るぞ」
「あ、はい」
「学生会長殿も、もう時間がありませんよ」
助け船を出してもらったらしい。
俺はホッとしながら「はい」とお弁当箱のふたを閉じた。
瑞希兄さんも華やかに美しく、目だけは笑ってないままで、くちびるを笑顔の形にした。
「……かおちゃん。今日こそおうちにうかがっても?」
「あ、そうでした!」
はたと思い出して、俺は手を打った。
「瑞希兄さん、ごめんなさい。いらしていただいてかまわないのですが、帰り道はご一緒できません。冬志さんも、今日からしばらく、下校はご一緒していただかなくても大丈夫です」
二人が一斉に俺を見る。
う、タイプの違う美形ふたりに直視されると、圧がすごい……。
「……どういうことだ」
「なにか約束でもできたの、かおちゃん」
「あの……」
なぜ二人揃ってずいっと近づいてくる……?
俺はどぎまぎして、
「あの……と、友達と……えーと、レポート、の続きをやる約束で……」
もちろん、半分本当で、半分ウソだ。
友達は本当で、レポートはウソ。
レポートは、実はもう国語の授業で発表がすんでしまった。
友達の手伝いを頼まれて……と話すつもりだったんだけど、四方田くんから口止めされたんだ。
「作家デビューについてはさ、隠しておきたいんだよ。ちゃんとオヤジに話せるようになるまでは伏せておきたい、噂になりなくないんだ。だから言わないでおいてもらいたいんだけど……」
「大丈夫だよ、冬志さんは人に言いふらすような人じゃないよ」
「でも俺だったら心配だから、ついてくし……」
「え?」
「いや、うん、まあほら、誰が聞いてるかわかんないじゃん? な、頼むって!!」
――両手を合せて拝まれたら断れない。
というので、今回の約束も、国語のレポートにかこつけることにした。
一緒にやるという体裁で、その実は新作の相談をするんだ。
(またウソが増えちゃったな……)
冬志さんの視線が刺さるみたいで、顔が強ばってしまった。
心臓が身体の中で重くなった。別に俺はそんなに良い子なつもりじゃないけど……。
俺、このまま冬志さんにウソついてるしかないのかな……。
でもとにかく、四方田くんの気持ちもわかるから。
秘密の持ち主に頼まれてしまったら、俺が勝手に言いふらすことはできない。
俺はそそくさと立ち上がり、ぺこんと頭を下げた。
「そ、そういうわけですので、申し訳ありません、よろしくお願いします!」
「……わかった」
冬志さんはそれ以上聞かなかった。
瑞希兄さんも眉をひそめて腕組みをしていた。
さあっと風が吹いた。
本のページがめくれて、顔を上げる。
藤棚の上に青空が見える。
雨は短いあいだ降るだけ降って、あがった。
まるで四方田くんとの待ち合わせに合わせたみたいだ。すっきりと、雨雲は風に吹き飛ばされていく。今は何だかカラッとした晴天にかわって、みずみずしい緑の匂いが広がっている。気持ちがいい。
放課後、四方田くんと待ち合わせた図書館の庭の藤棚。
ほとんど濡れてない隅っこのテーブルを選んだ。紫の花が垂れ下がり、甘い香りを放つ下で、四方田くんの本を読み返しながらメモを取っている。
(えっと……ヒロインは一人っ子で……おうちは古い華族……。小さいころは身体が弱くて、友達が少なくて……)
お手伝いする以上は、ちゃんと人物設定も把握してないとね。
四方田くんはバスケの顧問の先生のところに寄って、原稿を書き上げるまでの休部を交渉してくるという話だった。
――ウチはお華族バスケ、なんて陰口をたたかれてるくらいで全然熱血じゃないから問題ないよ、すぐ行くから先に行ってて。
笑ってた四方田くんを、こうして一人で待っている。
初夏の風は冬の厳しさもなく、夏の湿り気もなくて、気持ちがいい。
なんだか気持ちが前向きになって、じめじめなんか吹き飛ばしてくれそうだ。
視界の隅に人の気配を感じて、視線を向けてみた。小柄な背中が据え付けの木製のテーブルの間を動いてる。
四方田くんより、二、三十センチは低いかな。四方田くんじゃない。
すぐにまた小説に視線を戻してメモをとり続けた。
そしたら、じわっと、気配が近づいてくる――気がした。
テーブルの端っこに、ちらっと制服が見える。
あれは、中等部のチェックのベスト……?
