3-4 睡眠前の読書には快眠効果があるらしい
「……これ書いたの、俺なんだ」
俺はぽかんと四方田くんを見つめていた。
「……『かいたの』……って」
「欠いた」? 「掻いた」?
いくつかの漢字が頭を駆け巡ったけど、いや、いやいや。
それは、つまり――ひらめいた瞬間、俺は椅子の上でぴょこんと跳ねるようにしてしまった。
「書いたって……この本――小説を? 四方田くんがこの本書いたの? 作者ってこと?」
「う、うん」
「でもこれ……普通に本屋さんで売ってる本じゃないの?」
「思い切って、少女小説の新人賞に応募してみたんだ。新人賞はもらえなかったけど、佳作に入ってさ……初めての本出してもらえたんだ」
「す、すごい! 四方田くんすごいよ!」
ボリュームあがってしまった俺の声は、晴屋さんのなかに響き渡った。
周囲がしん、となって我に返る。
めちゃめちゃ振り向かれて、四方田くんは慌てたように本をテーブルに伏せ、思わず俺も赤くなって小さくなった。一拍置いて談笑の声が戻ってくる。俺は、そろっと頭を下げた。
「ご、ごめん……つい、感動しちゃって……」
同い年で、バスケ部も学級長もやってて、そのうえ小説の本を出してる。
こんな身近に、そんな立派な人がいるなんて……。
「サンキュ。実はこれ言ったの、春花が初めて」
「そ、そうなの? どうして……あっ、これもバイトに入るんだっけ……?」
うちの学校は、バイト禁止だ。
だから言えないってことだろうか。
でも四方田くんは、
「バイト? あ、そっか……考えてなかった……あっ、ほんとだ、バレたらヤバいな」
四方田くんは失笑した。
「……て言うかさ、俺、こういう世界が好きでさ。こう……乙女チックっていうかさ……よくない? レースとかフリルとか花とかリボンとか……かわいくてきれいなやつ。パッと明るいんじゃなくて、清楚で可憐な……白百合や芙蓉の花や……そう、藤の花みたいな、しっとりしたのがいいんだ。漫画も、少年漫画のバトル物も好きだけど、少女漫画のリリカルな恋愛物も好きだし……。あ、自分でそういうレースやフリル着たいとかじゃないんだ、そういう世界を見てたいんだ」
わかるかな、というふうな視線が向けられて、俺はうなずいた。
「……けど、男でそういうの好きっていうの、言いづらいんだよな。うちのオヤジ、男は男らしく、ってタイプだし、絶対にバスケ部でもバカにされるしさ」
「バカにされる? どうして?」
「そういうもんだよ」
ちょっとびっくりした。
そうか。俺って友達が少ないから、あんまり同世代の常識をわかってないんだ。
四方田くんは吹き出すように笑い出し、身体の力を抜いて椅子の背にもたれた。
「春花ってさ……変わってる」
「えっ?」
急にこっちになにか回ってきた。
「あっ、悪い悪い! 良い意味でってこと! 春花って、あんまし他人のこと、良いとか悪いとか決めつけないだろ?」
「……そうかな……?」
常識が分ってないだけって気もするけど……。
「そんなことないって! 俺、そういうとこ尊敬してるし」
「そ、そうなの?」
「春花、目がまんまる」
いつもの、ついつられてしまうような笑顔で、四方田くんは言った。
「……この本も、おかしいと思わなかったって言ってくれて、すげー嬉しかった。だから話そうって思ったんだ」
「俺、全然おかしいって思わないよ! 天才かなって思ったくらい!」
「……へへ」
俺たちは顔を見合わせて照れ笑いした。
なんだろう。
楽しい。
俺は、四方田くんの腕の下の本に目を向けた。
「……よかったら、俺も読んでみたいな」
「……いいの?」
「うん!」
「きゃー!」
四方田くんは顔を覆ってしまった。
「恥ずかしいー、初めて言われちゃったよ~! 心の準備ができてない~!」
「あ、み、見られたくないなら……」
「いやいやいやいやいやいやいや」
四方田くんはパッと顔を上げてすごい早口で否定した。
「見られたくないってわけじゃない!! 照れるだけ! 照れるのと見てほしいのと、半々くらい! ほんとはこの本、春花にもらってほしくて、ずっとバッグに入れてたんだ」
「え? どうして?」
思わず瞬きしてしまった。
「……どうしてかっていうと……」
四方田くんは頭をかいて、俺の前まで本をすうっと押しだした。
「ええと……色々あるんだけど、……ひとつには、頼みがあってさ……」
「え、なに?」
「……読んでもらって、それから話す」
な、なんだろう。
一気に不安になってきた……。
白い歯を見せて笑う四方田くんから本を受け取る前に、俺は一瞬ためらってしまったのだった。
