お兄様と亥人の里。
よろしくお願いします。
ヨルズに手を引かれ橋を渡りきると、桟道が二手に分かれていた。
滝の方へと続く道と、来た方向へ戻り亥人達の里へと続く道だ。
滝への道はさらにその先で分岐しているようだ。
あの滝をもっと近くで見たいとも思うが、今向かうべきはそちらではない。
フラウスに待たせたことを謝罪すると、畏まり慌てて首を振っていた。
彼を先頭に緩やかな坂道となった桟道をしばらく進む。
すると先程の建物が見えてくる。
崖の大穴からせり出すように壁が作られているためだ。
だが桟道はその建物に直接向かうのでは無く、途中で途切れている。
その先は崖に食い込むように作られた素掘りの洞窟へと続いている。
だが洞窟の中へ入った途端、先頭のフラウスが立ち止まる。
「どうした?」
理由が分からず尋ねると、ビクッと肩を驚かせこちらを振り返る。
「にっ臭い、血の臭いがする」
フラウスは何度か鼻で洞窟の空気を吸い込み、かすれた声で答える。
俺も深く呼吸してみるが、違和感は感じなかった。
ノートを振り返ると、顔を横に振った。
・・・亥人ならば感じ取れるという事なのだろう。
「異常事態という事だな。フラウス、里に守備兵は居るのか?」
呆然としているフラウスの腰を叩き問いかける。
「このさきに」
そう口早に言うと、彼は弾かれた様に真っ暗な洞窟内へ駆け出す。
「待て・・・ノート」
静止の声が聞こえていない様なので、ノートに任せる。
すると、彼の消えた洞窟内からドザァッと言う何かが倒れる音と悲鳴が聞こえてくる。
俺は自前で光の魔法を発動すると、すぐ近くに倒れているフラウスが見える。
ノートに教わった魔法だが、彼女ほど習熟していないため光量が遥かに劣る。
ひとつの光の玉では薄暗いと感じてしまう程だ。
それでも自分の状況が理解できずに混乱している者を落ち着かせる助けにはなる。
「落ち着け、フラウス」
そう語り掛け必死に暴れようとしているフラウスの顔の前に屈みこみ視線を合わせる。
彼の手足には、洞窟の床から湧き出した黒い大蛇の様な闇が絡みつき拘束している。
「落ち着け、もがくのを止めれば魔法は解ける。今慌てて里へ突入するのは危険だ。まずは状況の確認が先だ。分かるな?」
フラウスは手足から力を抜き何度も頷く。
「よし、ならば進むぞ。ここから先は俺が指示を出す。いいな?」
フラウスが深く頷いたのを確認してから、ノートを見る。
すると彼の四肢に絡みついていた大蛇は地面に溶ける様に消える。
「手荒な真似をして悪かったな。ここからは物音を立てない様に慎重に進むぞ。心配するな、出来る限り里に居る者達を助ける」
おずおずと立ち上がるフラウスに、努めて優し気に声をかける。
・・・だが内心ではさてどうするかと思案していた。
もし亥人の里が襲われていた場合、相手を偵察する必要がある。
勝ち目がない様な相手なら、気付かれずに逃げ出すためだ。
当然だが、その場合は亥人の民は見捨てる。
最悪はすでにポンティノの村人が里に到着していて間に合わなかった場合だ・・・。
だがまだフラウスの勘違いの可能性も無いわけではない。
もしそうなら、慌てて接近しては里の兵士に余計な警戒をさせてしまうかも知れない。
表向きは交渉の名目で来ているのだ、下手に刺激しては友好的な関係を築きにくくなる。
「ノート潜んで先行し里の状況を確認して欲しい。もし人命にかかわる場合は救助を優先してくれ」
彼女は頷くと洞窟の地面に溶けるように消える。
ノートの居た地面を見つめて目を見開いているフラウスを軽く小突いて意識を向けさせる。
「フラウス、里がどの様な状況なのかはまだ分からないが、里の者に出会ったら、事情の説明を任せていいな?」
まだ呆然としている様だが、カクカクと頷いた。
「ヨルズ、里の者が礼を失しても決して攻撃するなよ」
「わかってるよーだ」