「……やっぱり薫さんだ! やっと会えたぁ!」
俺は反射的に本をたたんで顔を上げた。
男子だけど、ちょっと高めのトーン。
この声と甘えたようなしゃべり方には憶えがあった。
「み……宮くん」
「やったあ、似てるなって思ったんだよね! 会いたかったよぉ」
歓声とともに首に抱きつかれて、思わず笑ってしまった。
放り出されたほうきとちりとりが、藤棚の木の床にがらんと転がるのが見えた。掃除に来たのかな? 宮くん、今年も図書委員なんだ。
し、しかし……抱きしめられて顔が見えない……。
「み、み、宮くん、これじゃお話しできないよ……」
「あっ、ごめん、嬉しすぎて!」
さんざん俺の頭頂部に頬ずりしてから、宮くんはやっと離れてくれた。
「えへへへへ」
嬉しそうにかがんで、テーブルに腕をついて俺を見上げる。
数ヶ月ぶりだけど、ちっとも変らない。
女の子と見間違うくらいのかわいらしい目鼻立ちに、さらに輪をかける、童顔だ。
くっきり二重まぶたで、瞳がくりっと大きい、ジャニーズ系(ジャニーズって何だかわからないけど、その言葉が頭に浮かんだ……前世の言葉かな?)の童顔には、生き生きとした表情が去来して、周りをパッと明るくする力がある。
「勉強中? 僕もいい?」
「あ、えーと……」
俺は、人影のない図書館の外階段に目をやりながら、
「……ごめんね、宮くん。いつもならかまわないんだけど……」
「……だめなの?」
「えっと……国語のレポートするんだよ。俺一人じゃないから……」
「そうなの……?」
宮くんは悲しそうに眉をハの字にした。
「薫さんが高等部に行ってから、全然会えなかったから……久しぶりにゆっくりお話ししたいのに」
「そうだね、どれくらいぶりかなあ?」
「二ヶ月以上だよ! 薫さんのバカバカ! 僕、薫さんが今年も図書委員やるだろうと思って、だから図書委員になったのに」
「ご、ごめんね……!」
えっ、それは申し訳ない。
たまらなくなって顔の前で手を合せたところで、近づいてくる足音に気が付いた。
「お待たせ、春花!」
「あ……」
直接校庭の方から来たらしい。バッグを振りながら四方田くんが駆けてくるところだった。
宮くんの子犬みたいな目がぱちんとして、
「……あの人とするの?」
「うん。ごめんね、だからまた今度。一緒に勉強しよう、宮くん」
「……はあい。絶対だよ、薫さん」
一瞬考え込んでから、宮くんは素早くにっこりして立ち上がり、ほうきを拾い上げて図書館のほうに駆け戻っていった。
入れ替わりみたいに四方田くんが駆け込んでくる。
息を切らして椅子に荷物をどさっと置き、不思議そうにその背中を見送りながら、
「中等部の子?」
「うん、去年、図書委員で一緒だったんだ」
「そう言えば、春花、図書委員してたよな」
すぐにうなずかれて、一瞬、瞬きした。
四方田くん、よく知ってるなあ……。
「はー、待たせてごめん! 怒られるかと思ったら心配されちゃってさ。なんせゆるい学校だから、休むって言ってそのまま辞める奴多いんだってさ。何か不満があるのかって根掘り葉掘り聞かれちゃって」
「大変だったね」
「飲み物買ってきた。コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「四方田くんは?」
「俺はどっちも好きだから、好きな方とって」
「ありがとう……じゃあ、遠慮なく、紅茶もらおうかな」
俺は頭を下げて、紅茶の缶を手に取った。
違和感はそのまま消えた。
まあ、楽しそうに話す四方田くんに、わざわざ質問するほどの違和感でもなかったし。
コーヒーと紅茶を飲みながら、俺が作った設定まとめを見せると、四方田くんはすごく感動してくれた。その笑顔を見てると、俺も嬉しくなる。
四方田くんって、真っ直ぐで爽やかで、この初夏の時期の風みたいな人だ。
友達になれて、よかった。
俺は心から思った。




