3-5 幕間にて
「いやー、これはこれは、春花さんじゃありませんか!」
どっしりと太い声が響き渡った。
厳原のおじさんを見過ごす人はいないだろう。
背丈も身体もがっちりとして人一倍大きい。色が黒いので、壮年にさしかかってもトレーニングを欠かさない格闘家、という感じに見える。声もよく響く。
むしろ、「とどろく」と言ったほうが正しい……かもしれない。
大帝國ホテルのラウンジはそこそこ混み合っていたけど、頭ひとつ分大きいおじさんが立ち上がると、入り口からも一瞥で見分けられた。
「おや、厳原さん」
「まあ、なんて奇遇なのでしょう」
驚いた顔をする父さんと母さん。
わ……わざとらしい。
でもこれも予定のうちだから、俺も一緒にうなずいたりして、精一杯、調子を合わせる。
テーブルに近づいていくと、おじさんとおばさん、それに冬志さんが立ち上がって出迎えてくれた。
冬志さんは冷たい無表情でいつものとおりだけど――でも冬志さんが驚いた演技なんかしてなくてよかった。
何となくホッとする。
「今日は、ご家族で?」
「ええ。モーツァルトのオペラを見に来まして、少し早かったのでお茶でもと……厳原さんは」
「知合いを迎えに来たんですが、向こうの予定が変りましてなあ」
「よろしければ、桟敷席を借り切ってますから、ご一緒なさいませんか」
まずはよどみなく、打ち合わせ通りに話が進む。
次は俺が挨拶する番だった。
見上げると、頭一個分以上は高いところに、おじさんの豪快な笑顔があった。
厳原のおじさん――冬志さんのお父さんと会うのは、もう十年ぶりくらいじゃないだろうか。
俺は深呼吸して頭を下げた。
「お久しぶりです、おじさ……」
「いやー、きみ、薫くんか! こないだ会ったときはなあ! こんくらいだったのになあ!」
白い歯をのぞかせながら、おじさんは人差し指と親指の先を十センチくらい離して見せた。
冗談かな。
思わず笑ってしまう。
「そんな……そこま」
「小さかった小さかった! あっはっは!」
「いえ、まさ」
「なにせ可愛かったからなあ、親指姫みたいだったよ!」
――最後まで発言できない……。
思い出した。おじさんと話すといつもこうだ。
声と勢いがすごすぎて、俺はあわあわして黙ってしまうのだった。
何も言えなくなったところに、
「あなた。お気を付けになって。あなたは本当に、お声もお話も大きくなってしまうんですから。薫さんも迷惑ですよ」
クールにビシッと口を挟んだのは、厳原のおばさん。
冬志さんのお母さんだ。
ねえ、というように俺にうなずきかけてくれ、俺は慌てて首を横に振った。困ってはいるけど、迷惑ってわけじゃない。
「いえ、怒ったりなん……」
「そうかあ、怒られちまうか! あっはっは!」
「そういうところですよ、あなた。冬志もご挨拶なさい」
おばさんは、おじさんと逆に小柄な人だ。
細面に眼鏡をかけて、落ち着いた色の着物。
見るからに知的な落ち着きがあって、頭の回転が速そうな人だ。
厳原家は、おじさんとおばさんの代で会社が急成長したって聞いている。
親分肌でカリスマ性があるおじさんと、つねに冷静で戦略家のおばさん。
ふたりの二人三脚で見る見る業績を伸ばしたって聞いたことがある。
物静かに立っていた冬志さんは、きちんと会釈した。
なめらかな動きと角度が完璧で、俺は思わず見とれそうになった。
かっこいい。冬志さんはなにをしても堂に入ってる。
「大変ご無沙汰しております」
「まあ、冬志さん、すっかり背が高くなって……」
「薫とは学校が一緒だね。迷惑をかけてはいないかい」
「とんでもない」
端正な表情を崩すことなく冬志さんは否定してくれたけど、いや、ご迷惑はおかけしてる……。
俺はひそかにしゅんとした。
そのあと二組で席について、お茶を喫し、オペラ座へ移動した。
これは何か、っていうと。
ズバリ、お見合いだ。
連休前から、五月の第二週の土曜日、と決められていたんだ。
俺はずっと、怯えながら今日この日を待っていたのだった。
お見合いって、知合いじゃない同士を引き合わせるのかと思ってた。
本当は、俺たちの場合は必要じゃないはずなんだけど……そうもいかないらしい。
上流階級では、粛々と決められたコースをこなすことが重要なんだ。だからお見合いをする。
ただし、偶然を装って、ばったり会った、という体で。
やんごとない身分、って難しい。
