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吾輩は猫の影。ただし、元魔王である  作者: ゆもニャ


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第12話:吟遊詩人が来た

 秋も深まった頃、ウェスパル村に旅の吟遊詩人が立ち寄った。


 名前はフィン。二十代半ばの若い男で、肩に竪琴を担ぎ、旅装束に埃をつけ、しかし人懐こい笑顔を持つ——典型的な吟遊詩人の風貌だった。


 村の宿屋に一泊の予定で立ち寄ったが、村人に「聖獣様がいらっしゃる」と知らされると、目を輝かせた。


「聖獣シフォン様! 街道で噂は聞いていました! ぜひお会いしたい!」


 熱心だった。


 宿屋の主人に頼んで、アイリスの家まで案内してもらい、石段の前でシフォンを見た瞬間、その場で竪琴を構えた。


「なんとお美しい! 白き毛並み、黄金の瞳……これが聖獣様か! 素晴らしい! 詩になる! 絶対に詩になる!」


 シフォンはフィンを一瞥して、石段の上で欠伸をした。


 フィンは感動のあまり、その欠伸すら「悠然たる御様子!」と言った。


 吾輩は嫌な予感がした。


 


 その夜、村の広場に村人が集まった。


 焚き火を囲んで、フィンの歌を聴くためだ。吟遊詩人が来ることは珍しく、村人——特に若い者——が楽しみにしていた。


 アイリスもシフォンを抱えて来ていた。シフォンは抱かれながら、広場の賑やかさに耳をぴくぴくさせていた。好きではないが、アイリスがいるから我慢しているようだった。


 フィンが竪琴を爪弾きながら、まず旅の歌を一曲歌った。なかなか上手かった。村人が手を叩いた。


 それから、フィンが一段と姿勢を正した。


「さて皆様! 今夜は特別な一曲をご披露いたします! 旅の途中で耳にした、ウェスパル村の奇跡の物語——聖獣シフォン様の英雄譚です!」


 村人がどよめいた。


「シフォン様の歌だ!」


「聞きたい!」


 シフォンは吾輩の腕の中——正確にはアイリスの腕の中——でもぞりとした。


 吾輩は警戒した。どんな内容か、聞いてみなければわからない。しかし詩人というものは、噂を大げさに脚色するものだ。どこまで事実に即しているか——。


 フィンが歌い始めた。




 曲調は荘厳だった。それは良かった。


 歌詞の最初の部分も、大きく間違ってはいなかった。「白き聖獣、黄金の瞳、村に降り立ちし神の使い」——多少の誇張はあるが許容範囲だ。


 しかし二番から、雲行きが怪しくなった。


「廃井戸に奇跡の水よ湧け、と聖獣は天に向かい三度咆哮した——」


 咆哮などしていない。シフォンは蝶を追いかけながら走り回っていただけだ。


「山賊百人を一睨みで退けた聖獣——」


 百人もいなかった。十二人だ。そして退けたのは吾輩の誤発射だ。


「七日七夜降り続いた雨を、聖獣は大空に向かって吠え、三色の虹を七本掛けた——」


 七本ではない。最大三本だ。しかも吾輩が制御を誤っただけだ。


「吾輩はそんなことはしておらん」と吾輩は影の中でつぶやいた。


 三番になった。


「魔王の霊を猫の身に封じ込め、その邪悪なる力を光へと変え——」


 封じてはいない。吾輩が普通に宿っているだけだ。


「聖獣は今日も人知れず戦い続ける。大地の悪を喰らい、人々の涙を拭い——」


 喰らっていない。干し魚は食べるが。


 四番になった。


「その純白の毛並みは神の加護の証、その黄金の瞳は悪を見通す眼——」


 これは比較的近い。シフォンの目は確かに鋭い。


「そして聖獣の影には——」


 吾輩はぴくりとした。


「影には、かつての闇の王の魂が宿り、今は聖獣の慈悲により浄化され——」


 浄化されていない! 吾輩はまだ魔王だ!


「光の僕となりて、共に人を守る——」


 光の僕ではない!


 吾輩は影の中で、今までで一番大きなざわつきを感じた。翼が生えかけた。角が生えかけた。なんとか抑えた。


 五番になった。これが最後の節だった。


「そは今日も白き毛並みを風に揺らし、黄金の瞳で大地を見守る——どうかいつまでも、この村と共に——」


 歌が終わった。


 フィンが最後の和音を爪弾き、余韻を残してから竪琴を膝に置いた。


 広場が、しばらく静かになった。


 そして、どっと拍手が来た。


「素晴らしい!」

「シフォン様!」

「ありがたや!」


 フィンが立ち上がって一礼した。


「ありがとうございます! この歌は、ウェスパル村の聖獣様の御名を大陸中に広めるべく、各地で歌い継いでいきます!」


 各地で歌い継ぐ。


 吾輩は、その言葉の意味を考えた。各地で歌われれば、シフォンの——つまり吾輩の——名は大陸中に轟く。勇者も国王も、その聖獣に手出しできなくなる。それは吾輩にとって有利だ。


