忘れたい記憶
お題 : 忘れたい経験
必須要素 : 2000字以上3000字以内
制限時間 : 1時間(即興小説バトル参加作品)
忘れたい。
そう考えるほど、かえって忘れられなくなる。
何度も何度も反芻し、そのたびにあの日の記憶が脳みそに刻み込まれていく。
そしてそのたびに俺は過去に悶えて眠れぬ夜を過ごすことになる。
なぜあの日あの時の俺は、あんなことをしてしまったのだろうか。
それはあまりに恥ずべきことで、あまりに卑劣で、あまりに人の道に背く行いだった。
そのことが今なら容易くありありと理解できる。
なぜあの日あの時の俺は、そんなことにすら気が付かなかったのだろうか。
だが覆水盆に返らずの例えもあるように、しでかしてしまった事実は二度と変わることはない。
過去を悔やむ日々は、未来永劫続くかに思われた。
だがそんな俺に、転機が訪れたのだった。
ある日の昼下がり。
スマホでネットサーフィンをしていると、妙な広告を見つけた。
そこにはこんなことが書いてあったのだ。
「あなたの記憶や過去。売ってお金に換えませんか?」
最初はなにかの暗喩かと思った。
しかし広告を読み進めるうちに、目を疑いたくなるような内容が頭に入ってくる。
「恥ずかしい記憶や、しでかしてしまった過去。そんな忘れたい経験をしてずっと悔み続けている人たちがこの世にはたくさんいます。弊社はそんな方々を救うべく、記憶を買い取らせていただくサービスを提供しています」
記憶を買い取る。
どういう意味だろうか。
広告の先にはさらに衝撃的な内容が記載されていた。
「弊社の開発した特殊なUSB装置を使うことで、あなたの脳の記憶を電子化して抽出することができます。これによってあなたは忘れたい記憶をきれいさっぱり脳の外に摘出することができるのです」
ありえない。
そんな感想がまっさきに頭に浮かぶ。
だが。
「これまでに三百人以上のお客様に記憶摘出サービスを提供し、なんと顧客満足度は九割を超えております。信頼と実績を誇る我々に、あなたの記憶の処理をお任せください」
自信に満ち溢れた文面だった。
いかにもな嘘臭さも大いに感じられるし、そもそも記憶の摘出なんてことが可能なのだろうか。
書いてあることはなんとも馬鹿馬鹿しい。
だけれど切って捨てるにはあまりに魅力的すぎる内容だった。
なにより、サービス代金が異様に安い。
その辺のシャンプー無し散髪より安い。
ややインチキくさい印象もあり、一度はその広告を無視してプラウザを閉じた。
しかしそれから何度も後ろ髪を引かれる思いに駆られてしまった俺は、結局一時間後に再びその広告を閲覧しに戻ったのだった。
ひとまず広告に記載されているサービス提供者の電話番号に連絡を入れてみる。
するとほどなくして、ひどくしゃがれた男の声が返ってきた。
「お世話になります。こちら、記憶摘出サービス事務所でございます」
「あの、過去を忘れられるって聞いたんすけど」
「はい。お任せください」
電話の向こうの男は、声質とは裏腹に朗らかで誠実な印象を与えてくる。
怪しいサービスと思って警戒していた俺も、いくらか安心できた。
「どんなに昔のことでも、どんなに最近のことでも、我々のサービスにかかれば確実に忘れることが可能です。プロセスとしては一度USBにあなたの記憶を移してから、あなたの脳内の記憶データを消去することになります」
「あの、USBに記憶を移す意味はあるんですか?」
「あなたの記憶をUSBごと買い取りたいという人々がこの業界にはたくさんいるんですよ」
その言葉に俺はぎょっとした。
「それって、俺の過去というかプライバシーを他の人間に渡すってことっすか?」
「安心ください。記憶にはちゃんと個人情報処理を施します」
男は落ち着き払った声でそう言った。
「記憶を他人に渡しても、あなたに関する情報が漏れることは一切ありません」
「だったら、俺の記憶なんかになんの需要があるっていうんですか?」
「忘れたい記憶というものには、必ず強い感情が付帯するものです。世の中には、あなたが過去に感じた恥や屈辱、悲しみや苦渋といった感情体験に興味を持つ方々がたくさんいるのですよ」
にわかには信じがたい話だった。
「そんな妙な趣味を持つ人がいるんですか? 悪趣味じゃないですか」
「そんなことはありませんよ」
男は諭すように答えた。
「あなたの過去の感情や体験は、あなたにとっては辛くて忘れたい経験なのかもしれません。ですが、他の誰かにとっては刺激的だったり胸を打つ経験になるかもしれない」
「そうかもしれないっすけど」
「そういった記憶を買い集めている方々にとって、あなたの記憶はまさに宝なのです。いや、鉱脈と言った方がいいかもしれない」
くつくつと笑う声が電話口から漏れてくる。
そして男は付け加えた。
「あるいはあなた自身が、その記憶に価値を付けることができるのかもしれませんがね」
それから男とは少しだけ話をして、俺は電話を切った。
結局、俺がその記憶摘出サービスを利用することはなかった。
男は最後に言ったのだ。
こういった他人の記憶を買いあさっている人種。
それは、小説家であると。
誰かにとって忘れたいほどの激烈な記憶とは。
他の誰かにとっての強烈なエンターテインメントになるかもしれないのだと。
だからそんな記憶を持っている俺なんかは、ある意味では恵まれているのかもしれなかった。
今、俺は小説を書いている。
忘れたい経験を元ネタにして。
辛くて恥ずかしいあの日の記憶が、誰かの刺激に変わることを願って。
【後書き】
お題がシンプル、かつ必須要素も文字数制限のみという緩い制約での挑戦となった本作。
人生体験を他人に売り買いできるようになったら、世の小説家はこぞってネタ集めのために買うのではないかという発想をベースに書いてみた。
しかしよく考えると、SNSがすでにそのような使われ方をしているのかもしれない。知らんけど。




