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1_氷の国へ向かう船の上で

第三部、開幕。

ここから舞台は北方の異国ノルディアへ移ります。


久しぶりに「黄金の檻」の外へ出ることになったシャルロット。

けれど、その旅は穏やかな外交だけでは終わらない予感に満ちています。


※こちらは第三部です。

第一部はこちら ncode.syosetu.com/n8662ls/

第二部はこちら ncode.syosetu.com/n5908lw/


挿絵(By みてみん)


 海風が、薄紫色の髪をふわりと揺らしました。

 果てしなく続く瑠璃色の海面が、午後の陽光を反射してきらきらと輝いています。

 真っ白な海鳥たちが、わたしたちの乗る船を追いかけるように空を舞い、時折高く澄んだ鳴き声を上げていました。


 わたしは船の甲板に立ち、手すりにそっと触れながら、まだ見ぬ異国の地に思いを馳せていました。

 波を切って進む大型の帆船は、シルバード王国から北の同盟国、ノルディアへと向かっています。

 頭上では巨大な白い帆が風を孕んで大きく膨らみ、力強い音を立てていました。


 普段はヴァルテンベルク公爵邸という、甘く美しい「黄金の檻」から一歩も出ることのないわたしにとって、この潮の香りさえもが新鮮な驚きでした。

 広大な敷地と美しい庭園を持つ公爵邸は、何不自由ない楽園です。

 しかし、そこは夫の魔力によって外界から完全に隔絶された、愛という名の牢獄でもありました。


「シャルロット、あまり身を乗り出してはいけないよ」


 背後から、鼓膜を甘く撫でるような低く重厚な声が響きました。

 振り返る間もなく、逞しい腕がわたしの腰を引き寄せ、背中が温かく広い胸にすっぽりと包み込まれます。


「レインハルト様……」 

「風が冷たくなってきた。君の柔らかい肌が冷えてしまう前に、中へ戻ろう」


 黒髪に黄金の瞳を持つわたしの最愛の夫、レインハルト様は、少しだけ眉をひそめてわたしを咎めました。

 その声色には、呆れよりも遥かに深い、執着とも呼べるほどの過保護な愛情が滲んでいます。


「ごめんなさい。でも、海がとても美しくて、つい見入ってしまって」

「海など、ただの水たまりに過ぎないよ。僕にとっては、君の緋色の瞳のほうが何千倍も美しく、価値があるんだよ」


 彼はわたしの首筋に顔を埋め、ふうっと熱い吐息を吹きかけました。

 ただそれだけで、わたしの身体の奥底が甘く痺れるように疼き始めます。


 今回のノルディアへの航海は、決して遊覧のためのものではありません。

 ノルディア国からの正式な招待状を受け、シルバード王国の王太子夫妻の代行として赴く、重要な外交任務なのです。

 現在、隣国ベルツとの間で激しい戦争状態にあるノルディアに対し、我がシルバード王国は強力な物資支援を行っています。

 前線へ送る糧食や防寒具、そして医療魔法の結界具などを絶え間なく提供しているため、その恩恵は決して小さくないはずでした。

 その支援に対する歓待と、今後の軍事協力についての密な会談の席が設けられることになっていました。


「それにしても、王太子殿下も人使いが荒いな。繊細な君を外の世界へ連れ出すなど、本来なら絶対に断るところなのだが」


 レインハルト様は不満げに息を吐きながら、わたしの肩にふわりと厚手のショールを掛けました。


「王太子妃殿下がご体調を崩されているのですから、仕方がありませんわ。それに、わたしも少しだけ、外の世界を見てみたかったのです」

「僕の妻の平穏のほうが、あの国の未来よりもずっと重い問題だ。もし君に万が一のことがあれば、僕はノルディアごとベルツを海に沈めてしまうかもしれない」


 彼は冗談めかして笑いましたが、その黄金の瞳の奥には、氷のような冷たい狂気が微かに揺らめいていました。

 彼は本気なのです。

 わたしという存在を脅かすものがあれば、国の一つや二つ、本当に滅ぼしかねないほどの底知れぬ魔力と情念を秘めている人ですから。


「さあ、船室へ戻ろう。外の空気はもう十分楽しんだだろう?」

「はい、レインハルト様」


 わたしは大人しく頷き、彼にエスコートされるまま、特別仕様の豪華な船室へと戻りました。

 部屋の中は、彼がかけた結界魔法のおかげで、船の揺れを一切感じさせないほど快適に保たれています。

 テーブルの上には、ノルディア王室から歓迎の証として贈られたという、見事な白百合の花束が飾られていました。

 ノルディアの国花である白百合は、氷のように透き通った白い花弁を持ち、清らかで気品のある香りを部屋中に満たしています。

 添えられた豪奢な手紙には、ノルディアの王子からの丁寧な歓迎の辞が綴られていました。


「……この香りは、強すぎるな」


 レインハルト様は白百合を一瞥すると、ひどく不快そうに鼻を鳴らしました。


「そうですか? わたしはとても良い香りだと思いますけれど。異国の花をこうして間近で見られるなんて、少し感動してしまいます」

「君の香りのほうが、ずっと甘くて素晴らしい。こんな冷たい花など、君の前では雑草も同然だよ」


 彼は指先を軽く鳴らし、白百合の香りを魔法で薄めると、わたしを長椅子へと優しく座らせました。

 そして、自らはわたしの足元に跪き、ドレスの裾から覗く足首にそっと口付けを落とします。


「ひゃっ……レインハルト様、何をしているのですか……っ」

「足先が冷えている。僕の魔力で温めてあげようと思ってね」


 言い訳のように紡がれた言葉とは裏腹に、彼の視線はひどく熱を帯びていました。

 彼はそのままわたしの足首を撫で上げ、膝、そして太ももへと、ゆっくりと大きな手を這わせていきます。


「あ……やめっ……」





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