第四景「夕立の部屋」
第一幕「雨の東京で」
第四景「夕立の部屋」
「今、帰りですか?」
退社直後、悠吾は会社の玄関で未来に呼び止められた。
「ああ、うん。大空さんも、今帰り?」
「はい」
「……」
少しの沈黙の間、悠吾と未来は並んで歩いた。
湿気を含んだ空気が、二人の間にあった。
「……大空さん、もしかして、帰りこっち?」
「あ、はい。私今、三軒茶屋に住んでて」
「近いな。俺はもうちょっとその先。世田谷線で」
「そうなんですね。何か、ちょっと嬉しいかも……」
素直にそう言う未来の横顔を、悠吾は横目で見ていた。
——何が、嬉しいんだろう。
少しだけ、声に出そうになったが、呑み込んだ。
駅に着く頃には、蒸し暑い空気の中に冷たい風が吹きだしていた。
-☂️-
二人は、電車のドアの近くに並んでいた。
外はいつの間にか暗くなっていた。
窓ガラスを、雫が当たり始めた。
ポツポツと降るそれは、少しずつ多くなり、ついには叩きつけるような大雨になっていた。
「凄いな……。外の景色がまるで見えない」
ふと隣の未来を見ると、落ち着かない表情をしていた。
「……私、今日傘持ってきてなくて。家も駅から遠くて……」
やがて、電車が三軒茶屋のホームに着いた。
ホーム下に、雨が止めどなく流れ込んでいる。
未来はドアの前で躊躇していた。
それを見て、悠吾は悩んだ末に言った。
「……俺んち、もう少し先なんだけど、雨止むまで待ってみる?」
言ってすぐに悠吾は付け足す。
「駅からも、歩いてすぐ、だから……」
「……え」
未来が少しだけ目を丸くする。
「あ、いや。決してそんな変な意味じゃなくて……」
「え、いえ。でも、ご迷惑じゃないですか?」
未来の言葉を他所に、開いたドアの外から激しく雨が吹き込みだしていた。
-☂️-
「ごめん、ちょっと散らかってる、けど……」
悠吾は申し訳なさそうに言う。
「……お邪魔します」
そう言って、未来はおずおずと部屋に入ってくる。
「濡れたところ、これで拭いていいから」
悠吾はタオルを未来に渡す。
他人を家に上げるのは久しぶりだ。
シンプルなモノトーンの机や床に、文庫本が散らばったままになっている。
部屋の中の一番大きな書棚にも、沢山の雑誌が詰め込まれている。
未来の目には、どんな風に映っているのか。
悠吾は妙な気恥ずかしさを感じていた。
「悪い、うち今コーヒーしかなくて……」
キッチンの棚の中を見て、悠吾は謝った。
「いえ、お構いなく——」
その瞬間、窓の外が強く光った。
「——きゃっ!」
小さな悲鳴と共に、部屋の中が暗闇に包まれた。
遅れてやってくる轟音。
外は、激しい雷雨になっていた。
「大丈夫か?」
「は、はい。ちょっとびっくりしただけです」
狭い空間の中、悠吾は未来の姿を探った。
未来の声だけが妙に近くて、悠吾はどこか落ち着かなかった。
「少し待ってれば、元に戻るだろう」
そう言って、悠吾は小さなソファの側の床に座った。
未来も、その隣に座った。
淡く、ほんの少し甘いフレグランスが香ってきた。
「本沢山持ってるんですね。……以前から、好きなんですか?」
隣に座ってるはずなのに、未来の表情が見えない。
「そうだな。高校の時ぐらいからハマって……」
言いながら、隣にいるであろう未来の方を見る。
「大空さんは? 何か、趣味あるの……?」
今度は悠吾が未来に聞く。
「私も……昔……」
一瞬、雷鳴と共に部屋の中が白く光った。
未来の表情が、その時だけ写真のように焼き付いた。
どこか、淋しげで、遠くを見てた。
悠吾は息を呑んだ。
ふっと、部屋の明かりが戻った。
あれだけ降っていた雨が、いつの間にか止んでいた。
「点いた……」
悠吾は天井の電灯を見てポツリと言った。
-☂️-
路面電車の踏切の警報音が、静かな夜に響く。
悠吾は、自宅の最寄りの駅まで、未来を送った。
「今日は、本当にありがとうございました」
未来は丁寧にお辞儀をする。
「……じゃあ、また明日」
片手を上げて、その背中が見えなくなるまで、悠吾は見届けた。
自宅に戻ると、悠吾は、一息吐いて部屋のソファにもたれた。
さっきまで彼女が座っていた位置を、目で追う。
部屋に、フレグランスの香りが仄かに残っていた。




