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2-7 フラグ? フラグ!

 俺って……かなりの馬鹿なのでは……?



 脚がぶるぶる震え出す。

 このイベントは……。

 


「……〈春の女王〉イベント……?」

「イベント? まあイベントだね」


 別の意味に解釈した瑞希兄さんは、華やかに笑った。


「僕に満場で恥をかかせたり、しないよね? かおちゃんが花を受け取ったら、異論のある者がいたら名乗り出るように呼びかける。と言っても、言葉だけなんだ。毎年いないからね。そしたら僕たちは〈春の王〉と〈春の女王〉になってみなに祝福を与えるんだよ」


 じわ、と完璧な笑顔が近づいてくる。

 俺はおもわず後ずさった。

 フラグは折れてなかったんだ。思ってたより頑丈だ。

 瑞希兄さんはほほえんで、


「仮婿は、厳原くんじゃなくてもいいんじゃないかい?」


 俺は目を見張った。

 冬志さんとの婚約を知ってる? 

 

「……どうして……」

「見当は付いてた。でなければ、今までの関係からして、急に二人で行動をともにするわけがない。もうすぐかおちゃんの十六才の誕生日だからね。その日に、跡取りとして婿を紹介する必要がある……その相手として選ばれたのが厳原くんだ。……そうだろ?」


 瑞希兄さんは俺をのぞきこんで、あくまで抑えた声音で優しく続ける。

 周囲の音が遠のいて、美しい芝生の上で瑞希兄さんの声だけが耳に響く。

 

「でも、婿が決まったという連絡は、僕たち親族へ来ていない。

 ということは、内々で話を進めてる段階だよね。 

 じゃあまだ間に合う。これはチャンスだ。仮婿として、僕を選んでほしいんだ。学生会長が〈春の女王〉として指名する相手は、学生会長の想い人だというのは修陵院の伝統だ。先におおやけにしてしまうことで、厳原くんを牽制できる。おばさんを説得する自信はあるよ」


 ひ、ひ、瞳が……笑ってない……。

 口元と目は綺麗な三日月型なのに、俺を見つめる視線はぎらぎらしていた。

 捕食者に追い詰められた動物は、こんな気持ちなんだろうか。

 こんな瑞希兄さん、見たことない。

 いつもの優しい瑞希兄さんは……?

 気が付くと、冷や汗がにじんでいた。


「む、む、無理です……俺は瑞希兄さんと結婚はできません……」

「どうして? 厳原くんとできるなら、僕とだってかまわないじゃないか。君を愛してるんだよ」

「ご、ご、ごめんなさい、俺知ってるんです……!」


 我ながら声はかき消えそうだったけど、俺は精一杯訴えた。


「瑞希兄さんは……俺を好きなわけではないですよね……?」

「おや」


 瑞希兄さんは目をまるくした。


「そんなことはないよ。かおちゃんのこと、大好きだけど?」

「春花家の跡継ぎになりたい。それだけでしょう? だったら無理に俺と結婚する必要はないんです……分家の方々に嫌な思いをさせているのなら、ちゃんと考えます。瑞希兄さんは俺となんて結婚しなくても、好きな方と結婚していただいて、その上で、何か瑞希兄さんの力を発揮してもらえるような方法を……だからこんなことはしなくていいんです」

「ふふふ」


 なぜだろう。瑞希兄さんはくすくす笑い出した。


「かおちゃんは、好かれてないという前提で考える癖があるよね。僕のことだけじゃないけれど」

「え?」

「好きな子と結婚していいのなら、やっぱり、君と結婚したいな」

「え?」

「ああ、なんてかわいいんだろう、その怯えた泣き顔。かおちゃん」


 瑞希兄さんの大きな手が俺のほおを包んだ。


 どうしよう。

 こわい。


 選択肢が頭に浮かんだ。


 ▽きっぱり断わる

 ▽花束を受け取る


 受け取るなんてありえない。

 俺の理性はそう主張している。何ならこの手も振り払うべきだ。

 でも身体が動かなかった。


「……最初は、こんなに頼りないやつが、血筋だけで僕の上に立つのか、と不快にもなったけどね。

 こんなに魅力的な泣き顔をできる子、ほかにいないよ。

 例えば、なにかの映画のヒロインみたいに、気が強くて明るいしっかり者、みたいな面白くもない子だったら、きっと好きにはならなかったろうけど……」

「み……瑞希兄さん……?」

「驚かせたら素直にびっくりして、怖いときにはこわがって、困ったなら困り顔をして……かおちゃんは本当につつきがいがある。大好きだよ、かおちゃん。ずっと君を見ていたい。結婚してほしい」


