第一景「雨の声」
第一幕「雨の東京で」
第一景「雨の声」
オフィスの窓の外を見ると、ビル街を静かに雨が包んでいる。
雨雲の隙間から、わずかに陽の光が溢れている。
雨宮悠吾の眼鏡には、その昼下がりの外の淡い光が映っていた。
窓を伝う雫は、止まりかけては滑り落ち、静かに下へと降りていく。
悠吾はその動きを目で追っていた。
フロア内の雑多な音に紛れるように、ポツポツと雨音が聞こえてくる。
緊張を紛らわせるよう、悠吾はその音にわざと集中していた。
「雨宮さんって、……雨の日は何してるんですか?」
隣に座っている大空未来が、突然話しかけてきた。
悠吾は慌てて振り返った。
彼女の真っ直ぐな視線が飛び込んできた。
雨の音が一瞬遠のいた。
彼女の教育係になってほんの数日。
まだ仕事上の会話しかしてきていなかった。
だから、彼女からの質問が想定外だったのもあって、返答に遅れた。
「え…ああ、そうだな。……好きな本を読んでる、かな」
悠吾は少ししどろもどろに答えた。
「そうなんですね。……静かな時間、お好きなんですね」
そう言いながら、彼女は目を伏せて、穏やかに笑う。
何でそんなことを聞いてきたんだろう?
悠吾は少し不思議に思いながら、その表情を見ていた。
「……次は、この資料に目を通しておいてくれる?」
そう言って、悠吾は未来にクリアファイルを渡す。
「分かりました」
未来の白く細い手がそれを受け取っていくのを、悠吾はなんとなく見届けた。
-☂️-
彼女を初めて見たのは、春だった。
「皆、前に出てきてくれ」
課長の声が、オフィスルーム内に広がった。
4月。いつもの朝礼と違い、少し皆が浮足立っていた。
穏やかに晴れた春の日差しが、室内を照らす。
「本日からうちの課に入ってもらう、新入社員の大空未来さんだ」
「大空未来です。よろしくお願いします」
集められた社員の前に、一人女性が立っていた。
悠吾は、列の後ろの方からその様子を見ていた。
長く緩やかな黒髪に細身の身体、真新しい白いスーツ姿。
その姿は、どこか儚げで、繊細だった。
彼女は自己紹介を終えると、一礼をして顔を上げる。
緊張した面持ちで、視線が泳いだ。
彼女の淡い瞳が、悠吾の視線と絡んで、ほんのわずかな間留まった。
悠吾が瞬きをした次の瞬間、その視線はすでに離れていた。
-☂️-
最寄りの駅を降りると、雨はまだ降っていた。
路面電車の遮断機が上がり、悠吾は歩き出す。
夜の商店街に、雨が傘を叩く音が響く。
6月の空は、夜でもまだ、少しだけ明るく見えた。
帰り際、悠吾はいつもの本屋の前で立ち止まった。
本屋の明かりが悠吾の顔を照らす。
通り過ぎようとして、やっぱり引き返す。
そうだな、今日も家で本でも読もう。
新刊を一冊買って、大事に鞄にしまう。
さらさらと降り続ける雨の中、悠吾は足早に帰路についた。
-☂️-
自室に戻ると、悠吾は買ってきた本を鞄から取り出した。
机に向かい、ゆっくりと読み始める。
悠吾の眼鏡が、机の上の蛍光灯の光を淡く映していた。
ページを捲っていたその手が、いつの間にか止まった。
—静かな時間、お好きなんですね—
何故か、昼間の彼女の声を思い出した。
外の雨の音が、戻ってきた。
部屋の窓を、相変わらずポツポツと叩く音が聞こえる。
その静かな音が、どこか彼女の声のようで、悠吾はしばらくその音を聞いていた。
手の中の本はいつの間にか閉じられていた。