「薫さん、明日は大切な日ですわよ! お風呂をすませて、ゆっくりお休みなさいな」
――と。
母さんから追い立てられるようにしてお風呂をすませ、パジャマに着替える。
部屋に戻って窓を見上げると、ガラス越し、ヒマラヤスギの上には、白々と半月がかかっていた。
透明な藍色に底光りした空に、おだやかに夢見る月の光がしみわたる。
いつもなら見とれてしまいそうな景色だ。
なのに、今夜は気持ちが落ち着かない。
レポート――も、なんだか集中できないな。
まだ時間はちょっと早かったけど、あきらめて、四方田くんの本を手にしてベッドに潜り込むことにした。
(四方田くん、頼みって、なんだろ……)
ちらっと思った。
だけど、頭はすぐに明日のことに戻ってしまう。
だって、いよいよ、アレが来る。
考えないようにしていたけど、連休前に日程が決まっていた、「アレ」が。
(……冬志さん、なにも言ってなかったけど、緊張してないのかなあ)
そうかもしれない。
どぎまぎしてるのは、俺だけなのかも。
それでもページをめくると、いつのまにか俺は四方田くんの小説の世界に引き込まれていた。
タイトルは『運命は藤花を濡らす』。
ヒロインは没落した旧家のお嬢さまだ。
名門学校に通っている。身体が弱かったことから人見知りで、休み時間は一人で本を読んでいる。おっとりしたやわらかい性格と、清楚で可憐な目鼻立ちで、付いたあだ名が「藤花の君」だった。
そんなヒロインは、ひっそりとクラスの男子に恋をしている。
おとなしい彼女にも屈託なく声をかけてくれる優しい男子で、彼も本好きだ。本の話をするうちに、ふたりはいつしか恋しあうようになる。
でも運命は残酷だった。
実は二人は生き別れの兄妹だったんだ。
周囲から引き裂かれ、運命に翻弄されながら、耐え忍ぶヒロイン……。
いつしか、俺は夢中になっていた。
最後のシーンで、死を覚悟したヒロインのもとに彼が飛び込んできて命が助かり、さらに彼とは血が繋がってないことがわかったときには、思わず目が潤んでしまった。
よかった。ヒロインが助かって、幸せになって。
「もらい泣きした……」
鼻をぐすぐすさせて、もう一度最初からぱらぱらめくってみた。
もしかすると、あらすじとしては、ありがちなメロドラマなのかもしれない。
だけど、物語全体に四方田くんの温かさがにじんで、読みながら素直な気持ちでヒロインを応援できた。ヒロインの感情が盛りあがる場面では、俺も一緒に泣いてしまった。
四方田くん自身もヒロインにかなりの思い入れがあるのかもしれない。
――力を入れたら壊れてしまう砂糖菓子みたいな、華奢なくちびるのまるみ。
とか、
――話し始める前に、本当に声を出しても迷惑にならないか、一瞬たしかめるような、控えめで遠慮がちな話し方。
とか。
そんなヒロインの、ちょっと小動物めいたかわいらしさとか、可憐な優しさの描写には、ずいぶん力が入ってる気がした。
これほど泣ける話を書くことができるなんて、四方田くん、絶対すごい才能がある。
俺、ファンになろう。応援するんだ。
俺はベッドサイドにそっと本を置くと、枕に頭を沈めた。
頭の中でいろんな場面を繰り返してみた。いちばん印象に残ったのは、クライマックス近くで二人が永遠を誓い合う場面だ。
――愛を知って、人は、本当の自分になるのかもしれない。
他にもたくさん、手に汗握るような場面があったけど、俺の頭に強くこびりついたのは、ヒロインに告げられる、この台詞だった。
(本当の自分、かあ……)
本当の俺って、何だろう。
誰かを愛したら、それほどの気持ちになれるんだろうか。
今の俺にそんな誰かはいない。
でも、じゃあ今の俺ってなんだろう。
家をちゃんと継ぎたい。守りたい。そう願ってる。
そして同時に、どれは俺の義務でもある。
「したい」と「しなきゃいけない」が混じってる。
これだって、俺としては「本当の自分」のつもりなんだけど……。
(いつか、『本当の自分』の意味がわかるのかな……それほど、好きな人ができるのかなあ、俺も……)
考えてみたけど、答えは想像もつかなかった。
今はただ、小説に触れて引き出されてきただけの思いつきなんだろう。薄っぺらで現実味がない。
誰かを本当に好きになったら、俺にも理解できるのかもしれない。
溜息をついて腕を伸ばし、枕元の読書灯をカチンと消した。
部屋の青い壁をふわりと照らしていた黄色い明かりが消えて、視界が真っ暗になる。
四方田くんの本のおかげで眠れそうだ。
明日のことを考えないように、小説のいろんな場面を頭のなかで繰り返しながら、俺は目を閉じて、肌布団に鼻先を埋めた。




