3-2 運命は藤花を濡らす
「……春花?」
ひらひらっと目の前で手が動いた。
「……ご、ごめん! ぼうっとしてた!」
俺は我に返ってぴょこんと座り直し、シャープペンシルを握り直した。
昔のことに気を取られてた。授業中なのに。
「春花、目え開けたまま寝てんのかと思ったよ」
テーブル越しの四方田くんが、腕を引っ込めながらおかしそうに目を細めていた。
「ごめん、俺そんなに……?」
「大丈夫大丈夫、いつもわりとぼ~っとしてるだろ」
「ええ……」
俺、そんなにぼんやりしてるかな。
それも異世界から転生してきたことと関係……ないか、さすがに。
は、恥ずかしい。俺はひそかに耳たぶが熱くなるのを感じた。し、しっかりしないと。
四方田くんは俺の反応には気付かなかったように(気付かれたらもっと恥ずかしいから気付かれなくてよかった)笑顔で、
「じゃあテーマ決めようぜ、テーマ」
「う、うん!」
俺は出来るだけキリッとして、手元のノートに目を落とした。
さっき先生から受けた説明は、全部書き留めてある。
今日は二人一組でレポートのテーマを決め、参考になりそうな資料を調べて借りだし、内容をレポートにまとめることになっている。明後日の授業で発表するから、それまでに完成させること。
先生からは、
「今回はミニレポートだから、あまり大きなテーマは選ばなくてもいい。身近な、『学校内で気になっていたこと』を調べてみろ」
という指示が出ていた。
俺は、うーん、とうなった。
「校内で気になることかあ……」
「なんかあるか?」
「そうだねえ……そう言えば、一階の水飲み場。ずっと壊れてるのが気になってたけど……でもこんなのレポートにならないよね……四方田くんは?」
「ああ、あれ気になるよな! 俺は、そうだなあ、気になってるのは……」
う~ん、と大げさにうなり、視線を宙に泳がせて、四方田くんはふっと動きを止めた。
その視線が俺におりる。
ん?
目が合うと、四方田くんは急にそそくさと視線をそらし、
「……や、えとさ、えーと……どうして購買部のパンはすぐになくなってしまうか、とか」
「あ、なくなっちゃうの?」
「なくなるんだよ。そうか、春花はいつも弁当だからわかんないか」
「うん」
「けど、こんなんレポートにならないよな……」
「そうだよね、調べるのには図書館の本を使わないといけないし……」
「購買部のおばちゃんに聞きに行くのがいちばん早いよな。けど本使わないでレポート書くのもな……」
「本の調べ方の練習なんだろうし……」
話し合いながら、ちょっと「あれ」って思った。
四方田くん、どうして俺がいつもお弁当って知ってるんだろう……?
でもそんなことに引っかかってる場合じゃない。周りは「ホールにかかっている謎の絵について」とか、「制服デザイナーの先生は誰か」とかどんどん決まっていく。
「それじゃあ……」
四方田くんは、なんだか遠慮がちに声を上げた。
「いま思いついたんだけどさ、修陵院の歴史とかどうだ?」
「修陵院の歴史?」
購買部のパンから百八十度変った感じだ。
「ちゃんと図書館の本を使えそうだし、いいんじゃないかな。なにか気になってたの?」
「や、気になってたってほどじゃないけど、無難だろ?」
「それはそうかも……」
早速ふたりで関係がありそうな本を集めると、四方田くんの希望で、庭の藤棚に移動した。
図書館とガーデンパーティの広場は隣り合っている。
藤棚はちょうどその中間にあって、あの日、冬志さんと俺が休んだベンチもここだ。
テーブルに本とバッグを置いて腰を下ろす。目を向けると、華やかなパーティーなんてなかったかのように、ただ緑の芝生が青々とひろがっているだけだ。
その代わりというか、連休の間に藤の花が咲き出していた。
甘い香りと淡い紫が、頭上からカーテンのようにたれこめてきて、五月の新鮮な風が気持ちいい。
あのとき抱き上げられて見上げた冬志さんの顔がふと浮かんできた。
温かい胸と、意外とたくましい腕の感触。
正直、びっくりした。
(でも……)
冬志さんは、初等部のときと変ってないのかもしれない。ずっと優しい人のままで。
(……守るって、言ってくれた)
なんだか照れる。
でも、胸がふわふわする……。
幸い、俺はここでハッと我に返ることができた。
危ない危ない。
またぼんやりしてしまうところだった。
しっかりレポートするぞ!
言い聞かせて本を開く。
それからしばらく、四方田くんと俺は、無言で集めてきた本をめくり、関係ありそうな情報を探し出してはメモしていた。あたりには、ミツバチの忙しい羽音だけが低く聞こえている。
「……なあ」
やがて、四方田くんの何気ない声が、羽音をさえぎった。俺は顔を上げた。
四方田くんの眼鏡越しの目は、面はゆげに、俺じゃなくてテーブルの上にあった。
……?