 

 その瞬間、俺は思い出したんだ。


 「ドエス」の意味を。


 ドS。

 人をいじめて楽しむタイプ、という意味の「S」の上に、丁寧に強調の「ド」までついている。

 前世の世界の俗語だ。だからすぐには思い出せなかったんだ。


 瑞希兄さんはドエス、っていうのは、こういう意味だったんだ。

 これが瑞希兄さんの本性だったんだ……!


 俺、いま……大ピンチなのでは……!?


 蛇に睨まれたカエル状態の俺に向かって、瑞希兄さんはてのひらを返したようににっこりして、声を大きくした。 


「かおちゃん、受け取って。僕が受け取ってほしいのは君しかいないんだ」


 瑞希兄さんが花輪を持ち上げる。わあっと拍手が湧く。


「いいぞいいぞー!」

「一年生~、固まってないでもらってやれよー」

「会長がここまで言ってんだ、光栄じゃないか」

「会長、かっこいいー!」


 屈託ない笑い声に包まれる。

 我に返って見回すと、みんなの期待に満ちた笑顔に取り囲まれていた。

 多分、こういうネタだと思われているんだろう。


「見てごらん、かおちゃん。みんなが楽しみに待ってるんだよ。かおちゃんに裏切れるのかい?」


 人垣の中に、同じクラスの女の子たちもいるのが見えた。今日のために用意したのか、おそろいn真っ白なワンピースに身を包んで、くすくす笑いながらなにか囁き合っている。

 男子の先輩たちのグループは大爆笑して手拍子している。

 カメラを手にしている先生たちもいる。


 善意の眼差しが、重い……!


「かおちゃんが〈春の女王〉を断わったりしたら、どんなにみんな盛り下がるだろうなあ……僕だって、さぞかし文句を言われてしまうんだろうなあ……」

「え……」


 ぽん、と肩をたたかれる。

 目の前がぐるぐるしてくる。

 もし断わったら――俺のせいで、みんなが楽しみにしてきたガーデンパーティはダメになっちゃうんだろうか。

 俺と同じように、ガーデンパーティを待ちかねていた一年生もいる。

 せっかくの初めてのパーティが、俺なんかのせいで台無しになったりしたら……。


(……今だけ、受け取っておいたらどうかなあ……)


 頭の中で、「理性」のうしろからぴょこっと顔を出した、「弱気」がささやいた。


(みんな冗談だと思ってるみたいだし……。花輪を受け取って、場をやり過ごせるなら……。仮婿のことはあとで改めてお断りすれば……)


 ――それで……まるくおさまるなら……!


 手がぶるぶる震えている。押されるように、俺はゆっくりと腕を持ち上げた。

 瑞希兄さんがにっこりと微笑んで、改めて花輪を掲げた。


 あと二十センチ。


 十センチ……。


 


「待て」


 人垣の向こうから決然とした声が飛んだ。


 途端に、頭の中のもやがスッと引いた。反射的に俺は、伸ばしていた指を引いた。

 俺、いったい何を……?


(危なかった……!)


 学生の垣根が割れて、冬志さんの長身が歩み出てくるところだった。

 切れ長のまなざしが、揺るぎもしないでこちらに向いている。


 うわあ。

 怒ってる。


 春が一瞬にして吹雪へ塗り替えられるような、不機嫌そのものの顔だ。

 眉間のしわがいつもより多い。

 目を離したすきにトラブルに巻き込まれてる俺を見て、うんざりしてるに違いない。


 前門の虎。後門の狼。

 できたら気を失いたい。


 冬志さんはまっすぐに芝生を横切ってきた。

 二の腕を強く引かれ、よろけたところを、冬志さんがかばうように前に立つ。


 え……?