前々から、色々面倒くさいしきたりがあるなと感じてはいたけど……前世の暮らしをうっすら思い出してみたら、ますますだ。
それはともかく、お見合いはお見合いだ。
「本音でお話ししましょう」
おじさんは、桟敷に落ち着くと笑顔のままで口火を切った。
「うちとしては、できうる限り、息子にはおうちのしきたりに従って行動させるつもりでおります。同居でも別居でも、薫くんが内妻をお持ちになるのもなんでもかまいません」
「えっ……」
目を丸くする俺の横で、母さんは少女のように小首を傾げる、おっとりほほえんだ。
「そう言っていただけますと……我が家としては、若い二人にお任せしたいと思っていますの」
「結婚の時期は、薫くんの卒業のタイミングですかなあ」
「早いに越したことはございませんものね」
母さんの口調は小鳥のように可憐なのに、全くおじさんに気圧されることなく最後まで発声できている。
さすがだ……。
俺はどぎまぎしながら精一杯背筋を伸ばして、二人のやりとりに耳を傾けていた。
(俺の卒業ってことは……約三年後か……)
じゃあ、それまでに、婚約破棄の理由を見つけないといけないな。
できれば誰も悪者にならない方法で。
まだ冬志さんに話してはいないけど、俺はそう決めていた。
今日、あらためて気が付いた。
破談する理由をどうするにしても。
この重量級の圧があるおじさんと、おじさんを柳に風と受け流せる母さんを、納得させられるだけの説得力かあ……。
(……俺にできるかな……)
……くじけそうだ……。
「薫たちには、大人の話は退屈だろう。オペラの前に、庭でも散歩しておいで」
「そうですわね、若い人たちだけで行ってらっしゃいな」
定番(?)の前振りで、俺と冬志さんはにこやかに追い立てられた。
オペラ座の中庭は、小さな蓮池や木立の庭があり、幕間に散歩できるようになっている。
歩きながら、俺はちらっと冬志さんを見上げた。
私服も、冬志さんはかっこいい。
ブルーのシャツ、黒の細身のジャケットにスラックス。
カチッとしてるけど、固くない。
真っ直ぐに立って、庭木を眺めている姿は、スラッとして無駄がない。
う、うらやましい。
俺は自分のいでたちを見下ろした。
オペラ座に来るということもあって、ちょっとあらたまった格好を選んでいた。
流行と関係ない、オーソドックスな白いシャツ、ベージュのジャケット。
七五三みたいでは……?
(一歳しか違わないのに……)
しょぼんとなったとき、冬志さんが振り返り、切れ長の瞳が俺に向いた。
反射的に背筋を伸ばす。
「……オヤジはだいぶおまえを気に入ったようだった」
「そ、そうですか」
ほっとする。じゃあ無事に縁談は成立かな。
もちろん結婚前提に進んできてる話だから、ここで気に入られなくて破談、ってことはないだろうけど……でも世の中、なにがあるかわからないし。
冬志さんはちょっと黙ってから、
「……俺たちは手を組んでいるはずだな」
「はい」
なんだろう?
冬志さんと俺は蓮池のふちのベンチに腰を下ろした。
蓮池はまんまるで、緑の葉がゆったりと漂っている。開幕を待つ人たちが他にも時間つぶしをしていた。
「あれから考えているが」
「はい」
「おまえは……俺に隠しごとをしていないか?」
俺は冬志さんを笑顔で見上げたまま、凍り付いた。
……どきり。
冬志さんは難しい顔をして、オペラ座のロビーを行き交う人々を見つめながら、
「……お前の考えがつかめない。まるで……そう、トランプでカードを伏せられているときのようだ。重要なことを話してないんじゃないか」
ぎくぎくぎくり。
ごまかそう。
笑ってごまかそう。
俺は精一杯の笑顔を作った。
「そ、そ、そんな、ことは、ないですよ?」
冬志さんの視線がちらりと俺の上に落ちる。
「……おまえは本当に作り笑いが下手だな」
「あ……あの……」
「手を組んでいる以上、関係する事項は話してもらわなければ困る。俺の身にも関わるからな」
「う……」
どうしよう。
前世と、〈はなこい〉については話せない。狩野さんと約束してしまった。
でも、冬志さんの言葉は正しい。
てのひらに汗がにじんできた。
俺はうつむいた。革靴の先で、緑色の水がちゃぷちゃぷ揺れている。
「……すみません……」
「やはりそうか……」
冬志さんは苦々しげに溜息をついた。
「どうも妙だと思っていた」
「……はい」
「おまえが本当に好きなのは、あの男なのか」
……ん?
