第十三景「書架の奥」
第三幕「熱に滲む夏」
※本景にはR15相当の表現が含まれています。
第十三景「書架の奥」
梅雨が明け、一段と蒸し暑さが強くなった午後。
悠吾は自社の会議室で、一人打ち合わせの準備を進めていた。
書類をテーブルに並べていく。
空調が少し弱めだろうか、額に滲んだ汗をハンカチで拭う。
—なんで、そんな言い方するんですか—
手に持ったハンカチを見てから、ぎゅっと握りしめる。
後悔ばかりが思い出され、悠吾は奥歯を噛み締めた。
「やあ、雨宮くん」
声に驚いて、悠吾は振り返る。
会議室の入口のドアに零が立っていた。
腕を組んで、ドアに寄りかかっている。
悠吾は零のその態度に小さな苛立ちを覚えた。
「神城さん、随分早いですね。まだ、時間までありますよ」
「失礼のないようにと思ってね」
相変わらず、笑顔だけは爽やかだった。
「すみません、まだ準備中なので」
そう言って悠吾は、ドアの側に立つ零の脇をすり抜けていった。
通り過ぎる瞬間、冷たい視線を強く感じた。
-☂️-
悠吾は資料室のドアを開けた。
部屋は暗かったが、カーテン越しに外の日差しの暑さを感じる。
資料や備品が並んだ書棚が幾列も並んでいるのが見える。
部屋の電気を点けてみる。
弱々しい光が書架を照らす。
閉じたカーテンのせいか、まだ薄暗く感じる。
書架の奥へと進む。
打ち合わせに使う予定の製本ファイルを書棚から探す。
確か、この奥の方にあったはず……。
突然、資料室の入口のドアが開いた。
零が入ってきた。
「零さん、用って何ですか……?」
神城と、——大空さん?
悠吾は、思わず書棚の影に身を隠してしまった。
「すまない、二人きりで話をしたくてね」
言うやいなや、零は自身の両腕で、未来を入口の扉に縫い付けるように押さえて向かい合う。
「ち、ちょっと、零さん?!」
未来は目を見開いて固まる。
「教えてくれないか」
零の低い声が聞こえた。
「君は…今、雨宮くんが好きなのか?」
悠吾の胸が跳ねた。
自分の名前を出されたのと、それを未来に聞いたということに、驚きを隠せなかった。
「そんなの、零さんには——」
「関係なく、ないよ。俺は、今でも君を愛してる」
零の言葉に、未来は息を呑んだ。
零は、まっすぐに未来を見る。
未来はそのグレーの瞳から、目を背けられなかった。
「君は、忘れてしまった?」
そう言ってから、零は未来の唇にキスをした。
「——!」
悠吾は思わず目を背けた。
-☂️-
零は少し強引に未来の顔を持ち上げる。
なのに、繰り返される口づけは、優しく甘かった。
「まっ…。あ、零さ…」
未来の声が漏れる。
その声は、いつもの未来の声と違って、甘く濡れていた。
零の胸に当てていた未来の手の力が抜けていく。
資料室に、二人が交わす水音が響く。
時折漏れる未来の吐息が、熱を帯びていた。
零は、未来を解放すると、ささやくように耳元で言う。
「ほら、忘れてない」
未来は、目を見張った。
それから零を睨んで言った。
「でも、私、今は……!」
「——俺が、忘れさせない」
遮るように零のグレーの瞳が、未来の潤んだ瞳を絡めとる。
そのまま、未来の首筋に唇を這わせる。
「——!」
未来の噛んだ唇が震える。
零は未来の襟の際に、そっと、確かに、紅い印を残した。
「……零、さん」
未来は、もう何も言えなくなっていた。
零は、未来から離れると、奥の書棚に視線をやった。
「悪かったね、こんなところで。そろそろ戻らないとね」
未来は思い出したように、慌てて腕時計を見る。
「大変…急がないと」
零は資料室のドアを開けて、左右を確認する。
「大丈夫。誰もいないよ」
「し、失礼します」
未来は、そう言って足早に部屋を出ていった。
零はその背中を見送ってから、もう一度奥の書棚に視線をやった。
そして、ほくそ笑みながらドアをくぐっていった。
-☂️-
悠吾はしばらく書棚の影でうずくまっていた。
資料室の中の蒸し暑さ。その不快感が、悠吾を蝕む。
何も、言えなかった。何も、出来なかった。
未来の甘い声が、零の見透かしたような声が、酷く頭を巡った。




