第41話:勇者の決断
翌朝、ライオスが村に戻ってきた。
馬で来た。少し急いでいるように見えた。宿屋には寄らず、直接アイリスの家へ来た。
「昨日の夕刻、村の外れの草地に魔族の痕跡がありました」とライオスが言った。
「四人分。魔力の痕跡と、何かに吹き飛ばされた跡が」
アイリスが「え」と声を上げた。
「シフォン様は昨夕、草地にいたはずですね」
「いた。遅くに帰ってきて、心配して」
「何かありましたか、シフォン様に」
アイリスが首を振った。
「何もなかったと思う。いつも通りで」
ライオスがシフォンを見た。シフォンは台所の椅子の上で丸まっていた。ルカが足元で遊んでいた。
「そうですか」とライオスが言った。
「昨日の魔族は、俺が対処します。村には来られないようにしますので、安心してください」
「ありがとうございます」とアイリスが言った。
「少し草地を確認したいのですが、シフォン様を連れて行っていいですか」
「あ、私も——」
「今日は俺一人で大丈夫です」とライオスが言った。
穏やかに、しかしはっきりと。
「シフォン様に一緒に来ていただければ」
草地に着くと、ライオスが吹き飛ばされた跡を調べた。シフォンは草の匂いを嗅ぎながら、のんびりと歩いていた。
しばらくして、ライオスが影に向かって、低く言った。
「ヴァルキス。話せるか」
アイリスはいない。二者だけだ。
吾輩は意思を送った。聞いている、と。
「昨日、ここで何があったか」
吾輩は伝えた。魔族が来た。シフォンが動いた。吾輩が制御した一撃で吹き飛ばした、と。
ライオスが受け取った。
「シフォン様は無事でしたか」
吾輩は揺らした。そうだ、と。
「魔族を殺さなかった。村への余波を恐れて、制御した」
吾輩は揺らした。
「その判断が——答えだと俺は思った」
「答え、とは」
「お前が今、何を守ろうとしているかの」
ライオスが草地に腰を下ろした。膝の上に腕を置いて、影を見た。
「一つだけ聞く。今のお前は、世界を征服しようとしているか」
吾輩は、その問いを受け取った。
王都の夜に同じことを聞かれた。あの時は「わからない」と答えた。
今は——どうか。
昨日の草地での選択を思い出した。
アイリスへの余波を恐れて、暴走を抑えた。シフォンが動いた。吾輩が制御した。
「今は」と吾輩は意思を送った。
「征服しないと言う」
ライオスが目を細めた。
「「今は」か。王都では「わからない」だったのに」
「変わった」と吾輩は言った。
「正確には——征服しない理由が、できた」
「理由を聞いていいか」
吾輩は少し間を置いた。それから揺らした。
「この村だ。ここにいる人々だ。それを壊す気はない」
ライオスが「……そうか」と言った。
静かな声だった。
「俺の決断を言う」とライオスが続けた。
「お前を、今日は討伐しない」
吾輩は、概念として息を止めた。
「理由は三つある」とライオスが続けた。
「一つ目。この一年以上、お前はこの村の人々を守ってきた。意図していなくても、結果として。それは事実だ。二つ目。お前は今、"征服しない理由ができた"と言った。俺はその言葉を信じる。三つ目——」
ライオスが少し間を置いた。
「アイリスさんが、"怖くない"と言っていた。以前から。シフォンの影が変だと思っても、怖くないと。毎日そばにいた人の感覚は、正確だ」
吾輩は、アイリスの名前が出て——少し驚いた。
「ただし、条件がある」とライオスが続けた。
「この村や、アイリスさんや、ここにいる人々を傷つけることをしようとした時——俺は戦う。その時は容赦しない」
「わかった」と吾輩は答えた。
「それと」とライオスが言った。
「いつか——全部を話してほしい。なぜ魔王になったのか。何を求めていたのか」
吾輩は少し間を置いてから揺らした。
いつか、と。
「いつかでいい」とライオスが言った。
「急がない」
ライオスが立ち上がり、草地を見渡した。
「一つ聞いていいか」
「なんだ」
「ガリスさんが、シフォン様の影を"誰かいるみたいで安心する"と言っていた。
アイリスさんも、"シフォンは一人じゃないと思ってた"と言っていた」
吾輩は黙っていた。
「彼女たちは気づいていない。何かがいる、という感覚はあっても、それが何かは知らない。俺はこれからも、彼女たちに教えるつもりはない」
「なぜだ」
「お前が決めることだから」とライオスが言った。
「いつか話すかどうかも、どう話すかも。俺が決めることじゃない」
吾輩は——その言葉を聞いた。
いつか話すかどうかも、お前が決めること。
「お前の選んだ場所は」とライオスが言った。
「悪くないと思う。俺には作れない場所だ」
吾輩は、その言葉の意味を考えた。
ライオスにも、作れない場所がある。英雄として旅を続けるライオスには、帰る場所がない。
「またいつか」とライオスが言った。影に向かって。
それから村へ向かって歩き始めた。
家に戻ると、アイリスが「どうでしたか」と聞いた。
「問題ありませんでした」とライオスが答えた。
「シフォン様のおかげで、昨日の魔族は退散したようです」
「そうなんですか。シフォンが」とアイリスがシフォンを見た。
「すごいね、シフォン」
「ミャア」とシフォンが言った。
「聖獣様ですね」とライオスが笑った。
「では、俺はこれで。またいつか」
ライオスが去った。
アイリスがシフォンに言った。
「シフォン、昨日大変だったの?」
「ミャア」
「でも無事でよかった」とアイリスがシフォンを抱き上げた。
「怪我とかない?」
「ミャア」
「よかった」
吾輩は、ライオスが去った方向を見ていた。
ライオスが決断した。今日は戦わない、と。
そしてアイリスは——知らないままだ。シフォンの影に何がいるか。
それで良い、と吾輩は思った。
知らないまま「怖くない」と言えるアイリスの言葉が——ライオスの判断材料になった。それだけで、十分だった。
アイリスがシフォンの頭を撫でながら「いつかちゃんと話せるといいね」と言った。
シフォンに向かって。
「あなたが何を考えてるか、全部わかったら面白いだろうな」
吾輩は、その言葉を聞きながら——少しだけ、笑った気がした。
全部わかったら、きっとアイリスは驚く。
しかしそれは——まだ先の話だ。