「……あの男……って誰ですか?」
「あいつだ。昼食に勝手に来ている、学生会長」
「え、瑞希兄さんですか?」
「それだ」
名前さえ言いたくないのかな……。
どうしてそうなったんだろう。
「好きじゃないです」
きっぱりと答えた。
今度は冬志さんが俺に戸惑ったような目を向ける。
「……え」
「どうしてそう思われたんですか?」
「……」
「本当のお兄さんみたいだと思ってて、そういう意味ではとても好きですけど……」
「……」
冬志さんは眉をひそめて、
「……そうか……」
「あの……どうしてですか……?」
「……いや、……きちんとした理由があるわけではないが、……一緒にいると嬉しそうに見えた」
「……それは、だって、従兄弟ですから……」
「それだけか」
「それだけです」
唖然としていた冬志さんの表情から、だんだん気が抜けていく――ように見えた。
ど……どうしたんだろう……?
「……そうか」
「は……はい」
「……待て。じゃあ、お前の隠し事っていうのはいったいなんだ?」
しまった、話が逸れたかと思ったのに。
俺はあわあわと首を振り、
「と……冬志さんには関係ないことなので、ご存知なくても不利益には……」
口にした後で、なんだか、ひやっ――とした。
そんなつもりじゃなかったけど、すごく冷たい言葉を投げつけてしまったような気がした。
冬志さんは黙った。
「……あの、すみません……深い意味じゃなくて、あの……」
「……いや」
短い返事。長い沈黙があった。
ロビーで流されてるオペラの音楽が、俺たちの間に挟まる。
やがて冬志さんが低い声を落とした。
「……みっともない。欲が出たな」
「え?」
「なんでもない。……自分は隠し事をしておいて、おまえにだけ打ち明けるように要求するのもよくなかった」
隠し事?
俺は冬志さんを見上げた。
でも、冬志さんの横顔は俺を見なかった。
「俺も言っていないことがある」
「はい」
それはそうだろう。
冬志さんは俺がお願いして巻き込んだようなものだから……そんな気を使う必要なんてないんだ。
「手を組んだのには理由がある」
「理由……」
冬志さんは静かに言った。
「守りたい相手がいる」
風が吹いた。
水面がざわりと揺れて、色を変える。
「……おまえとの縁談が、それに役立つかもしれないと考えた」
「え、えっ……」
言葉が見つからなくて、俺は弱い声しか出せなかった。
冬志さんはそんな俺をちらりと見て立ち上がった。
「手を組むことを決めた以上、俺は自分のやるべき義務を果たしていくつもりだ。おまえがどうであっても、俺はそうすると決めた。……そのために、俺の知らない事情があるなら聞いておきたいとおもった。……おまえが話せるとおもったときに話してもらえれば、ありがたい」
――うなずくことしかできなかった。
開幕を知らせるベルが鳴って、俺は冬志さんについて桟敷席へ戻った。
華やかなステージの間中、冬志さんの話について思いを巡らせていた。
冬志さんと、冬志さんの大事な人の役に立つ。
厳原と春花の縁談が?
どういう状況だろう。
(……大事な人って、冬志さんの好きな人ってことかな……)
(それに俺との婚約がどう関係するんだろ……)
わからないけど、俺が立ち入っていいことじゃないような気がした。
……聞かないでおこう。
相手がどういう人なのかとか、何の関係があるのかとかも。
この婚約が、俺だけじゃなくて、冬志さんにもメリットがあるならよかった。
冬志さんにも何か事情がある。守りたい人がいて、その人のために俺と婚約した。
そう言った冬志さんは、まるで大人の男の人みたいに大人びて見えた。
知らない人みたいだった。
暗闇の中、ステージのあかりを受けて、冬志さんの凜とした横顔は、揺れて見えた。
心臓がちくんとした。