俺を呼んだんじゃなかったのかな?
「春花さ……ちょっと聞きたいことがあるんだけど……あっ、嫌なら答えなくていいんだけど」
「なに?」
あっ、やっぱり俺だった、と気が付いて首を傾げると、言いづらそうに、
「ガーデンパーティでさ……」
「あ……」
ハッとする。
そうか。ここに来たら思い出すよね。
「ガーデンパーティでさ、春花と厳原先輩、婚約したって言ってたじゃん? あれどういう……?」
「……はは……」
そうだよね。
やっぱり同級生も気になってるよね。
ほぼ全校生徒の前で婚約宣言したんだから。
正面から質問されたのは初めてだけど、横からささやき声が聞こえてくるよりは、ちゃんと釈明できるから全然ありがたい。
実はすでにちゃんとメモも作ってあるんだ。話していいこととよくないこと。家のしきたりは話していい。前世のことは話しちゃいけない。
一生懸命考えた文章を頭の中に呼び起こして、俺は咳払いした。
「……ええっと……、あれは家のしきたりなんだ」
「しきたり?」
「うん、十六才になったら婚約を決めなきゃいけなくて」
ものすごくかいつまんで「仮婿」の説明をした。
(死神の狩野さんために、女子がなるはずだったこのポジションに俺が前世の記憶を持ったまま男として転生してしまった――ってところは省略して……)
聞きながら、四方田くんの口はだんだんぽかんと大きく開いていった。
「……それで、厳原先輩が婚約者に……?」
俺はうなずいた。
「どうして厳原先輩なんだ?」
「う~んと……そうだね……、幼なじみなんだよ。だからもともと知合いだったところに、ちょうどうまく家同士の条件が合った、みたいな感じで……」
「家同士の条件……」
四方田くんは確認するように口の中でつぶやいて、
「……ということは、親御さんが決めたってこと? 春花は、厳原先輩のこと、何でもないんだ?」
「え、ええっと……『なんでもない』って?」
意外と、四方田くん食い下がってくる。
「えっとさ……その……好き、とか……厳原先輩への気持ちっつーか……」
眼鏡の奥の目が、俺をじいっとうかがっていた。
なんだろう。すごい真剣だ。圧がある。
俺はいたたまれなくなって座り直した。
「え、う~んと……最初は両親経由だったけど、冬志さんと相談したりはしたから……」
「『冬志さん』!? 名前で呼んでるんだ!?」
「えっ!? う、うん、幼なじみだし……?」
「やっぱり好きなの!?」
「ええ!?」
たじたじなりながら、俺は考え込んだ。
好き。
改めて聞かれると――どうなんだろう。
怖い、って気持ちが先に立ってきたけど……俺の冬志さんへの気持ち……かぁ。
「……嫌いじゃないけど……」
「好きってことか!?」
「うん、むしろ好き……かな……」
そうだよね。
距離を置かれて悲しかったのは、俺が冬志さんのこと好きだからだし。
怖いって気持ちはあるけど、嫌いじゃない。俺は、前と変らず冬志さんのこと好きだと思う。
四方田くんはなぜか青ざめた。
「じゃあ……結婚したい……んだ?」
「え? どうして?」
「だって好きなんだろ、あのー……恋愛対象っていうか」
「恋愛対象? まさか!」
びっくりしたあまり、俺の声は裏返ってしまった。
そんなわけない。恋愛対象なんて考えたこともなかった。
だって男性が好きになるのは女性だ。
そして女性が好きになるのは男性。
子どもの頃からそう教わってきた。そういうものだよね。
「冬志さんとは、そんなんじゃないよ」
「……好きだけど、恋愛としての『好き』じゃないってこと?」
「うん、幼なじみのお兄さんっていうか」
「……へ、へえ~……」
四方田くんのメガネの奥の目がゆっくりと輝きだす。
な、なんだろう?
