3-6 迫り来る危険の名を君はまだ知らない
月曜日。
授業が終わると、四方田くんが走ってきた。
「春花、時間ある?」
「あ、うん、冬志さんと待ち合わせしてるから、あんまりゆっくり話せないけど……」
「……あー、厳原先輩……放課後ならゆっくり話せるかと思ったんだけど」
四方田くんは一瞬、鼻白んで、でもすぐに気を取り直したように眼鏡の奥でにっこり笑った。
「じゃあ急ぐわ。……本さ、どうだった?」
聞きながら、ちょっとおずおずとあごを引く。
緊張してるのかな。
俺はできるだけ明るく、
「すっごく面白かったよ! 俺、感動した。四方田くん、すごいね!」
「……マジ!?」
ぽわっと四方田くんの顔が赤らむ。
「じゃあじゃあ……春花に相談しちゃっていい?」
「え、なにを?」
「……ちょっと時間ある? 大事な相談なんだ」
「うん……」
ぽん、と顔の前で手を合せて拝まれ、俺としては逆らえなくなった。こういうところが狩野さんに言われてしまうのかもしれない。
落ち合う場所を決めて、俺は急いで昇降口に駆けおりた。
「冬志さん」
昇降口を出てすぐ冬志さんの背の高い姿があった。
すきのない横顔で花壇を眺めている。
俺は小走りに駆けよって、頭を下げた。
「すみません、同級生と相談しなくてはいけないことがありまして……先に帰っていただいていいでしょうか」
「時間がかかるということか」
「はい……あ、いえ、まだ中身を聞いてないのでわかりませんが、そのようです」
「クラスの用事か」
「いえ、個人的に頼まれました」
一瞬、妙な間があった。
冬志さんは何かの紙面を読むように俺の顔の上で視線を動かして、最後にふっと考慮するように視線を横へ向けた。
「……わかった」
「すみません」
なぜだろう、こういうときにものすごく失礼なことをしてる気がしてしまう。
冬志さんの中では何かの時間があるのに、俺が一方的にそれを切ってしまったような。俺が抜けてしまった時間は、冬志さんの中だけで動いてる。
俺は頭を下げて、淡々と去って行く冬志さんを見送った。
妙に後ろ髪引かれながら教室に戻る。
昨日――つまりお見合いしてから、何かにつけて思い出してしまう。
婚約することで、「誰か」を守りたい。
冬志さんはそう言った。俺の「自分のため」って理由より、はるかにかっこいいな。
何だか自分がすごく利己的な人間に思えてしまう。
ふと子どものころの優しかった笑顔を思い出す。
俺はもう目にすることはできないけど……その「誰か」にはきっと見せてるんだろう。
冬志さんが心の中を見せる相手は、俺じゃなくなったんだ。
淋しいな……。
ちくりとトゲが刺さった。
考えてみれば、こんな俺じゃ好かれる理由なんてない。
ちゃんと
強くなりたい。
なりたい、じゃない、強くなるんだ。
待ち合わせたのは、先週、国語の時間に使った藤棚だった。
待っていた四方田くんが、椅子から立ち上がって手を振っている。
「春花~あ! こっちこっち!」
「ごめんね、お待たせ!」
俺は、四方田くんと角を挟んで斜め向かいになる席に荷物を置いた。
腰を下ろしながら、
「お土産。これ食いながら話そうぜ」
「え?」
四方田くんが差し出してくれたのは、飾り気のないクラフト紙の紙袋だった。
開けると、ふわりと香ばしい香りが立ち上る。
底に、小さなボール紙の箱。
蓋を開けると、甘い匂いがいっそう強く漂った。
ころんと入っていたのはカップケーキだった。
クリームでデコレーションされて、きらきらした銀やピンクの粒、ナッツやいちじくのドライフルーツ、オレンジピールなんかがカラフルに飾り付けられている。
「え、かわいい」
「く、口に合うかわからないけどさ……」
頭をかく四方田くんにピンときた。もしかして。
「……もしかしてこれ……手作り……」
「……そう」
「誰が作ったの……?」
「……俺」
言いながら、眼鏡を押し上げようとする四方田くんの手の下で、横顔が赤くなった。
「相談に乗ってもらうから、ちゃんとお礼しようと思ってさ……」
「すごい! 本格的だね、パティシエみたいだ」
「……そ……そう?」
言いながらますます赤くなる。
「お菓子作りも好きなの?」
「ヒロインの趣味、お菓子作りだろ。お菓子作りながら悩む場面もあるから、手順を知っとこうと思って、自分でも作ってみるようになったんだよな」
「それでこんなにうまいの? お菓子作りのセンスもあるんだね」
「俺の最初の読者のためだから……」
「四方田くん……」
ほろっとした。
さっそくカップケーキを手に取ってぱくっとしてみる。
ふわっと口当たりが良くて、甘いけど押しつけがましくない。なんだか四方田くんみたいだ。お菓子の味も人柄が出るのかな。
「おいしい」
「……ほんとうに?」
「うん、すごく! ちょっと四方田くんっぽいよ」
「なんだよそれ、どういう味?」