 しかし内容が、あまりにも——。


 村人が感動していた。涙を拭いている人もいた。


「シフォン様……」

「なんと尊い……」

「影に魂が宿っているとは……」


 ベルン神父がうっすら目を潤ませながら「やはりそういうことだったか」と言った。


 アイリスがシフォンを見た。


「すごいね、シフォン」


 シフォンは欠伸をした。




 歌が終わり、村人が手を叩いた。

 フィンが得意げに一礼した。


 吾輩は影の中で、今の歌詞を反芻していた。


 事実と異なる点:井戸を修復したのは誤発射、山賊は十二人、虹は最大三本、咆哮はしていない、封じているわけでも浄化されているわけでもない。


 しかし奇妙なことに——「光の僕」という部分だけが、吾輩の意識に引っかかって離れなかった。


 光の僕。


 吾輩は闇の存在だ。光とは対極だ。

 しかし——この三ヶ月間、結果として起きたことを振り返れば、廃井戸の修復、麦の芽吹き、山賊の退散、魔物の撃退、雨季の晴れ間、捕虜の救出——それは確かに、人々の助けになっていた。


 意図せずして、結果として。


 それは「光の行い」と呼んでいいのかもしれない。


 吾輩は急いでその考えを打ち消した。違う。あれは全部誤発射と偶然の産物だ。吾輩の魔王としての行動とは無関係だ。


 フィンがアイリスに近づいてきた。


「シフォン様のそばにいらっしゃる方が、シフォン様のご縁者だと伺いました。今夜の歌はいかがでしたか?」


「すごく……上手でした」とアイリスが少し遠慮がちに言った。


「あの、少し話が大きくなってる気もしましたけど」


「芸術とは事実を超えるものです!」とフィンは力強く言った。


「真実の本質を掴むことが大事なのです! シフォン様が村を守り、人々を助け、奇跡を起こしてきたことは事実でしょう?」


「まあ……はい」


「ならばそれが真実! 細部の数字など、物語の本質には関係ない!」


 フィンの論理は乱暴だった。

 しかし完全に否定もできなかった。


「一つお聞きしてもいいですか」とアイリスが言った。


「影に魂が宿るって、本当にあることなんですか?」


 フィンが少し真面目な顔になった。


「古い伝承にはあります。強大な魂が、死の際に近くのものに宿るという話。特に魔術師や魔族の場合には——」フィンが少し声を低くした。


「魔王が討伐された時、その魂が完全には消えず、何かに宿って生き延びることがある、と言われています」


 アイリスが少し考えるような顔をした。


「それがシフォンの影に……?」


「可能性はゼロではないでしょう。ただ、もしそうだとしても——シフォン様の御力に封じられているのなら、もはや悪ではない。光の存在に変わっているはずです」


 真実の本質、か。


 吾輩は、その言葉を少し考えた。この詩人、大げさなくせに、時々核心を突いてくる。




 フィンは翌朝出発した。


 去り際に「次に来た時は、もっと長い叙事詩にして歌います!」と宣言していった。


 吾輩は頭が痛かった。叙事詩になると、さらに話が大きくなる。「咆哮三度」が「咆哮三百度」くらいになりかねない。


 しかし——フィンが去った後、アイリスが言った。


「シフォン、あの歌、どう思った?」


 シフォンが「ミャア」と言った。


「うん、なんか大げさだったけど……でも気持ちは本当だと思うよ。みんな、シフォンのことちゃんと感謝してるし、大好きだから」


 シフォンはアイリスの足元に来て、すりすりと体を擦り付けた。


 アイリスが笑いながらしゃがんで、シフォンを抱えた。


「私もね、シフォンのこと歌にしたいくらいだよ。でも私、歌へたくそだから」


 シフォンが「ミャア」と言った。


「ありがとう、慰めてくれてるの?」とアイリスが笑った。


 吾輩はその会話を聞きながら、フィンの歌の最後の節を思い出した。


 影には、かつての闇の王の魂が宿り——。


 正確だ。その部分だけは、正確だ。


 今は聖獣の慈悲により浄化され——。


 これは違う。浄化などされていない。しかし——。


 吾輩は考えた。浄化とは何か。変わることを浄化と言うなら——吾輩は変わっているのかもしれない。ウェスパル村に来る前と比べて。


 光の僕となりて、共に人を守る——。


 断じて僕ではない。しかし「共に」という部分は——シフォンと共に、という意味なら——否定できないかもしれない。


 吾輩はその思考を、また打ち消した。


 詩人の大げさな歌詞に影響されるなど、魔王の名折れだ。


 シフォンが吾輩の影の上に座った。


 ごろごろと喉を鳴らした。


 吾輩は何も考えないことにした。

 今日のところは。


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