3-1 連休明けは憂鬱
「……ご存知? あちらのお二人、婚約してらっしゃるんですって」
そんなささやきが、ざわめきの向こうから耳に飛び込んできた。
「うかがいましたわ。しかも、学生会長と三角関係でいらっしゃるんでしょう?」
「えっ? 殿方同士なのではなくって?」
「おうちのしきたりなんですって」
「ガーデンパーティで宣言なさったのよね」
(ど……どう考えても、俺たちの話だよね……)
そうっと視線を外しつつ、俺は花壇の横をすり抜けていく。
聞こえないふり。聞こえないふり。
昇降口前には、まるい花壇を中央にした広場がある。
坂を上ってきた学生たちはにぎやかに朝の挨拶を交わしながら、花壇に沿ったロータリーを通り、大きなガラスの扉をくぐる。
学生たちの流れの向こうで、三、四人、のどかに立ち話をしているらしい先輩たちの笑顔が、こちらに向けられていた。
連休明けからずっと噂話のかっこうの的なんだ。
まあほぼ全校生が集まってる前で、婚約宣言しただから無理もないんだけど……。
でも、悪口だったらともかく、
「……やっぱり古いお家柄はちがいますわ」
「伝統と格式を感じますわよね」
「素敵ですわぁ」
――好意的な反応が来るなんて、正直、予想外だった……。
どう反応したらいいんだろうか。
陰口をたたかれなくてほっとしたような、予定と大きく違ってしまって困り果てたような……複雑な気分だ。
前世の記憶が戻って、悟った。
修陵院の学生は、良家の子弟が多いせいか、わりと価値観が一般人とズレてる。
かく言う俺も、いままでは気が付いてなかったんだけど……。
この学校で大事なのは家の格と古さ。
良い意味でも悪い意味でも、それが「常識」より優先されるんだ。
例えば、普通の学校なら「サッカー部のエース」がモテるんだろうと思う。
でも修陵院では、「家格が高い」がそれ以上に人気の要素になる。
だから、冬志さんみたいに、文武両道でかっこよくて、公平できっちりもしてるような人でも、身分が平民っていうだけでバカにされてしまったりってことも起きる。
春花家は子爵家なので、爵位としては下の方だ。
だけど家の起こりを遡れば、中世より前にさかのぼる。
そんな古い家の古いしきたりだから、俺と冬志さんの婚約も素敵、ってことになるみたいだ。
(……俺は自業自得だからしょうがないけど……冬志さんは大丈夫なのかな……)
俺をフォローしてくれるためだったのに……。
つい、はらはらしてしまう。
そんなことを思っていると、隣で冬志さんが、
「……かまうな」
「……は、はい!」
慌てて見上げた横顔はいつもどおり引き締まった無表情で、動揺のかけらもなかった。
俺たちは並んで、ツツジが満開の花壇の横を通り過ぎていた。
連休明けから、制服は冬服と夏服のあいだの「中間服」になった。
冬のあいだの暗めの紺のジャケットから、男子は白のシャツにアイボリーのベスト。女子は白のブラウスに紺のジャンパードレスで、校内はぐっと爽やかになった。
冬志さんも、心なしか、連休前より明るいような気がする。
「そんなことより、明日は大丈夫なのか」
いきなりだったけど、すぐにわかった。
お見合いの話だ。
俺たちは明日、「お見合い」をする。
もう知合いなのに。
しかも人目につかないように、あくまでたまたま、ばったり会った、というふりで。
不思議な話だけど、良家の縁談はそういうものらしい。
冬志さんのお父さんたちに会うのは何年ぶりだろう。
とにかく、この関門をクリアしないと……!
「き……緊張しますね」
思わずつぶやいてから、ハッとした。
覚悟ができてない、って怒られるかな。
横目で確認すると、冬志さんは無言だった。表情も変えなかった。
――呆れすぎて無視されたのかな……。
しょぼんと歩いていたら、不意に、独り言みたいな声が落ちてきた。
「……見合いと言っても、もう話は通っている。これで親から気に入られなくて破談ということはない。心配するな」
「そ……そうですよね……」
「どうしても不安だとしても、……俺がついている」
声は、少しひんやりとした五月の朝の空気の中では、聞き違いかと思うくらい平静だった。
俺を振り向きもしなかった。
だけど、――励ましてくれた……?
「あ、あ、ありがとうございます」
俺も小さい声しか返せなかった。
冬志さんは無言でうなずいてポーチをあがっていった。学年が違うので、靴箱の場所がちがう。ここでお別れだ。俺は急いで頭を下げた。
一人になっていつもの扉をくぐりながら、俺はほっと息をついた。
相変わらず冬志さんと離れると安堵してしまう。
でも、意味合いは全然違うんだ。
もう冬志さんのことを怖いとは思わなくなってきた。
そのかわり、一緒にいると周りの目が痛い……。
俺もいたたまれないけど、こんな役回りを頼んでしまって、俺は冬志さんにすごく辛抱させてるんじゃないだろうか。
(……とにかく、誕生日さえ過ぎれば……!)
〈はなこい〉のシナリオが終わるのは、その日だ。
問題は、〈花婿候補〉。
俺は、そっとポケットに手を差し入れた。
指先で、かさっと乾いた手ざわりをつまむ。四角にたたんだメモだ。
《花婿候補 五人くらい?
