第47話:魔王と勇者、共闘
古の者がウェスパル村の近くまで来たのは、秋の半ばのことだった。
夜明け前に、吾輩は気配の変化を感じた。遠かったものが急速に近くなっていた。数週間かけてゆっくり近づいてきた気配が、昨夜から急に速まっていた。今夜か、明日の朝か——そのくらいの距離にいる。
吾輩はライオスに意思を送った。グザールを通じてではなく、直接。ライオスは今、村の宿屋にいる。吾輩の意思が届く距離だ。
来る、と送った。
ライオスはすぐに起きた。気配でわかった。
夜明けとともに、ライオスがアイリスの家を訪ねてきた。
アイリスはまだ台所で朝食の用意をしていた。ガリスが畑へ出かけた直後だった。
「今日、少し離れた草地でシフォン様と散歩をしてもいいですか」とライオスが言った。
「調べたいことがあって」
「散歩ですか。私も——」
「今日はシフォン様と二人で、と思っていて」とライオスが言った。穏やかに、しかしはっきりと。
「少し遠くまで行くので、アイリスさんは村にいてください」
アイリスが「わかりました」と言った。
不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
シフォンが台所の椅子から降りて、ライオスを見た。それから扉を見た。外に行くと察したらしかった。
「後でちゃんとご飯あげるから」とアイリスがシフォンに言った。
「ミャア」とシフォンが答えた。不満そうだった。
村の北の外れ、草地の端に来た。
ライオスとシフォンと吾輩だけだ。
ライオスが剣の柄に手をかけた。
抜かず、しかし構えた。
吾輩は魔力を集めた。七割の魔力がある。先ほどから遮断を外して、力を前面に出している。古の者を迎えるなら、もう隠れる必要はないと判断した。
シフォンは草地に降ろされると、すぐに草の匂いを嗅ぎ始めた。緊張感はゼロだった。
そして——現れた。
草地の北の端、木立の陰から、一人の老人が出てきた。白髪を肩まで垂らし、古びた衣を纏い、杖をついていた。背は高かった。しかしその「老人」という外見は、本当に老いているというよりも、あまりにも長く生きてきたために、そういう形になった、という種類の年齢感だった。目が金色だった。
ライオスが「止まってください」と言った。剣は抜かなかった。
老人が止まった。
「あなたが古の者ですか」
「そうだ」と老人が言った。声は穏やかだった。
「久しぶりに、人の言葉を使う。少し不慣れかもしれない」
「何のためにここへ来ましたか」
「見に来た」と老人が言った。
「この白い猫と、その影を」
老人の目が、シフォンを見た。
シフォンはちょうどその時、虫を見つけて飛びかかろうとしているところだった。老人の視線など気にしていなかった。
「ほう」と老人が言った。何かを確認したような声で。それから影を見た。吾輩を見た。
吾輩は遮断を外したまま、老人の視線を受け止めた。老人の目が細くなった。
「長生きをしたな、魔王よ」
「お前ほどではない」と吾輩は意思を送った。
老人が少し笑った。
「我々の尺度で言えば、お前はまだ若い」
「何のために来た」
「話した。見に来た。それだけだ。我々は長い間、この大陸を見てきた。人間と魔族が争い、魔王が生まれ、勇者が倒した。それを何度も見た」
「また繰り返すかどうかを見に来たのか」とライオスが言った。
老人がライオスを見た。
「そうだ、勇者よ。しかし今回は、少し違う」
「何が違う」
「魔王が、猫の影に宿っている。それ自体は珍しくない。しかし——その魔王が、恐怖ではなく別の何かで人々を動かしていることが、珍しい」
ライオスが「どういう意味ですか」と聞いた。
「その猫の伝説が、大陸中に広まっている。恐怖ではなく——人々は希望を感じている。魔王が生まれてからこの方、大陸にそういうものが満ちたことは、一度もなかった」
吾輩は、その言葉を聞いた。
希望、か。
吾輩が誤発射で廃井戸を直した時から始まった連鎖が、大陸に希望として広まっている。そう古の者は言っている。
「我々は安定を見ている」と老人が続けた。
「恐怖による均衡は、いつか崩れる。崩れた後に、また恐怖が生まれる。その繰り返しだった。しかし今、別の調和が生まれようとしている」
「力によらない安定、ということか」とライオスが言った。
「そうだ。魔王が恐怖でなく、"ここにいたいから守る"という理由で動いている。それは——この大陸に、今まであったことのないものだ」
吾輩は動けなかった。
「ここにいたいから守る」。それは、吾輩自身が最近になって気づいたことだ。計算でも言い訳でもなく、ただここにいたいから、この場所を守りたいと思っている。それを、この古の者は見ていた。