「異論がある者を募るはずだな。俺に異論がある」


 わっ、と人垣から声が上がる。


 俺は呆然と冬志さんの背中を見上げていた。

 ……かばってくれてる……?


 瑞希兄さんと冬志さんは、はったと視線を交わした。

 にらみあう二人は、冬と春の対決みたいだった。


「こいつを〈春の女王〉としては認めない」

「理由は?」


 悠然と瑞希兄さんが問い返す。

 言葉の最後の響きを、鋼のように強い冬志さんの声がピシリとさえぎる。


「厳原家と春花家のとりきめで、俺と春花薫は婚約したからだ」


 水を打ったような沈黙のあと、どよめきが波のように盛りあがった。


「えっ?」

「これ、冗談じゃないの?」


 俺だって血の気が引いた。


「冬志さん……!?」


 人に知られたらよくない。だって俺の計画では、すべてがうまくいったところで破談に持ち込まなければいけないからだ。

 何もなかったことにして、俺も冬志さんも自由になる。

 だけど人に話しちゃったら、何もなかったことにならないじゃないか……!

 俺は冬志さんの袖を後ろからつかんだ。


「だめです、それは……言わない方が……!」

「結婚すれば嫌でも知れる」


 冬志さんは傲然と言い放った。


「ですが……!」

「隠したい理由でもあるのか」

「そ、そういうわけでは……ないですけど……」


 口ごもったとき、瑞希兄さんが一歩前に出た。


「その約束は、家同士のものだね。春花家のしきたりによる、愛のない婚約だ。見ていればわかるよ、君のことをかおちゃんは怖がっているってことが」


 今度は冬志さんの横顔が無表情に固まった。

 瑞希兄さんは心配そうに眉尻を下げて両腕を大きく広げ、


「僕は気がかりなんだ。

 もう、家のしきたりで無理矢理結婚させられるような時代じゃない。

 そうだろう? 愛する人と幸せに結ばれていいんだ。僕は、僕の大切なかおちゃんにそんな結婚をしてほしい。

 〈春の女王〉なんて、多少強引なまねをしてしまったのは悔やんでるけど……僕の不安はそういうことなんだ。かおちゃん、自分のために自分の結婚を考えてくれ。誰かに家名を利用されるのではなく。

 そして厳原くんにもお願いしたい。かおちゃんの幸せをちゃんと考えてくれ。かおちゃんの意志を考えずに、強引に話を進めるのではなく……」

 

 ……すごい。


 あっという間に瑞希兄さんは、従兄弟の身の上を心配する優しいお兄さんになってしまった。

 かわりに冬志さんが悪役だ。

 わけがわからない、という顔で見守っていた学生のあいだから、ぼつぼつと声が上がり始めた。


「……しきたりで結婚っていうのは、おかしいですわよね」

「そうだよな」


 俺はもう一度ふるえあがった。

 人心を読み、あやつるのに長けている、さすがドSというところだろうか。


 冬志さんは眉をひそめて黙り込んでいる。

 痛いところを突かれた、という表情に見えるけど……いや、そんなわけないよね。

 むしろ、本当は縁談なんて嫌だった冬志さんに対して、俺のほうが頼み込んで婚約してもらったんだから。

 

(きっとうんざりしてるんだ……せっかくフォローしようとしてくれたのに、こんなこと言われて)


 実際これが〈はなこい〉本編で、瑞希兄さんルートなら、瑞希兄さんが正しいんだ。

 冬志さんは、家の約束を盾にとって、ヒロインに結婚を強いているんだし、瑞希兄さんはヒロインを救おうとしている。


 でも、今はそうじゃない。


 冬志さんは俺が巻き込んでしまったのに。

 絶対に、こんなところで冬志さんを悪役になんて、させたくない……!