「へえ……そっか、そうなんだ」
「うん……?」
「い、いや~、妙だなと思ってたんだよな! そっかそっか! 春花家くらい古い家になると、大変だなあ!」
実際大変なので、返事が思いつかなくて俺は無言で苦笑した。
まあ、そこに前世とか何とかが色々絡んできて、よけい大変になってるんだけど。
でも、これ以上突っ込まれたら、知られたくないことまでバレてしまいそうだったから、気分を変えるように集めてきた本を開いた。
「それより、時間なくなっちゃうよ」
「おう! がんばろうぜ! やる気出て来た~!」
どうしたんだろう。四方田くんは、急に嬉しそうに立ち上がった。
「俺、関係ありそうな本、もうちょっと集めてくるからさ!」
あ、うん、と返事する間もなく、四方田くんはうきうきした足取りで木のタイルの床を横切って、図書館の掃き出し窓へ消えていった。
俺はまたたきして見送った。
「……なんだろう?」
……話が面白かったのかな。
確かに、珍しい話だもんな……。
せっかくだから俺も行こう。
立ち上がってテーブルの横を抜けようとしたとき、腿がベンチに触れた。
載せてあった四方田くんのバッグが落ちる。必要なら本を数冊借りられるようにと、本を入れられるサブバッグを持参してきていたんだ。
藤の花びらや細長い葉が落ちたタイルに、バサバサッとジャージやノート、文房具入れが転がった。
「うわあ」
俺は慌てて膝をついて、荷物を拾い集めた。ジャージのほこりをはたいて、ノートの綴じ目を確かめて、いったん椅子の上に積みあげていく。
黒のバッグを持ち上げると、その下から小さな本があらわれた。転がった弾みで開いた途中のページが開いている。
「……あれ?」
違和感があったのは、本が出て来たからじゃない。
いま図書館にいるんだから、それは普通だ。
でも、その開いたページには、少女マンガのようなかわいい絵柄で、少年と少女が手を取り合うイラストが描かれていた。
「……マンガ……図書室に入ってた本かな」
何冊か入ってたのは憶えてるけど、でもレポートとは関係なさそうだ。
手に取ってみると、絵が入っているのは一ページで、隣のページにはあとは大きめのフォントで『小説の行が並んでいるようだった。
ああ、十代向けの文庫本かな?
でも今日選んでるのは、郷土史みたいな本ばっかりだ。それに、図書館の本なら分類シールなんかが貼ってあるはずだけど、ひっくり返してみたらこの本にはなかった。
じゃあ、四方田くんの本かな。
本をたたんで汚れを払う。表紙のタイトルは『運命は藤花を濡らす』。表紙もかわいい女の子の絵だった。
「春花ぁ、何冊か見つけてきたぜ!」
背後で足音がした。本を腕に抱えて寄ってきた四方田くんに、俺は急いで振り返り、文庫本の表紙を見せた。
「四方田くん、ごめん、バッグ落としちゃったんだ」
四方田くんの笑顔は、表紙を見るなり強ばった。
「それ……」
「ごめんね! 汚れたり壊れたりはしてないみたいだけど……!」
本を差し出すと、いきなり四方田くんの手が上がった。
ひったくるように文庫本を腕に抱え込む。
え?
俺はぽかんとしてしまった。
「四方田くん?」
「だ……大丈夫、気にすんな」
四方田くんの視線は泳いでいた。
怒ってるんだろうか。大事な本だったのかもしれない。
急にどきどきしてきた。俺はしょぼんと肩を落とした。
「……ごめんね」
「いいっていいって! 誰でもミスはあるし!」
なんだかすごく動揺して見えるけど……本当にいいのかな……?
よくわからなかったけど、四方田くんが笑顔のわりに必死なのが伝わってきたので、それについてはそれ以上話を引っ張らないことにした。
その間に四方田くんはバッグのなかにジャージや本を突っ込むように戻して、ほっと息をついた。
「……いや、俺もちょっと端っこに置きすぎてたからさ」
すとんとベンチに腰を落とした四方田くんの声は、落ち着きを取り戻していた。
「ほんとにごめんね……」
俺ももう一回謝って、自分の席に戻る。
四方田くんが小さな声を出した。
「春花」
「うん?」
「……あれさ……読んだ?」
「え?」
視線を送ると、四方田くんの肩の線が固くなってるのがわかった。
緊張してる?
なんでだろう。
「読んだ? 今の本」
「あ、本? ううん」
「……そ、そっか」
「落ちたときにページが開いてたから、そこだけ見えたけど、文の中身までは読んでないよ」
「そか」
「うん」
「は、春花はさ……、ああいう本……どう思う?」
まるで意を決したように四方田くんは尋ねた。
俺は気圧されてばっかりだ。
「ああいう本……? どうって?」
「その……少女小説とか。男が持ってるの、変だと思うか?」
「どうして?」
「男が読むもんじゃないって言うかさ……けっこうみんなそう言うじゃん」
「そうなの? その本、女の子向けなんだ……そっか、絵も少女マンガみたいな感じだったもんね。でも俺は特に変とは思わなかったよ」
「マジで!?」
声のトーンが一段上がった。
パッと立ち上がった四方田くんのほっぺたは赤くなって、眼鏡越しに目が大きく見開かれてキラキラしてるのがわかる。
な……なんだろ?
「う、うん……?」
「そ、そうか、そうかー、春花は変と思わないんだ」
「う、うん?」
「あのさ、あの……じゃあさ……」
四方田くんは真っ赤になったほっぺたを、面はゆげにかきながら、
「……春花、話したいことあるんだけど……今日の放課後空いてる……?」