シフォンが老人の方へ歩いてきた。
ライオスが少し緊張した。吾輩も身構えた。
シフォンは老人の前に来て——匂いを嗅いだ。老人が動かずにいた。シフォンがしばらく匂いを嗅いで、それから老人の足に頬を擦りつけた。
老人が少し目を見開いた。それから、ゆっくりとしゃがんで、シフォンの頭を撫でた。
「……長く生きてきたが」と老人が静かに言った。「猫に挨拶されたのは、初めてかもしれない」
「ミャア」とシフォンが言った。
「そうか」と老人が答えた。
ライオスが吾輩の影に目をやって、少し肩の力を抜いた。
老人が立ち上がって、吾輩の影を見た。
「魔王よ、一つ聞く。お前はこれからも、恐怖ではなく、この場所への思いで動くか」
吾輩は考えた。恐怖ではなく、という問いだ。征服したいという衝動は今もある。しかし今の吾輩が動く理由は——ここにいたいから、だ。
「今は」と吾輩は答えた。
「恐怖では動かない」
「"今は"か」と老人が繰り返した。
「正直な答えだ」
「遠い先のことは言えない。しかし今は、ここを守りたいという気持ちで動いている。それは本当だ」
老人がしばらく黙っていた。
「それで十分だ。我々は、完璧な誓いなど求めない。今の意志を見る。今、そう思っているなら、それが今の均衡を作る」
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老人がライオスを見た。
「勇者よ、お前はどうだ。この魔王と、共に立てるか」
ライオスが少し間を置いてから答えた。
「今日、ここに並んでいます」
「そうだな」と老人が言って、草地を見渡した。
「魔王と勇者が、同じ場所に立っている。我々の記録には、そういうことが一度もなかった」
「珍しいですか」
「奇妙だ。しかし——悪くない」
老人がシフォンを見た。シフォンはまた虫を追いかけていた。
「この猫は、何も考えていないだろう」
「はい」とライオスが答えた。
「何も考えていません。いつも」
「それが良い。意図しない力が、一番遠くまで届く。我々はずっとそれを見てきた」
老人が帰り際に言った。
「大陸の行く末は、新しい形に向かっている。我々はそれを見守る。お前たちの邪魔はしない」
「来たのは、確認のためですか」とライオスが聞いた。
「確認と、もう一つ。伝えに来た。北に、古い封印がある。それが緩み始めている。魔王が討伐された後から、少しずつ。それが今後、問題になるかもしれない」
「封印が緩むと、何が出てきますか」
「我々にも、まだわからない。しかし——お前たちが今日のように並んでいれば、対処できると思っている」
それだけ言って、老人は草地の北へ戻っていった。しばらくして、気配が消えた。
ライオスと吾輩とシフォンが草地に残った。
ライオスが剣の柄から手を離した。肩の力が抜けていた。
「想像と違いましたね」とライオスが言った。
吾輩は意思を送った。そうだ、と。
「戦いではなかった」
戦いではなかった。しかし来た意味は、十分にあった。
ライオスが影に向かって低く言った。
「意図しない力が、一番遠くまで届く、と言っていた」
吾輩は、その言葉を反芻した。
廃井戸の時は誤発射だった。麦の芽吹きも、地脈を吸収していたら副産物として起きた。山賊が吹き飛んだのはシフォンが虫を追いかけていた時だった。全部、意図していなかった。しかしその積み重ねが、今日の古の者の言葉につながっている。
吾輩はかつて、意図して恐怖を広めた。百年かけて大陸に恐怖を植えた。それは確かに効いた。しかし崩れた時、何も残らなかった。
意図せずして広まったものは——崩れた後も、何かが残るのかもしれない。
シフォンが「ミャア」と鳴いた。お腹が空いた、という声だった。
ライオスが「帰りましょうか」と言った。
吾輩は揺らした。
「肩を並べましたね、今日」
また揺らした。
「悪くなかった」とライオスが言った。
吾輩も——悪くなかった、と思っていた。
かつての宿敵と、草地に並んで、大陸の均衡を見守る古の者を迎えた。誰も傷つかなかった。
それが、今日という日だった。
家に帰るとアイリスが「どうだった?」と聞いた。
「少し遠くまで歩きました」とライオスが答えた。「シフォン様は元気です」
「そう。何か変わったことは?」
「いいえ」とライオスが言った。
シフォンが「ミャア」と鳴いた。朝ごはん、という声だった。
「そうだね、ごめんごめん」とアイリスが急いで台所へ向かった。
ライオスが吾輩の影を一瞥した。口元に、かすかに笑みがあった。
吾輩も——概念として、笑った。