・優しい正統派王子様。
・一匹狼っぽいけど、実は心優しいツッパリ。
・ダンディな教師。
・甘えんぼ弟タイプな後輩。
・爽やか真面目くん。》
「優しい正統派王子様」の上には、今では「×」がついている。
瑞希兄さん。
まさかあんなに意外な人が犯人――じゃない、〈花婿候補〉だったなんて。
(婚約さえ決まれば大丈夫だと思ってたのに……これからも出てくるのかな)
じっと考えてみる。
だめだ、思い出せない。
記憶の通りなら、他に四人出てくるはずなんだけど……。
顔も名前もぼんやりかすんで何も思い出せない。
スチル絵を回収しないと、他の記憶も蘇らないのは、結構なハンデだなあ。
(憶えてたら、先に避けたりして、距離を置けるのに……)
もう一度溜息をついたときだ。
「春花~あ!」
明るい声が上から振ってきた。
俺は反射的にメモをポケットに戻しながら顔を上げた。
上の手すりに腕をかけて、ぶんぶん手を振っている笑顔。
運動着姿だけど、学校のえんじ色のじゃなくて、スポーティな黒いジャージだ。かっこいい。確かバスケ部のだ。
「おはよ春花!」
「四方田くん」
名前を呼んで、俺もにっこりした。
四方田くんの笑顔は、なんだか肩から力を抜かせてくれるんだ。
顔をくしゃっとさせて笑うと、眼鏡越しにかわいい雰囲気になる。
かわいいというか――四方田くんの名誉のために付け加えると、顔立ち自体は結構かっこいいほうだ。と思う。
冬志さんや瑞希兄さんみたいに、近寄りがたいくらい整ってるということはないけど、でも表情が素直で、やんちゃで元気な印象。
だから、俺なんかはずっと親しみやすい雰囲気がある。
俺が階段をのぼってゆくのを四方田くんは待ってくれていた。
「四方田くん、部活?」
「朝練は終わった! 春花を待ってたんだよっ」
四方田藤くんは、同級生で学級長だ。
中等部のころ、席が近かったのがきっかけで仲良くなった。あまり友達がいない俺にも、四方田くんはずっと何かと声をかけてくれる。
階段から廊下に出ると、駆け寄ってきた四方田くんからばん、と背中をたたかれて、反射でぴょこんと背筋を伸ばした。
「え、俺?」
「そうそう! 春花、一時間目の国語、ペアになる相手決まった?」
「あ……!」
そうだった。
考えることがありすぎてすっかり忘れてたけど、前回ペアを探しておくように先生から言われてたんだ。
今朝の国語の時間は、図書館で資料調べをしてレポートを書く、と予告されていた。
次回までにペアを見つけておくように、という指示だったけど、俺はまだ組んでくれるクラスメートを見つけてなかった。
まあ、きっと教室から移動したあとで、余ってる人と協力することになるんだろうけど……。
「マジで? じゃあ俺とやんない?」
俺たちは並んで教室に向かって歩き出した。
「四方田くんと? え、だけど……」
わざわざ俺を選ばなくても、四方田くんならコンビになりたい人がたくさんいるのでは……。
きょとんと見上げると、四方田くんは照れくさそうに、
「俺、実は学校の図書館使うの、ほぼ初めてなんだよな。春花、中等部で図書委員してたろ? 詳しそうだからさ」
「ああ……うん、俺でお役に立てるなら」
「やった! ホームルーム終わったらすぐ行こうぜ」
四方田くんはまた顔をくしゃっとさせた。
やっぱり、四方田くんがそうやって笑うと、周りが明るくなる。俺もまたにっこりしてしまった。
クラスメートのにぎやかな談笑に囲まれて、図書館の玄関をくぐる。
ひんやりした空気と、古い紙やワックス、少しかび臭い湿った匂いに包まれた。
懐かしさがこみあげてきて、鼻をくんくんさせてしまう。
図書館は、赤煉瓦に蔦が絡まった、修陵院の中でも格別古い建物だ。
百年近い時間がこの壁のなかに詰まっているせいか、空気も特別な気がする。
この空気が好きで、中等部では三年間図書委員をしてたほどだった。
でも委員どころじゃなくなって、今年は時間がかかる図書委員を選ばなかった。
だから、ずいぶん久しぶりだ。
(そう言えば……)
ふと思いだしたことがあった。
修陵院の初等部に入ってしばらくしたころだ。
古い建物は威圧感があって、俺はなかなか図書館に入ることができなかった。
そうと知った冬志さんが、図書館につきあってくれたんだ。
俺には少し大人の本に思えた、小さな活字の本を、二人でベンチに並んで読んだ。
はしごを登ってみたかった俺を冬志さんは励ましてくれた。
「大丈夫。俺がいる」
そう言って。
実際、俺が降りきるまで、冬志さんは梯子をしっかり押さえてくれた。
――いま考えてみると、図書室にある梯子には車輪と支えがついていて、ひっくり返らないように設計されている。
押さえなくても倒れたりしない。
冬志さんもわかってたはずだけど、俺を安心させるためにやってくれたんだろう。
おそるおそる、林のような本棚をのぼりながら見下ろすと、いつでも冬志さんの励ますような目が見上げてくれていた。
「大丈夫だから、薫」
冬志さんは言った。
「なにがあっても、俺が薫を守るよ」