 背筋にすうっと芯が通るような感覚があった。

 俺は一歩前に出た。


「瑞希兄さん」


 俺の声が、他人の声みたいにきっぱりと通っていく。


「それは違います。冬志さんはそんな人じゃありません。お願いしたのは俺なんです」


 瑞希兄さんが絶句する。


「冬志さんのことを、そんな風に言わないでください」


 言い終える前に、ふわっと身体のバランスが崩れた。

 あっと思ったときには俺は、――冬志さんに横抱きに抱き上げられていた。


 いわゆる、お姫様抱っこ。

 または、お嫁さん抱っこ。


 目の前に、ウソのようにととのった冬志さんの顔があった。


「言い争いはもう結構。薫はいただいていく」


 冬志さんは冷たく宣言すると、人混みをかき分けるように歩き出した。


 刹那、しんと静まりかえった後で――大喝采、歓声、拍手が青空に響いた。

 

「素敵!」

「いいぞいいぞ、お幸せにー!」


 そんななか、瑞希兄さんの声が聞こえた。


「かおちゃん!」


 俺は肩越しに振り返り、申し訳ない気持ちを込めて目礼した。

 ごめんなさい瑞希兄さん。

 でも俺は何とかしてフラグを折りたい。

 思わず合掌して「ごめんなさいごめんなさい」と念じている間に、人垣と声も遠ざかった。


「……もういいですよ、冬志さん」


 おそるおそる申し出る。

 下から見ると、冬志さんの顔は、何だか機嫌よさそうだ。さっきまで怒ってたのに?


「冬志さん?」

「思い出していた」

「え?」

「初めて会ったときのことだ」


 俺は運ばれながら瞬きした。

 初対面の日、雨が降る薄暗い昇降口と雨の匂いが脳裏に浮かぶ。


「あのときもそうだった。

 自分の傘を勝手に持って行かれても黙って見送っていたくせに、俺が反撃されたら慌てて駆け寄ってきた。おまえは自分のことは我慢するが、他人に及びそうになると……」


 冬志さんはそこで言葉を切った。顔を背けてしまう。


 ……あれ?


 俺は少しびっくりして、冬志さんを見上げていた。


 もしかして、冬志さん……笑ってる……?


 藤棚の近くまで戻ると、冬志さんは俺をストンと下ろした。


「今日はもう帰ろう。帽子が置きっぱなしだったぞ」

「……すみません……せっかく案内して下さってたのに」


 俺は頭を下げた。

 思えばほんとに情けない……。


「……手を取ろうとしてたな」


 でも、冬志さんは、意外と穏やかだった。


「……あいつに恋愛感情があるのか」

「いえ……」

「婚約者は、誰でもいいのか」

「そんなことは……」

「……だったら」


 冬志さんの声には、打つような鋭さがあった。


「俺に決めろ。迷うな」

「は……はい……!」


 俺は背筋を伸ばしてうなずいた。


 恥ずかしい。耳が熱い。


 俺が頼んでおいて、俺がゆらゆらしてちゃ、ダメじゃないか。

 結局なにから何まで冬志さんに助けてもらってる。


 ちゃんと俺自身が強くなりたい。


 でなきゃこれから先、ひとりでフラグを折っていくこともできない。

 意外と頑丈だってことは、瑞希兄さんの件でよくわかった。


 今回は冬志さんが助けてくれたけど――いつもそんなふうに冬志さんに頼っちゃいけない。 



「帰るぞ」

「はい!」


 俺たちは藤棚に放置していたポーラーハットを回収し、にぎわうガーデンパーティをあとにした。



 冬志さんって、不思議だ。


 嫌いな俺に対しても、優しくて、誠実に当たってくれる。

 さっきみたいにフォローに来てくれて、連れ出してくれたりして。


 瑞希兄さんは、本当はけっこう怖い人だった。

 

 何だか逆だ。


 冬志さんは、冷たく見えるけど――実はすごく優しい人なのかもしれない。


 昔のまま。

 何も、変っていないのかもしれない……。


 そんなことを思いながら下ってゆく修陵院の坂から見下ろす街は、気持ちよく晴れ渡っていた。

 さっきの騒動で、まだちょっとどきどきしてる。他人にあんなふうに言い返すなんて、何年ぶりだろう。すぐに瑞希兄さんのことが心配になってくるけど、今は考えるのはやめておこう。


 まだ俺の前には、山のように問題が積み上がっているんだから。


 他の花婿候補は、今どこでなにをしているのか。

 また出会ってしまうのか。

 今度こそフラグは折れたのか……。


 いつのまにか俺と蓮志さんは、並んで歩いていた。

 四月からずっと続いていた三歩の距離は、どこかに消えていた。









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