第22話:王都へ
王都アルクス・ラシアの城門を馬車が通った時、吾輩は複雑な気持ちでいた。
かつて、この城門を攻略するために何ヶ月もかけた。城壁の弱点を調べ、守備の配置を把握し、工作員を送り込み——それが今や、王家の招待を受けた馬車で、正面から堂々と通っている。
歴史の皮肉というものは、なかなか味わい深い。
城門を抜けると、大通りが広がっていた。
石畳の広い道の両脇に、人々が並んでいた。
何百人——いや、もっとか。
旗を持った者、花を持った者、子供を肩に乗せた親たち。見物人の中には、裕福そうな商人もいれば、旅装束の者もいた。王都に住む人々だけでなく、この知らせを聞いて遠くから来た者もいるかもしれない。
吟遊詩人フィンの歌が、ここまで届いていたということだ。
王都全体が、シフォンを迎えるために来ていた。
「聖獣様がお見えになった!」
誰かが叫んだ。
一斉に歓声が上がった。
吾輩はその歓声を受けながら、複雑な気持ちでいた。かつて吾輩がこの大通りを行軍した時も、人々が沿道に並んだ。ただしあの時は恐怖で震えながら。
今は喜びで声を上げている。
同じ大通り。全く違う光景。
吾輩は、どちらが本当の「力」なのかを、少し考えた。
シフォンが馬車の窓から外を覗いた。
膨大な数の人間が、一斉にシフォンの方を向いて声を上げた。
シフォンが窓から引っ込んだ。
馬車の奥、敷物の下に顔を埋めた。
アイリスが「シフォン、大丈夫?」と声をかけたが、シフォンは出てこなかった。
吾輩は苦笑した。
影に口はないが、概念として苦笑した。
吟遊詩人フィンが各地で歌い継いだ英雄譚の主人公が、群衆を見て敷物に顔を埋めている。
これが「聖獣シフォン様の王都御到着」の実態だった。
歓迎の式典会場は王都の中央広場に設けられていた。
広場には人が溢れ、中央には高い台座が置かれ、その周囲には騎士が整列し、金の旗が風に翻っていた。
馬車が止まった。使者が扉を開けた。
「シフォン様、どうかお出ましを」
シフォンは敷物に顔を埋めたまま動かなかった。
「シフォン様……」
アイリスがシフォンを持ち上げた。
「行こう、シフォン。もう着いたよ」
シフォンがアイリスの腕の中で小さく体を縮めた。
アイリスが馬車を降りた。
歓声が上がった。
シフォンがアイリスの腕の中でさらに小さくなった。
「大丈夫。私がいるから」とアイリスが耳元で言った。
シフォンが——少しだけ、体の力を抜いた。
吾輩はそれを見ていた。
アイリスの一言で、シフォンが落ち着いた。
それだけのことだった。しかし——。
式典が始まった。
王家の高官が前に出て、長い挨拶を述べ始めた。
「聖獣様の御来訪を、王家一同、心より歓迎申し上げます」から始まり、これまでの「奇跡」が列挙された。
井戸の修復、麦の芽吹き、山賊の退散、魔物の撃退——どれも吾輩の誤発射と偶発的な魔力暴走の産物だったが、ここまで来ると訂正する気も起きなかった。
シフォンは台座の上に乗せられた。
何千人もの人間が、シフォンを見ていた。
シフォンは——あくびをした。
大きな口を開けて、牙を見せて、目を細めて。
広場が静まりかえった。
一秒の沈黙。
それから、高官が声を震わせて言った。
「……聖獣様が、この都をお認めくださった!」
どっと歓声が上がった。
吾輩は影の中で、完全に力が抜けた。
あくびだ。眠いからあくびをしただけだ。
しかし今更それを言っても意味がなかった。
式典の後半、国王が現れた。
五十代ほどの、がっしりとした体格の男だ。
新王——先代の王が魔王との戦いの混乱で崩御した後、即位した王だ。顔に風格があり、目に知性があった。
国王がシフォンの前に進み出て、膝をついた。
「聖獣シフォン様。遠路はるばるお越しいただき、感謝申し上げます」
シフォンは国王を見た。
国王を見て——ぐるんと踵を返し、台座の上で丸まった。
またしても寝た。
広場がざわめいた。
「……聖獣様は、王の前でも分け隔てなくおられる。なんと尊い」と高官が言った。
国王が少し苦笑いした。
「まあ、それでいい」と国王は静かに言った。
吾輩はその言葉を聞いて、この王を少し見直した。
器がある。当惑せず、笑い飛ばせる余裕がある。
かつて吾輩が相対した国王たちの多くは、吾輩の前で震えるか、必死に虚勢を張るかのどちらかだった。
この男は違う。
式典が終わり、一行は王城の客間に通された。
広い石造りの部屋で、暖炉があり、大きなベッドがあり、窓からは王都の夜景が見渡せた。
アイリスが窓から外を見て「……すごい」と言った。
灯りが無数に広がる王都の夜景を、目を丸くして眺めていた。
「シフォン、見て。すごいきれいだよ」
シフォンはベッドの上に飛び乗り、その上で丸まった。
「もう寝るの?」
「ミャア」
「旅疲れたよね」とアイリスが笑った。
「お疲れさま、シフォン。よく頑張った」
シフォンが喉を鳴らした。
吾輩は部屋の地脈を探った。
太い。非常に太い。ウェスパル村の十倍以上の強さで地脈が流れていた。王城の地下には、古代から続く地脈の集積があるのだ。
吾輩は早速吸収を始めた。
一刻で、ウェスパル村での一週間分を超えた。
これだ。これが王都の地脈だ。
魔力が、どんどん満ちてくる。まだ討伐前には遠いが、確実に回復が加速していた。
夜中、アイリスが寝静まった後、吾輩は地脈の吸収を続けながら、今日のことを振り返っていた。
王都に来た。式典があった。国王に謁見した。
シフォンはあくびをして国王の前で寝た。
そして地脈が豊富で、魔力の回復が急速に進んでいる。
全て計画通りだ。
しかし吾輩は今、計画のことだけを考えているわけではなかった。
峠道での感触を、まだ覚えていた。
シフォンと合致した、あの瞬間を。四ヶ月かけて、吾輩はシフォンのことを誰より理解していた。
だから合わせることができた。協力、というものを——吾輩は今日、初めてやった気がした。
そして——アイリスが「私がいるから」と言った時に、シフォンが落ち着いた場面を。
吾輩も、あの一言で、少し落ち着いた気がした。
私がいるから、という言葉が——シフォンだけでなく、吾輩にも向けられているような気がした。
そんなはずはない。アイリスは吾輩の存在を知らない。
しかし、感じた。
窓から王都の夜景が見えていた。無数の灯り。
かつて吾輩は「制圧すべき都市」として見ていた。
今は——ただ、灯りが綺麗だと思っていた。
シフォンが寝返りを打った。吾輩の上で。
ごろごろと喉を鳴らした。
王都の夜は静かで、地脈は豊かで、吾輩の中に魔力が満ちてくる感触があった。
悪くなかった。
王都までの旅が終わり、明日から新たな生活が始まる。
シフォンと、アイリスと、吾輩の三者で。