四方田くんは破顔した。パッと表情が輝いたみたいだった。四方田くんもカップケーキを一つつまんで口に運び、「うん」とうなずいた。
「……まあまあできたかな?」
「まあまあだなんて……職人さん並みだよ」
「……実は……俺もほんとはちょっとそう思ってた。本もお菓子も、知ってる人に食べてもらうのは春花が初めてでさ」
「そうなんだ? 光栄です」
四方田くんがはにかんだようににっこりしたから、つられて俺もにっこりしてしまった。
「これが俺みたいか~……春花が俺のことこういうふうに思ってるってこと?」
「ごめんごめん、何となく」
カップケーキをかじりながら、四方田くんははにかんで咳払いした。
「……実はさあ、続編出さないかって言われてんだよな」
「えっ、すごい!」
俺は思わず尊敬の眼差しになってしまった。
「本当の小説家だね!」
「大事なとこだと思ってんだ、俺さ。一冊目はラッキーってとこもあったから、二冊目、ちゃんと面白いの書きたいんだ。これでなんとかして実績作れたら、オヤジにも納得させられるかもしれないしさ……頑張りたいんだ」
四方田くんの笑顔は誇らしげだった。
「俺、やっぱりちゃんと正々堂々とやりたいなって」
「そっかあ……」
かっこいいなあ……。
俺なんか、こんなこそこそしてるのに……。
思わず尊敬のまなざしになる俺に、四方田くんは頭をかいた。
「……でさ、こっからが相談なんだけど……」
四方田くんの俺を見る目は、ちょっと照れてるみたいだった。
「……話考えるの、手伝ってくんない?」
「え……」
「一緒にプロット練ってほしいんだ」
「プロット……って?」
「何て言うのかな……粗筋みたいなもん。俺と一緒に、次の話の粗筋、考えてくれよ」
目がまん丸くなってしまった。ぶんぶん手と首を横に振る。
「む、無理だよ! 俺、小説なんて書いたこともないのに!」
「考えるのは俺がやるから、春花はそれを横で聞いて、意見を言ってくれればいいんだ!」
四方田くんは腰を浮かせて、
「俺、春花とはすげー話しやすいなって、前から思ってたんだ。なんかさ、春花ってフラットなんだよな。俺が少女小説書いてるって言ったときもそうだけど、絶対、変って言わないんだよ。自分の常識にはないから変、みたいなこと絶対言わないだろ。俺、春花のそういうとこ、偉いなって思ってた」
「俺が……?」
面食らってしまって、口をつぐんだ。
そ……そうかな……。
俺としては、他人のことなんて判断するのはおこがましいっていうか……。
だって、小さいころは外で遊べなくてあまり友達がいないし、家族もマイペースな母さんなので、常識っていうものをあんまりわかってない。俺が知らないからって間違ってることだとは思えないんだよね。
四方田くんはなおも続けて、
「小説書くって、けっこうさ、孤独な作業でさ。最初の話書いてるときもしょっちゅう、全然面白くないような気がして悩んでたんだよな。春花がフラットな頭で聞いて、意見言ってくれたら、俺、頑張れるような気がする」
「四方田くん……」
なんか……じーんとする……。
俺は四方田くんが言ってくれるような人間じゃない。
むしろ、こんな俺を前向きに受け止めてくれる四方田くんこそが立派だ。
でも、そんなふうに思ってくれるなんて……。
友達……みたいだ……。
(……ほんとに、四方田くんが花婿候補でなければいいなあ……そしたらずっと友達でいられるのに……)
俺は心からそう思った。
「……俺でよかったら、手伝いたい」
「ほんとに!? やったあ!!」
四方田くんの表情が輝いた。OKしてよかった。俺まで嬉しくなる。
「明日プロットノート持ってくるから、詳しい話するけど、次はヒロインがいなくなるところから話を進めようと思うんだ」
「えっ、いなくなっちゃうの? どうして?」
「そういうのを相談したいんだよ。しばらく放課後、俺に空けてくれる?」
「うん。冬志さんに話しておくね」
「やった……!!」
ガッツポーズして腰を下ろし、ひょいとカップケーキを手に取った四方田くんは、
「なあ、春花、カップケーキの意味知ってる?」
「意味? どういうこと?」
「ほら、花言葉ってあるじゃん。この花をプレゼントしたらこういう意味、ってやつ。ああいうの」
「そういうのがあるの? カップケーキに?」
「うん、スイーツ言葉っていうらしい」
全く知らない。
俺が目を丸くして首を振ると、四方田くんは照れくさそうにまた頭をかいた。
「……いや、うん、知らないんだったらいいんだ」
「え、知りたいよ」
「何でもない何でもない。ほんと大したことじゃないからさ」
四方田くんは笑ってるけど……俺は知合いが少ないから、みんなが知ってる流行り物の知識がない。ほんとならみんな知ってるのかも。話に水を差しちゃっただろうか。
あとで誰かに聞いてみよう、と、カップケーキのオレンジの砂糖漬けをかじりながら思った。