ヨルズは自分だけ注意されたのが気に入らないのか不機嫌そうに答えて舌を出す。
フラウスを先頭に3人で洞窟の中をしばらく進むと出口が見えてくる。
そしていつの間にか洞窟の材質が変わっていた。
床や壁が土ではなく石になっている。
先ほどのドワーフの洞窟の様に技巧が凝らされている訳では無い。
素掘りの洞窟なのは相変わらずだが、ここを掘るのは容易ではないだろう。
そしてたどり着いた出口にも太い木の格子が降りていて、中への侵入を拒んでいる。
格子の向こうには少し開けた空間が広がっているが、その先は落ち込んでいるのか伺うことが出来ない。
そしてその広場には小屋が一軒建っている。
「フラウス、ここが入り口なのだろう?守る兵はいないのか?」
「いっいつもは、あの、あそこに二人交代で立ってる」
フラウスは小屋の前を指さすが、人影は無い。
数度フラウスが呼び掛けてみるが小屋からの反応も無かった。
「居ないな。この格子を上げる方法は?」
地面の所に砂が入れられた穴があるため、落とし格子なのはすぐに分かったが、中々しっかりした作りで三人では持ち上げられそうに無い。
「えっと、その、その中に穴人が作った、まっ巻き上げ機・・・」
「ヨルズ、頼めるか」
「はーい」
先ほどまで不機嫌そうにしていたが、未知への探検が楽しいのか軽い返事が返ってくる。
俺は頷き、格子に背を向けて簡単な魔法陣を展開する。
『光』
俺の目の前に光源が生まれ俺の影がくっきりと浮かび上がり、格子を通り抜ける。
こちらも光を生み出す魔法だが、ノートの魔法とは違い王国仕込みだ。
熟練度に関係なくかなり強い光源を生み出せる代わりに、詠唱が必要だし持続時間が短い。
ヨルズは俺の足元の影の中に吸い込まれるように消えると、格子の向こう側の影が地面から這い出す様に盛り上がり、ヨルズの姿となる。
ヨルズは他のダークエルフ達ほど闇の魔法に習熟していないらしく、まだ一つの影の中を移動する事しか出来ない。
そのため俺が影を作って簡単な補助をしたのだ。
だが隣に居たフラウスは状況が理解できないのか、驚いた顔で何か聞きたそうだ。
しかし彼が口を開く前に木の格子はガゴンッガゴンッと上がり始める。
無意味にこちらの手の内を明かすつもりは無いので、滑り込む様に格子の下をくぐる。
フラウスはまだ通れないが、小柄な俺なら問題は無い。そのまま巻き上げ機の小屋に駆け入る。
恐らく亥人達が作ったらしい木造の小屋の中は予想外の状況になっていた。
外からは分からなかったが、入り口の反対側の壁が破壊され、槍に貫かれた数体の亥人の骸が晒されている。
さらに巻き上げ機は破壊されており、ヨルズが直接巻き上げ機の革製の綱を引っ張って格子を上げていた。
『身体強化』
俺も急いで魔法を使い、綱を引くのを手伝う。
巻き上げ機は少ない力で落とし格子を引き上げるために取り付けられていた物だ。
それを直接人力で引くとなれば、当然倍以上の力が必要になる。
ヨルズの後ろから、何かの特殊な皮を複雑に編んだ綱を引っ張ると、「身体強化」の魔法を使っていてもずっしりとした抵抗を感じる。
おそらくヨルズも何かしらの魔法で強化しているんだろう。
そうで無ければとても引く事など出来ないはずだ。
王国由来の強化系の魔法はその発動の瞬間を見逃すと、どのような効果が付与されているのかを判断する事は出来ない。(魔力を感じ取れるダークエルフ達がどう見えているのかは分からないが)
しかしダークエルフ達の魔法はいつ発動したのか分からないモノが多く、どの様な強化をしているのか判断するのは難しい。
「ヨルズ、フラウスが通った。ゆっくりと降ろすぞ。周囲の状況が分からない中で大きな音を出したくない」
フラウスが小屋に入って来たのを確認し、ヨルズにそう声をかける。
ヨルズは返事こそしなかったが、じりじりと前に進み格子を降ろしていく。
