第24話:宮廷魔術師との対決
王都滞在三日目の朝、厄介な人物が現れた。
宮廷魔術師のオルドだ。
六十代の痩せた男で、白衣の魔術師服を着て、腰に魔力石のついた杖を提げている。目が鋭く、常に何かを分析するような眼光を持っていた。
吾輩は、その男を見た瞬間に警戒した。
魔力の気配がある。それも、相当に練磨された魔術師だ。生涯をかけて魔力の探究に費やしてきた者の気配だ。こういう人物は往々にして、普通の人間には気づかないものを「見る」ことができる。
オルドがアイリスに挨拶をした。
「シフォン様のご来訪を心待ちにしておりました。私は宮廷魔術師のオルドと申します」
「はじめまして」とアイリスが答えた。
「一つお願いがございます」とオルドが続けた。
「シフォン様の魔力を、測定させていただけないでしょうか」
吾輩は影の中で、完全に静止した。
測定、とは何か。
魔力測定は、専用の魔術道具——主に魔力石や測定水晶——を用いて、対象の魔力の量と質を計測するものだ。吾輩が魔王軍にいた頃も、新入りの魔族の能力を測定するために使っていた。
問題は——シフォン自身には魔力がない。
しかし吾輩が宿っているシフォンの影には、吾輩の魔力が満ちている。もし測定器がシフォンの影まで感知するなら——吾輩の存在が、その規模が、露わになる。
これは最悪の事態だ。
「シフォン様の奇跡の根源を知りたいのです」とオルドが言った。
「科学的な観点から、記録として残したい」
アイリスが「えっと……」と言いながらシフォンを見た。
シフォンはオルドを見ていた。杖の魔力石に興味を持ったらしく、耳が前を向いていた。
「シフォンが嫌がらなければ」とアイリスが言った。
「大丈夫ですか、シフォン?」
シフォンがオルドに近づいて、杖の魔力石を前足でちょんと触った。
「おお」とオルドが驚いた。
「自ら触れられましたか」
アイリスが「大丈夫そうですね」と言った。
吾輩は内心で悲鳴を上げていた。
測定は客間の隣の小部屋で行われることになった。
オルドが魔力測定の道具を取り出した。透明な水晶球で、中に複雑な魔術式が刻まれている。この種の道具は、対象に近づけるだけで自動的に魔力を感知する。
吾輩は頭の中で素早く計算した。
シフォン自身の魔力:ゼロ。
吾輩の魔力(現在):討伐前の三割強。王都の地脈で急速に回復中。
もし水晶球がシフォンの「影」まで感知した場合、討伐された魔王の魔力量が検出される。おそらく水晶球が壊れるか、あるいは「これは並の魔物ではない」と判定されるかのどちらかだ。
どちらにしても、吾輩の存在がバレる。
対策は——魔力の遮断だ。
吾輩はこの四ヶ月間、魔力の気配を薄くする練習を続けてきた。ライオスに備えての練習だ。その成果が、今試される。
水晶球がシフォンに近づけられた。
吾輩は全力で魔力を遮断した。影の内側に全てを封じ込める。外に一滴も漏らさない。
四ヶ月かけて練習してきた技術の、真の試練だ。ライオスへの備えとして磨いてきた遮断を、今ここで使う。
水晶球が、かすかに光り始めた。
青白い光だ。通常の猫の「生命力」を感知した光だ。問題ない範囲だ。
オルドが「ほう」と言いながら水晶球を検めた。
「猫の生命力としては、なかなか強い。しかしこれだけでは——」
オルドが水晶球をシフォンの影に近づけた。
吾輩はさらに遮断を強めた。ぎりぎりまで。影の内部に魔力を圧縮して、外への漏洩をゼロにする。全神経を遮断に集中した。
水晶球の光が——わずかに揺れた。
何かを感知しかけている。吾輩の存在の、ほんの端を。
オルドの目が細くなった。
「……」
まずい。
その瞬間、シフォンが水晶球を前足でぱしんと叩いた。
測定道具が床に転がった。
室内に、しんとした沈黙が流れた。
「申し訳ありません、シフォンが……」とアイリスが言った。
「いえ」とオルドが水晶球を拾い上げた。
内側をじっと検めた。
「壊れてはおりません。ただ……測定データが途中で乱れてしまいましたな」
オルドがシフォンを見た。
シフォンはオルドを見た。
ただの猫の目だ。何も語っていない。ただ、興味深そうに水晶球を見ている。
オルドが少し考えてから、もう一度試みようと水晶球を構えた。
もう一度測定を試みるか、とオルドが考えているのが気配でわかった。
しかしその時、シフォンがオルドの膝に前足をかけて、顔を覗き込んだ。
オルドが固まった。
シフォンがオルドの顎の下に頭を押しつけた。
いわゆる「頭突き」の要求だ。撫でてくれ、という意思表示だ。
オルドが、魔力測定道具を持ちながら、シフォンの頭を撫でる羽目になった。
「……聖獣様が」とオルドがやや困惑した声で言った。
「これは、光栄なことで……」
シフォンが目を細めた。喉を鳴らした。
オルドは頭を撫でながら、測定を続けるタイミングを完全に逸していた。
吾輩は、シフォンの行動に——感謝した。
意図していない。シフォンは単に撫でてもらいたかっただけだ。それでも、結果として吾輩を助けた。
測定はうやむやになった。
オルドが最後に言った。
「シフォン様の魔力は……通常の計測では把握しきれないほど独特な質をお持ちのようですな。水晶球が正確に反応しませんでした」
「そうですか」とアイリスが言った。
「影の部分に、特に強い何かがある気がしましたが……」
吾輩は完全に静止した。
「気のせいかもしれませんが」とオルドが続けた。
「聖獣様の力は、通常の魔術理論では説明がつかない。それ自体が、聖獣たる証かもしれません」
そう言って、オルドは測定道具を片付けた。
「また機会があれば、別の方法で試みたいものです」
吾輩は「別の機会はなるべく作らせない」と心に誓った。
その夜、吾輩は地脈の吸収をしながら、今日のことを整理した。
危なかった。
オルドは鋭い。
あの「影の部分に強い何かがある」という発言は、偶然ではないはずだ。遮断が完璧でも、微細な気配は残る。あれだけの魔術師なら、感じ取っても不思議はない。
しかしシフォンが邪魔をしてくれた。意図せずして。
吾輩はシフォンを見た。シフォンは今日撫でてもらって満足したのか、ぐっすり眠っていた。
助けてもらった、というのは少し違う。
しかし——シフォンがいなければ、今日の測定を乗り越えられなかったかもしれない。
気配を遮断する技術は吾輩自身のものだ。しかし測定を中断させたのはシフォンだ。
そういう関係だ。
吾輩には、シフォンが必要だ。
その事実を——今日は素直に認めようと思った。
シフォンが寝返りを打った。吾輩の影の上で。
吾輩は何も言わなかった。
それで十分だった。




