第13話:魔王、料理を学ぶ
秋が深まるにつれ、シフォンに変化が現れた。
食が細くなった。
正確には、食べる量が減ったわけではない。食べ物の「好み」が出てきたのだ。以前は干し魚であれ干し肉であれ何でも平らげていたのに、ある朝から突然、いつもの干し魚に顔を近づけて、くんくんと匂いを嗅ぎ、そのまま離れるようになった。
一口も食べない。
アイリスが困った。
「シフォン、食べないの? お腹空いてない?」
シフォンは椀から離れ、台所の隅に座った。
「新しいのあげようか」とアイリスが干し魚を替えてみた。
シフォンは匂いを嗅いで、また離れた。
「えっ、干し魚嫌いになったの……?」
吾輩は影の中で、この状況を把握しようとした。
猫の食の好みは変わる。同じものを食べ続けると飽きる。これは猫の習性として知っていた。魔王城にいた頃も、しばらく同じ魚を続けると食べなくなって、世話役の魔族が困っていた記憶がある。
問題は——アイリスの家の食材の種類には限りがあることだ。
その日の昼、アイリスは市場で別の食材を買ってきた。川で獲れた新鮮な小魚だ。干していない、生の魚。
シフォンは匂いを嗅いだ。
食べた。
アイリスがほっとした顔をした。
「生の魚の方が好きなのか。確かに干し魚ばっかりだったもんね」
しかし問題は、生の魚は傷む。毎日市場で買ってくるのはアイリスの手間と費用の問題になる。ウェスパル村の市場に生魚が並ぶのは週に三日だ。
その週の残り四日、アイリスは様々な食材を試した。干し肉。茹でた芋。チーズ。干し魚を水で戻したもの。
シフォンは全部、一口食べてから離れた。
「うーん」とアイリスが頭を抱えた。
「聖獣様のグルメが爆発してる」
吾輩は翌日の朝から、能動的に動くことを決めた。
アイリスが畑仕事に出た後、吾輩は台所を観察した。
棚に並んでいるもの:干し魚、干し肉、塩、香草の束、小麦粉、豆、根菜数種。暖炉の傍に吊るされた鍋と鉄の串。窓際に小さな籠に入った卵が三つ。
影から腕を出せば、これらを操作できる。調理も、理屈の上ではできるはずだ。
問題は——吾輩は料理をしたことがない。
三大陸を征服した魔王が、厨房に立つことはなかった。料理は料理番の仕事だ。吾輩は食べる側だった。料理の工程は、見たことがあるという程度だ。
しかし理論はわかる。加熱する。味付けする。それだけのことだ。
吾輩は腕を伸ばした。
干し魚を手に取った。水の入った鍋に入れて、暖炉にかけた。塩抜きをする——これは知っていた。魔王城の厨房でやっているのを見たことがある。
一刻ほど待った。
シフォンが台所に来て、鍋の匂いを嗅いだ。悪くない反応だった。耳が少し前を向いた。
よし。
吾輩は魚を鍋から取り出し、鉄串に刺した。暖炉の火の上に翳した。
焼く。これも知っている。
しかし——どのくらい焼けばいいのかがわからなかった。
表面が白くなってきた。もう少しか。もう少し——。
焦げた。
片面が真っ黒になった。
シフォンが匂いを嗅いで、鼻を背けた。
「……」
吾輩は黙って焦げた面を切り落とし、反対の面を炙り始めた。
今度は加減した。弱火で。ゆっくりと。
うまくいきそうだった——が、加減しすぎて中まで火が通らなかった。
シフォンがまた匂いを嗅いで、また離れた。
二度目の失敗を経て、吾輩は立ち止まって考えた。
料理とは何か。
加熱の目的は、食材の組織を変化させて消化しやすくし、かつ風味を引き出すことだ。魚の場合、内部の温度が適切に上がれば食べられる状態になる。外側だけ焦がすのは失敗で、内部まで均一に加熱するのが目標だ。
均一な加熱。
三度目は鍋を使ってみた。水を入れて、魚を沈めて、火にかける。茹でるという方法だ。
シフォンが台所に来て、匂いを嗅いだ。
茹でた魚を出してみた。
シフォンが一口食べて、また離れた。
水っぽいのが嫌なのか、と吾輩は理解した。
四度目。今度は魔力を使うことを思いついた。微細な熱の魔力を、魚の内部に直接送り込む。外側ではなく、中から加熱する。これなら均一になるはずだ。
試してみた。
魚が内側から温まっていく感触があった。表面も適度に炙りながら、内部を魔力で加熱する。こんがりとした色になった時点で止めた。
一分後、試しにシフォンの前に出してみた。
シフォンが匂いを嗅いだ。
食べた。