無事降ろし終え、格子の綱から解放された時には、手が自然と震えてしまうほど疲労してしまった。
魔法で強化していたとはいえ、人間の数倍は力の強い亥人達が使っていた落とし格子だ。
正直、俺一人では動かす事が出来なかっただろう。
相棒のヨルズはホコリでも落とす様に軽く手を叩いている。
「大丈夫か?」
二人でも重かったのだ、最初に一人動かしていたヨルズが心配になった。
「うん、平気だよ?何が?」
不思議そうに小首を傾げこちらを振り向くヨルズ。
「いや、平気ならばいい」
ヨルズの額にはうっすらと汗は滲んでいるが、そこまで疲労した様子は無い。
杞憂だったか、と思いながらも今後ヨルズと戦う時には、その力により警戒する必要があると、心に刻む。
小屋の入り口を見ればフラウスが突っ立ったまま呆然としている。
「フラウス、感じた臭いと言うのはこの遺体のモノだろう?」
俺はそう声をかけながら亥人の骸を調べる。
「おそらく何者かに襲撃されて・・・どうした?降ろすのを手伝え」
いまだに動かないフラウスに強めの口調で声をかける。
すると、フラウスは弾かれたように跳び上がり、慌ててこちらに駆け寄る。
小屋の外壁に太い槍で縫い止められたそれらは、まるで昆虫標本のようだった。
流石にこの状態では身長のたりない俺だけで降ろすのは難しい。
ちなみにヨルズは俺の意図に気付いたのかいつの間にか小屋から出て行った。
少し時間はかかったが遺体を全てを降ろし、傷の状態などを詳しく調べていく。
死後ある程度時間が経っている事は間違いないだろう。
ただし、人間とは血液量やらなんやら違いも多いため絶対の話ではない。
せいぜい血の固まり具合や腐敗の度合いから予想する程度だ。
「ここから逃げ出す事を防ぐために巻き上げ機を破壊したんだろう・・・より恐怖を煽るためにさらし者にしたのかも知れないな」
遺体をワザと里へと続く道の方へ向けたのは、里から逃げてきた者達の動揺を誘うためだろう。
どんな生き物だって同族の死体があれば警戒するモノだ。
「フラウスここには・・・なんだ?」
まるで化け物でも見るかのような視線を向けてくるフラウス。
小刻みに首を振る。
もしかすると、亥人には同族の死体を調べる習慣が無いのか?
俺は赤く染まった両腕に気付きその事に思い至る。
今後は気を付ける必要があるかもな・・・。
「ここにはもう侵略者は居ない様だ、周囲も静かだしな。ここから里までどのくらいの距離がある?」
俺は水筒の水を操り、腕の汚れを落としながら訊ねる。
「えっ、えっと、こ、こっち」
フラウスはようやくと言った感じでそれだけ答えると小屋の外に出ていく。
赤くなった球体から魔法を解き、彼の後を追う。
外に出ると、足場が途切れる落ち込んだ場所で手招きしていた。
ヨルズはすでに身を乗り出すようにして、そこから下を覗き込んでいる。
今さらかも知れないが高い場所が怖いという事を悟られない様、努めて平静を装いながら下へと視線を移す。
その場所の眼下には、里と言うよりも街と言っていい規模の家屋がどこまでも広がっていた。
外から見た時には口に例えたが、正しく巨大な洞窟内は口の様な形をしていた。
崖に面して空いた洞窟の亀裂から光が差し込み、そこには歯の様な建物が立ち並ぶ。
さらに空洞の底部分、口で言う舌に当たる部分には数百近い建物がひしめく様に建てられている。
そのどれにも屋根が存在しないのは、鳥人の名残か、洞窟内であるために雨の心配がないからだろう。
そして俺達が今居る場所は口で言う頬の上の辺りだ。
亀裂から差し込む光という限られた光源しか無いため、里の全貌を見通す事は出来ないが、確認できるだけでも1000近い家屋があるのではないだろうか。
・・・亥人の戦力を侮っていたか・・・それが俺が亥人の里を目の当たりにして最初に考えた事だ。
読んで頂きありがとうございます。




