遊園地1
あれから数日が経った。
休日の朝。
まだ空が白み始めたばかりの時間に、俺はふと目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む淡い朝日。時計を見ると、時刻は午前五時。普段のバイトの日なら、まだ布団の中で微睡んでいる時間だった。
だが今日は違う。
今日は――遊園地に行く日だ。
ユキナの「やり残したこと」の一つ。
青春を取り戻すための日。
眠気を追い払うように顔を洗い、冷たい水で目元をこすると、不思議と気持ちはすっきりしていった。支度を済ませ、財布の中身を確認する。正直、余裕があるとは言えない。今月の食費は少し苦しくなるかもしれない。
けれど。
これがユキナのためになるならいいだろう。
そんなことを思いながら振り返ると。
「おはようございます!!!」
元気いっぱいの声とともに、すぐ後ろにユキナが立っていた。
近い。
というか、近すぎる。
心臓に悪い。
「……お前、びっくりするからやめろ」
「えへへ、ごめんごめん。でも早く行こうよ!」
ユキナは朝からやたらとテンションが高かった。ポニーテールを左右に揺らしながら、今にも飛び跳ねそうな勢いである。制服姿のままなのも相まって、完全に遠足前の高校生だ。
「まだ7時だぞ」
「でももう起きてるし!」
「何時に起きたんだよ」
すると彼女は胸を張って言った。
「4時!」
「おばあちゃんか」
思わずツッコミが出る。
いや、おばあちゃんでももう少し寝る。
「だって楽しみだったんだもん」
少し照れたように笑うユキナ。
その顔を見てしまうと、まあ仕方ないかと思えてしまうのだからずるい。
「ほら、腹減ったろ。先に飯食ってから行くぞ」
「焼肉!?」
「朝から食うわけないだろ」
「えー」
不満そうな声。
最近、こいつの中で焼肉の地位が高すぎる。
俺は昨日買っておいたパンを皿に移した。
すると、ユキナがじっとこちらを見つめている。
「……食べるか?」
「いいの!?」
ぱあっと顔が明るくなる。
最近わかったことだが、皿に食べ物を供えることでユキナも“食べた気になれる”らしい。見た目は減らない。だが本人曰く、味も食感もちゃんとあるという。
幽霊のシステムはいまだに謎だ。
「いただきまーす!」
嬉しそうにパンを頬張るユキナ。
「おいしい……!朝ごはんって、こういう感じなんだね」
ぽつりと漏れた言葉に、少しだけ引っかかった。
「朝飯、あんま食べたことないのか?」
ユキナは少し考えてから笑った。
「病院だったからかな。朝は薬飲んでる記憶の方が強いかも」
さらりと言った。
でも、その一言の重さを、俺は軽く受け取れなかった。
病院。
病弱。
青春を知らない。
当たり前にできることが、当たり前じゃなかった。
だからなのかもしれない。
今日くらいは、思い切り楽しませてやりたいと思った。
駅までの道。
休日の朝は静かだった。
空気は少しひんやりとしていて、吐く息がほんのり白い。
ユキナは終始ご機嫌だった。
「あ、猫!」
「ほんとだな」
「コンビニある!」
「毎日見てるだろ」
「今日は特別!」
意味がわからない。
でも、楽しそうだから何も言わなかった。
電車に乗り込む。
窓際の席。
ユキナは外を眺めながら、子供みたいにはしゃいでいた。
「景色流れるの好きなんだよねー」
流れる街並み。
ビル。
川。
公園。
休日のゆっくりした空気。
しばらく黙って窓を見ていたユキナが、ふと呟いた。
「なんか、いいね。」
「そうか?」
「うん。友達と遠出する感じ」
その横顔は少しだけ寂しそうだった。
きっと。
想像していたんだろう。
もし普通に生きていたら。
学校に通って。
友達がいて。
休日に遊びに行って。
そんな未来を。
「……まだ始まってもないだろ」
「え?」
「遊園地行くんだぞ。今日は一日遊ぶ」
俺がそう言うと。
ユキナは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「うん!」
その笑顔を見ていると、少しだけ胸が温かくなる。
バスに揺られること一時間。
遠くに観覧車が見えた。
「あっ……!」
ユキナが窓に張り付く。
「観覧車!!」
その声には、驚きと喜びが混ざっていた。
遊園地のシンボル。
遠くからでも存在感がある。
「ほんとに遊園地だ……」
ぽつりと漏れた言葉。
その横顔を見て、俺は少しだけ胸が締め付けられた。
そんなに楽しみだったのか。
そう思うと、連れてきてよかったと思えた。
バスを降りる。
視界いっぱいに広がるカラフルな景色。
賑やかな音楽。
笑い声。
非日常の空気。
ユキナは立ち止まった。
そして。
「すごい……」
小さく呟いた。
まるで夢でも見ているような顔だった。
「これが……遊園地……」
その目は、きらきらしていた。
初めて見る世界に。
憧れていた景色に。
心の底から感動している。
そんな顔だった。
「ほら、行くぞ」
そう言って歩き出そうとした時。
ユキナが、そっと俺の服の裾を掴んだ。
「……迷子になるから」
少し恥ずかしそうに言う。
思わず笑ってしまった。
「子供か!」
「でも迷子は嫌!」
「はいはい」
そのまま歩き出す。
ほんの少しだけ。
裾を掴む力が強くなった気がした。