一口、二口、三口——全部食べた。しかも途中で顔を上げて吾輩の影を見た。それから椀に戻ってまた食べた。
吾輩は、密かに、深く、満足した。
それからが問題だった。
シフォンが「その魚」を要求するようになった。
翌朝、アイリスが干し魚を出した。シフォンは食べなかった。代わりに台所の隅に座り、吾輩の影を見た。あの金色の目で。
「シフォン、食べないの?」
シフォンは影から目を離さなかった。要求の目だった。
「……」
吾輩は観念して、腕を出した。
干し魚を水で戻し、内部から魔力で加熱した。仕上げに香草を一本だけ添えた。
シフォンが食べた。きれいに全部食べた。
アイリスが目を丸くした。
「あれ、急に食べた。さっきと同じ魚なのに……どうして?」
吾輩は何も言えなかった。影だから。
「もしかして、自分で料理したの?」とアイリスがシフォンに向かって言った。
「まさかね」
謎として残った。
それから、吾輩の一日に「料理」という工程が加わった。
アイリスが市場から食材を買ってくる。アイリスが外に出ている隙に吾輩が加工する。シフォンがそれを食べる。
最初は干し魚だけだったが、次第に工夫するようになった。
干し肉を柔らかく戻す方法を発見した。水ではなく、少量の酢で戻すと繊維がほぐれる。これを知ったのは、台所の棚に酢の瓶があるのを見つけて試したからだ。シフォンに出してみると、干し肉を久しぶりに食べた。
根菜を薄く切って加熱すると、甘みが出ることも発見した。これをシフォンに試したら、意外なことに少し食べた。猫が根菜を食べるとは思っていなかったが、調理法次第らしかった。
香草の種類によって、魚の風味が変わることも学んだ。ローズマリーに似た草は香りが強すぎてシフォンが嫌がり、ミントに似た草は少量なら好んで食べた。そしてある日、台所の隅に残っていたバターを少量魚に塗って加熱してみたところ——シフォンが今まで見せたことのない速さで食べた。
バターだ。
吾輩はメモした。影にメモ帳はないが、意識の中に刻んだ。シフォンはバターを好む。
吾輩は三大陸を征服した魔王だ。今は猫の食の好みを研究している。
この事実を魔族の部下が知ったら、何と言うだろうか。
考えたくなかった。
ある昼下がり、アイリスが帰ってきた時、台所に妙な匂いが漂っていた。
「なんか……いい匂い?」
アイリスが台所を見回した。鍋に何かが入っていた。小魚と香草と根菜が、じっくりと煮込まれていた。
「え、これ誰が……」
シフォンが台所に入ってきて、鍋の前に座った。
アイリスが呆然とシフォンを見た。
「シフォン、まさかあなたが……」
シフォンが「ミャア」と言った。
「どうやって……?」
シフォンは答えなかった。鍋を見上げ、それからアイリスを見た。早く出せ、という目だった。
アイリスが恐る恐る鍋の中身を椀に入れ、シフォンの前に置いた。シフォンが食べ始めた。
「おいしそうに食べてる……」
アイリスは小さなスプーンで少しだけ汁を掬って飲んだ。
しばらく黙っていた。
「……うまい」
アイリスが驚いた顔をした。
「聖獣様が作ったスープ、うまい。本当にうまい。魚と根菜と……これ香草も入ってる。なんで猫がこんな料理を」
アイリスがしゃがんで、食べているシフォンをじっと見た。
「シフォン……あなた、本当に何者なの」
シフォンは食べながら、ちらりとアイリスを見た。それから食べ続けた。
吾輩は影の中で、少しだけ誇りを感じた。
三大陸を征服した魔王は、料理の才能もあったらしい。
問題は、その才能が猫のために発揮されているという事実だが——まあ、今日のところは良しとしよう。
その夜、ガリスが帰ってきて夕食の席でアイリスが言った。
「お父さん、今日シフォンがスープ作ってたんだけど」
「……は?」
「シフォンが台所で料理してたの。絶対そう」
「猫が料理を」
「うん」
ガリスが長い沈黙の後で言った。
「聖獣様だから」
「それで納得するの」
「他に説明がつかん」
吾輩は影の中で、ガリスという人物の懐の深さを見直した。
シフォンが夕食の残りをアイリスに強請り、断られ、吾輩の影を見て「ミャア」と鳴いた。
吾輩はまた腕を出した。
干し魚を少しだけほぐして、シフォンの前に置いた。
シフォンが食べた。
合理的判断だ。シフォンの栄養管理は魔力回復の効率に直結する。
そういうことにしておく。




