第18話:王都の使者
十一月の初め、ウェスパル村に馬車が来た。
ただの馬車ではなかった。馬四頭立て、金と青の紋章が入った立派な馬車で、御者台に護衛の騎士が二人、そして馬車の中からは正装した初老の男が降りてきた。
王家の紋章だ。
吾輩はその紋章を見て、即座に理解した。
国王の使者だ。
村人がどよめいた。騎士と王家の馬車など、この村では見たことがない者がほとんどだろう。子供たちが馬に駆け寄り、大人が慌てて引き留めた。
使者の男が村人を見回して、ベルン神父を探した。
「ウェスパル村のベルン神父殿はおられますか」
「わたしです」とベルンが進み出た。
使者が深々と一礼した。
「王命を持ってまいりました。聖獣シフォン様のご来都を、国王陛下が熱望しておられます」
村が、一瞬静まりかえった。
それから、爆発した。
「王都!?」
「シフォン様が王都へ!?」
「陛下がお招きに!?」
子供たちが走り回り、大人たちが顔を見合わせた。
ベルンだけが静かに使者に向き直り「詳しくお聞かせください」と言った。
その間、シフォンは使者の帽子の羽根飾りを前足でつついていた。使者が困った顔をしていたが、どかせるわけにもいかず、羽根飾りが曲がっていくのをただ耐えていた。
吾輩は使者の様子をじっくりと観察した。王家の使者として正式な任を帯びている。ということは、これは正式な招待だ。礼儀上、断るのも簡単ではない。
話の経緯はこうだった。
吟遊詩人フィンが王都でシフォンの英雄譚を歌い、それが貴族の耳に届き、貴族が王に奏上し、王が「ぜひ聖獣に謁見したい」と言い出したのだという。
王都まではここから馬車で三日ほどかかる。
使者は「謁見のお礼として、村への支援も用意しております」と言い添えた。
ベルンが吾輩——シフォン——の方を向いた。
「聖獣様のご意向が大切です。シフォン様がご承諾いただけるかどうか」
全員がシフォンを見た。
シフォンはその時、使者の頭に乗っかっていた羽根飾りのついた帽子を、前足で引っ張って遊んでいた。使者が困った顔をしていたが、聖獣様なのでどかせない。
「ミャア」とシフォンが言った。帽子から顔を上げて。
村人が一斉に「シフォン様がご承諾された!」と叫んだ。
吾輩は、それが承諾かどうか全くわからなかった。
村の広間(普段は集会に使う石造りの建物)で、ベルンと使者とアイリスとガリスが話し合った。
吾輩もシフォンに引きずられて同席した。
「旅の日程は三日かけて王都へ、謁見は二日後、帰路も三日——合計十日ほどになります」と使者が言った。
「シフォン様のご世話は、どなたがされる予定ですか」
「シフォン様のご縁者であるアイリス嬢にお願いできれば」
アイリスが「え」と声を上げた。
「私も行くんですか」
「もちろんです。シフォン様は見知らぬ者には懐かれないと伺っています。アイリス嬢に同行いただければ、シフォン様も安心ではないかと」
アイリスが困った顔をしてガリスを見た。
「お父さん、私が行ってもいい?」
「王都だぞ」とガリスが言った。
「行ったことも見たこともない」
「シフォン様のためですから、当然のご支援をさせていただきます」と使者が言った。
「アイリス嬢の旅の費用はすべて王家が持ちます。お父上の農作業の支援も手配します」
ガリスが「……まあ」と言った。
アイリスが「行っていいの?」とガリスに聞いた。
「シフォン様が行かれるなら、しょうがないだろう」とガリスが言った。
少し寂しそうな顔をしながら。
吾輩にとって、王都行きは計画の観点から見れば好都合だった。
王都には強力な地脈がある。
古代から魔力の集まる場所に都市が作られる傾向があり、王都アルクス・ラシアはその最たる例だ。
吾輩はかつて王都の攻略を試みたことがあり、その地脈の強さは知っていた。そこへ行けば、魔力の回復が一気に進む可能性がある。
また、王都の情報収集という意味でも大きい。ライオスの動向、王家の方針、大陸の情勢——村にいるだけでは得られない情報が手に入る。
さらに言えば、ライオスは今も村に滞在している。少し距離を置くことは安全だ。
全て計画通りだ。
問題は——シフォンが移動を嫌がることだった。
馬車に乗せれば暴れるかもしれない。知らない場所を嫌がって固まるかもしれない。何しろシフォンは自分の縄張りの外では、気分が安定しない。
しかし今日の帽子への反応を見る限り、少なくとも使者への警戒はなさそうだった。新しい刺激として受け取っているのかもしれない。
まあ——なるようになる。いつもそうだった。
吾輩はそう結論づけた。
その夜、アイリスがシフォンに話しかけた。
「シフォン、王都に行くんだって。怖くない?」
シフォンはアイリスのそばで丸まっていた。
「私も初めてだよ、王都。ドキドキするね」
シフォンが「ミャア」と言った。
「一緒に行こうね」とアイリスが言った。
シフォンがアイリスの手の甲を、鼻先でつついた。
アイリスが笑った。
「うん、大丈夫だよ。二人でいれば大丈夫」
吾輩はその「二人で」という言葉を聞いた。
シフォンとアイリス、二人で——ということだろう。
正確には三者だが、吾輩は数に入っていない。
それで、構わない。
しかし——吾輩もいる。
シフォンとアイリスと、それからシフォンの影として、吾輩も王都へ行く。
それが、今の吾輩の旅の形だ。
悪くない、と思った。
翌朝、ライオスがアイリスの家を訪ねてきた。
王都行きの話を聞いたらしく、アイリスに声をかけた。
「シフォン様を王都にお連れするとのこと」
「はい」とアイリスが答えた。
少し緊張した顔で。
ライオスがシフォンを見た。シフォンはライオスを見た。
「よいことだと思います」とライオスが言った。
「王都の神殿には古い記録がある。聖獣の伝承についても、詳しくわかるかもしれない」
アイリスが「そうなんですね」と言った。
「ただ——」ライオスが少し間を置いた。
「旅の途中、何か不思議なことがあっても、慌てないように。シフォン様のそばには、我々の理解を超えたものがあるかもしれないので」
アイリスが「はい」と頷いた。
ライオスがシフォンの影を、また一瞬見た。
吾輩は魔力を薄くして、完全に沈黙した。
ライオスが視線を上げた。
「道中、お気をつけて」と言って、立ち去った。
アイリスが後ろ姿を見送りながら言った。
「なんか……勇者様、全部わかってる気がする」
シフォンが「ミャア」と鳴いた。
吾輩は何も言わなかった。
おそらくアイリスの直感は正しい。
しかしライオスが何を知っていて、何を知らないのか——それはまだわからなかった。
王都への出発まで、あと二日。




